教養と趣味

私が経験してしてきたことや考えていることに対してご指導を下さい。趣味などを通して有意義な生き方についてご伝授ください。

東京タワー

2009年04月30日 08時38分26秒 | 日記
本日も快晴です。
冷たい風もなく、快適に愛犬(城)との散歩を終えました。
本日で4月も終わりです。
明日から、いよいよ5月です。
ゴールデンウイークがこのように、天気に恵まれるのは珍しいことではないでしょうか。

今朝のニュースによると、豚インフルエンザの警戒レベルが「フェーズ5」に引き上げられたようです。
定義によると「フェーズ5」は、「人から人への感染がWHOが決める地域内の2カ国以上で続く、パンデミック(世界的大流行)の可能性は高まり確実に流行をする」、という意味のようです。
定義では、この上の「フェーズ6」までしかありません。
本当に、怖い話ですね。

さて本日は、先日訪れました東京タワーを紹介します。
東京タワーは、東京都港区芝公園四丁目にあります。
1958年(昭和33年)10月14日に完成しました。
私が上京したのが昭和34年3月ですから、5ヶ月前であったことになります。
地上120mのところに大展望台がありますが、上京をした年の4月に先輩に連れられてエレベーターで昇りました。
下りは階段を徒歩で下りましたが、途中で階段の隙間から地上が見え足がすくんだのを覚えております。
そのあと、浅草を案内してもらい昼食としてお吸いもの「どぜう」を食べようと言われついていきましたところ、なんと「どじょう」ではありませんか。
どじょうは目をパッチリと開けており、私は食べることが出来ませんでした。
このことを東京タワーを見るたびに、思い出します。

現在では、地上約223mに特別展望台(当初設置されていた作業台の後身)があり都心を始め都内の街並みを一望できるようです。
天候が良ければ神奈川・埼玉・千葉の各県の街並みや富士山などの山々も見ることができるそうです。
特別展望台は、1967年(昭和42年)7月になってからですから、私は未だ昇っておりません。


タワーのしたから望みました


脚の一つです
人が写っておりますが、脚の大きさが想像できると思います


写真が暗いですが、修学旅行生も見学をしておりました


タワーの脚の下にある商店街です
ここで昼食を取りました


タワーの脚の一つのコーナーにある「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」です




年老いた最近の愛犬(城)に似ているのでアップしました

山間部の花

2009年04月29日 12時15分11秒 | 下松からの写真
下松から写真が届きました。


イカリソウの花:笹の生い茂る斜面の広範囲に自生


イチリンソウの花:広い範囲に群生


オオギカズラの花


ハルトラノオ:花は殆ど終わっていたが一部残っていた。


フタバアオイの花


フタバアオイの群落;徳川家の家紋はフタバアオイの葉を三枚組み合わせたもの。


ヤマエンゴサクの花


ヤマキケマンの花


ヤマキケマンの群落


ヤマシャクヤクの蕾


ヤマルリソウの花


ヤマルリソウの花 :数カ所に群落


ラショウモンカズラの花:林床の至る所にに自生


花が終わって葉が伸びて実を付けたフクジュソウ。


咲きかけのヤマシャクヤク


山間の新緑


ご主人のコメント
昨日、友達に誘われて花好きの3人で島根県の西部の山(登山口まで車の走行距離80km)を歩いて来ました。
標高1000m弱の山頂から笹が生い茂る険しい斜面を降りて、中腹の開けた当たりから多くの花が迎えてくれました。
早春の花・雪割草、福寿草等は既に実を付けており、ハルトラノオの花も殆ど散って残り花が一部咲いていただけでした。
ヤマシャクヤクの群落地では、蕾が膨らみかけ数日後には開花するような状態でした。
秋に咲くトリカブト、ジンジソウ等も至る所で見受けられ、既に草丈が伸びて繁茂していました。
立ち入るのに険しい場所なので、人の足跡は無くて自然が保たれており、花も多くの種類が残されていました。
人知れず秘密の花園として、このままの状態でいつまでも残っていて欲しいものです。
もう一度、来年の早春に是非訪れて、福寿草や雪割草にお目にかかろうと思い帰途につきました。
撮った写真を送ります

ゴールデンウイーク

2009年04月29日 07時57分41秒 | 日記
今朝も晴れておりますが、冷たい朝を迎えました。
愛犬(城)も食があるようで、薬を埋め込んだシュークリームをぱくりと食べました。

気象庁は昨日、ゴールデンウイークにかかる週間(29日~5月5日)天気予報を発表しました。
それによると、高気圧に覆われて全国的に晴れる日が多いが、3、4日は気圧の谷が通過する影響で、沖縄・奄美を除く北日本から西日本で一時雨の降るところがある見込みのようです。
問題は気温ですが、北日本から西日本にかけて期間の初めは平年より低く、その後は平年並みか高いようです。沖縄・奄美は平年より低く、かなり低い日もあるそうです。
また、北日本から西日本の内陸部で期間の初めは遅霜に注意が必要であると報道しております。

そこで気になったのが、奈良のお爺ちゃんの畑です。
「霜が怖い」、と言っておられたからです。
どうか苗木が無事であって欲しいと、願っております。

さて、このような好天気のゴールデンウイークです。
極力、近場を歩いてみませんか。
私の連休は、残り8日間です。
現在のところ特に具体的な予定は立ててはおりませんが、ハイキングまたは自転車で近場を散策しようかと思っております。

豚インフルエンザについてですが、警戒レベルが「フェーズ4」に引き上げられました。
「フェーズ4」とは、人から人への感染が地域レベルで続く、パンデミック(世界的大流行)の可能性が中~高程度、という意味だそうです。
人から人へ感染をする、ということが怖いと思います。




我が家の農場のキュウリです
1本だけですが、7cmくらいになっておりました

豚インフルエンザ

2009年04月28日 08時47分27秒 | 日記
今朝も素晴らしい天気ですがとても冷たい風が吹き、秋に向かっているように感じました。
心配なので屋上の野菜を覗いてみると、元気でしたので安心をしました。
例年ですとゴールデンウイークに苗を植えていたのですが、少しでも多く収穫が出来るのではないかと考え本年は早く植えました。
農業は、天候との戦いですね。

さて、テレビや新聞などの報道によると、「豚インフルエンザ」が流行しメキシコでは死者が103人でているようです。
厚生労働省では、豚インフルエンザウイルスの感染予防策として、新たなワクチンを製造するように検討を始めたようです。
しかし、製造には少なくとも数ヶ月かかるようです。
また、新たなワクチンを製造するとなればワクチンの製造能力には限界があるため、従来の季節性インフルエンザワクチンの供給に影響がでるようです。

新しいウイルスが見つかると、それに対するワクチンが開発されます。
するとウイルスは、さらに強力なウイルスを生むようです。
このように時代とともに、ウイルスも段々と強力になっていくようです。
パソコンのウイルスと同様に、戦いは無限に続くようです。

対策として、外出する時はマスクをする、帰宅したら手を洗いうがいをするように呼びかけております。
無理をしないように、健康管理は自分自身で守りましょう。


ナツエビネ自生の場所を尋ねて

2009年04月27日 11時15分15秒 | 下松からの写真
下松から写真が届きました。


カンアオイの花(右下)


キエビネの蕾


サツマイナモリの花:群落が至る所に。


シャクナゲの蕾


タチツボスミレの花


チゴユリの花:日暮ケ岳の山頂近くの林床で。


ツルシキミの花:日暮ケ岳の山頂付近の林床で。


ヒメバライチゴの花;林道の両側の至る所に群生


フデリンドウ


佐波川関水跡:川原に山菜のひとつであるコゴミ(草蘇鉄)の群落。


四氏谷川の上流に高さ15m位の小滝


苔むした大小の石や岩で足場の悪い渓谷を遡上(四氏谷川)


大原湖の上流の風景


日暮ケ岳近くの尾根から遡上して登って来た四氏谷川方面(右側下方向)を見下ろす:後方に西中国山地の西端の山並み


葉の脇から垂れて咲いていたクルミの雄花

ご主人のコメント
先日、友達に誘われて、鎌倉期に名僧・俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が東大寺再建の用材を伐りだしたことで有名な滑国有林内の渓谷を歩いて来ました。
目的は、八月の中旬から下旬にかけて咲くナツエビネ自生の場所の情報を得たので、暑くなくて草木の繁茂していない今の内に、その場所を確認しておこうというものでした。

中国自動車道・徳地IC沿いのR489を北上して、大原湖上流の東側に位置する中国自然歩道に進入、大原湖に流れ込む四氏谷川近くに車を置きました(車の走行距離55km)。
四氏谷川沿いの四氏谷林道から苔むした大小の石や岩が横たわる渓谷に降りて、熊さんとの出遭いを避けて笛を吹き吹き、左右の沢を渡り返しながらエビネの葉を探して遡上しました。

当てにしていた付近一帯を二人で隈無く探したのですが、エビネの葉は有ったものの蕾を付けたキエビネだけで、目的のナツエビネは見つかりませんでした。

そのまま帰るのも釈然としないので、林道に上がって日暮ケ岳(三等三角点、標高694m)に登ることにしました。
林道の終点から山道に入って、急登の展望尾根を経て樹林帯を登り、日暮ケ岳の山頂に辿り着きました。
日暮ケ岳の南西の麓には「国立山口徳地少年自然の家」があり、ここから山頂まではハイキングコースが整備されています。
今回辿ったルートはガイドブック等による紹介も無いので、人の歩いた形跡はありませんでした。
その為か、途中に有った大小の多くのシャクナゲも、人目に触れない為に盗掘に合わずに済んだのでしょう。

帰路、大原湖の下流にある国の史跡「佐波川関水」に寄りました。
説明版を抜粋して「佐波川関水」について紹介します。

文治2年(1186年)東大寺再建(1180年12月焼失)の際、周防国は造営料国に当てられた。
国務管理の役に任ぜられた俊乗坊重源上人が陳和卿、番匠物部為里等を従えて佐波川奥地に入り建築用材を伐採して、直径15cmの綱で佐波川に運び込み流れを利用して瀬戸内へ運搬した。
その際に、佐波川の水深が浅いので水かさを増す為に水を堰き止め、その一隅に幅3m、延長46mの水路を作り川底を石畳として流水した。
これを関水(せきみず)といい、当時は28あったともいわれるが、現在はこの関水がただ一つ残っているのみである。
伐りだした木材は、長さ約30m、口径約1.8mにも達する巨大なもので、人力だけで谷を渡し山を越えて佐波川まで運ぶ作業は大変なものだった。
山から巨木を運ぶ為に、山の谷を埋め、橋を架け、岩を除いて道が作られ、その距離は総計約30kmにも及んだと伝えられている。
伐採や運搬は困難を極め、人夫の負傷や疲労の保養などの苦労は大変なものだった。
人夫は、周防国の家の5軒あるいは10軒毎に1人の割合で集められた。
良い木材を見つけた者には、1本につき米1石を褒美として与えた。
しかし、伐り出した巨木は130本にも及んだが、その中でも使用出来るものはほんの僅かで、検査に合格したものは「東大寺」の刻印が押された。

今回の目的・ナツエビネの在処は見つけられなかったが、爽やかな新緑の中、サツマイナモリやヒメバライチゴの群生等、多くの花に出会えて楽しい山行でした。
今回撮った写真を送ります。

京都・奈良を旅して来ました

2009年04月27日 08時52分04秒 | 日記
本日は、素晴らしい天気ですが外気はとても冷たく寒い朝を迎えました。
愛犬(城)には快適なのか、どんどんと先を歩きました。
食欲もあり、シュークリームに包んだ薬を一口で飲み込みました。

さて、2泊3日の旅を終えて、昨日帰宅をしました。

24日(初日)
京都御所が一般に開放されているということで、京都駅よりブラブラと歩いて御所に着きましたところ、すでに門が閉じられておりました。
「開門は3時半まで」、と掲示がありました。
着いたのは、3時45分であり、残念でした。
夜は、奈良で宿泊をしました。


写真は、御所の見学を終えて出口を出る人々です

25日(2日目)
娘の嫁ぎ先の実家を訪問しました。
これがこの度の旅行の主目的です。
お爺ちゃん、お婆ちゃん、ご主人、奥様に囲まれて、すっかりご馳走になってきました。
お爺ちゃん、お婆ちゃんともにお元気で,面白い話を沢山頂き大笑いをしてきました。
昔から「福は笑いから」、と言います。
とても明るい家庭であり、嫁いだ娘もきっと幸せになれるものと確信をしました。
お爺ちゃんご自慢の畑も見せてもらいました。
茄子、キュウリ、ピーマン、トマトなどが整然と植えられておりました。
畑は無論のこと、庭にも草一本も生えておらず、我が家の荒れ果てた庭を思うと恥ずかしい思いをしました。

午後よりご主人と奥様に連れられて、法隆寺を見学させていただきました。
予報では大雨でしたが、午前中の雨もすっかり上がり幸運でした。
ガイドさんの説明つきで、細部にわたりよく分かりました。
3時間の見学でしたが、それでも説明を省略したところがある、と言われて法隆寺の広さには驚きました。


夢殿


26日(3日目)
興福寺、猿沢池、春日大社、東大寺などを徒歩で見学をしました。
予報では晴天のよい天気というので、上着も傘もホテルにおいて出かけましたところ、すっかり曇り空で冷たい風が吹き時折小雨がぱらつきました。



観光慣れした人懐こい鹿に会う事ができました


楽しい思い出に残る、3日間の旅でした。
法隆寺の見学の祭、ガイドさんがライトで照明をしてくれたり、望遠鏡を貸してくれたりしたので一層よく分かりました。
今後、お寺などを見学をする時は、ライトと望遠鏡を持参するとよい、とアドバイスをいただきました。
皆さんも、試してみてください。





黄金週間 16連休登場

2009年04月24日 08時13分46秒 | 日記
昨日は比較的に冷たい風があり、とても過ごしやすい一日でした。
仕事も無事に終えてきました。
歩数が14,967歩と、まあまあの運動量でした。

タイトルの「黄金週間 16連休登場」は、新聞の見出しです。
明日より大型連休(16日間)が始まる会社がある、というのですが嬉しいのではなく困っているという内容です。
無理やりに休業にさせられた、お金がないので家でゴロゴロするしかない、働きたいという記事です。
不況のため経営者は、やむをえない処置と言っております。
いずれにしても、黄金週間は有意義に過ごしたいものですね。
私は、本日から13連休です。


昨日の朝日新聞によると、インターネット上に約43万語を収録した用語解説サイトを無料で利用できるサービスを開始したそうです。
URLは、「kotobank.jp」です。
試しましたところ、活用できそうです。
皆さんも、一度利用されてみられたらいかがでしょうか。


私事ですが本日より、2泊3日の予定で家内と二人で奈良へ出かけます。
したがって、26日(日)までブログを休ませていただきます。
奈良は娘が嫁いだご主人の実家があります。
明日伺う予定ですが、初めての訪問であり楽しみにしております。





写真は我が家の前の道端に咲いている花です
名前が分かりません
ご存知の方は、教えていただけないでしょうか

ピンからキリの語源

2009年04月23日 08時40分18秒 | 日記
昨日は、とても暑い一日でした。
今朝も素晴らしい天気ですが、比較的に涼しく愛犬(城)との散歩は気持ちがよかったです。


昔、知人から「ピンからキリ」、の語源は何か、と問われたことがあります。
私はマ-ジャンは知りませんが、確かピンとは「1」のことであったと思いましたので、「ピンは1のことだと思う」、と答えました。
ところが、「キリ」の語源は分かりませんでしたので、帰宅してインターネットでしらべたことがありました。

その時、次のような説明がありました。

「ピン」はポルトガル語で「pinta」。「点」という意味です。サイコロの「1」の目が点になっていることから、日本で「1」の意味が出てきたようです。
一方「キリ」は「cruz」。これは英語の「cross」と同じで「十字架」のことです。「十字架」から転じて「10」の意味になりました。
それで「ピンからキリまで」は「1から10」までを表わすことになり、そこから「初めから終わりまで」「一番いいものから一番悪いものまで」という現在使われている意味になったのです。

このような記述がありましたが、「キリ」が「10」を意味するとは、驚きました。
このように普段使っている言葉の語源を調べると、意外な事が分かり面白いですね。



写真は、我が家の庭に咲いた「シレネ アルペストリス」(ナデシコ科の多年草)です

武士は食わねど高楊枝

2009年04月22日 08時09分24秒 | 日記
昨夜は相当に強い雨が降りましたが、今朝は雨も上がって素晴らしい天気です。
予報では、日中は気温があがるようです。
本日は仕事で出かけますので、汗かきの私には困ります。
先ほど愛犬(城)の散歩を終えたところですが、あまり食欲がなく大福に絡ませて何とか薬は飲ませました。
ところが、好物の肉うどんを食べてくれません。


さて、「武士は食わねど高楊枝」とは、「武士は貧しくて食事ができなくても、食べたばかりかのようにゆうゆうと楊枝を使う」、また「武士はたとえ貧しくとも、気位を高く持つ」、すなわち「やせがまんをする」という意味になると思います。
偉そうに見える武士の裏面を表した言葉ですが、当時武士によっては相当に苦しい生活をしていたようです。

見かけをよくしようと考えるのは、だれも同じことではないでしょうか。
私は仕事に出かける時は背広に着替え、金持ちであるようにまた頭がよさそうに装います。
限度はあると思いますが、考えてみると見栄を張ることによって負けまいと努力をし、自分自身を磨いていくことにつながることもあるのではないでしょうか。
そのように考えると、他人にいやみを抱かせない範囲で、見栄を張ることも大切なことではないかとも考えます。

昨日、全国一斉に「学力調査」が実施されました。
A問題は知識中心の問題であり、B問題は知識の活用を問う問題でしたが、私はどちらも良い問題ではなかったかと思います。
課題は、「学力調査」をいかに活用するか、という点にあるのではないでしょうか。
そのためにも、文部科学省は一日も早く採点結果を公表して欲しいと思います。



写真は、我が家の庭の花梨ですが、花が咲き小さな実を結びました


増上寺

2009年04月21日 13時04分39秒 | 日記
どんよりと曇った朝を迎えました。
予報では、午後より雨が降るように伝えております。
今朝、愛犬(城)と散歩をしている時、鶯が鳴いておりましたがあまり上手ではありませんでした。
これから練習を重ねて、うまくなることでしょう。
屋上の農場の苗木を見ますと、すくすくと育っておりました。
キュウリが小さな実をつけておりました。

さて本日は、「増上寺」をHPやスナップ写真より紹介します。



増上寺への第一の門

大門
当山の総門・表門にあたり、地名の由来になっている門です。現在のものは国道の通行整備のため、昭和十二年に原型より大きく、コンクリート製に作り直されたものですが、旧大門は慶長三年(一五九八)に江戸城の拡張・造営にあたり、増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康公より寺の表門として譲られたものでありました。その旧大門は大正十二年(一九二三)の関東大震災により倒壊しかかったため、両国・回向院に移築されましたが昭和二十年の空襲により焼失した。



大門(HPより)


大門前の碑




大門入り口に掲げられておりました


歴史 (HPより)
増上寺が開かれたのは、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖聖聡(しょうそう)上人によって開かれました。
場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられています。
室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展していきます。

安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました(天正十八年、1590年)。家康公がときの住職存応(ぞんのう)上人に深く帰依したため、と伝えられています。
慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。
三解脱門(さんげだつもん)、経蔵、大殿の建立、三大蔵経の寄進などがあいつぎ、朝廷からは存応上人へ「普光観智国師」号の下賜と常紫衣(じょうしえ)の勅許もありました。
家康公は元和二年(1616年)増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で歿しました。

徳川将軍家墓所
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がもうけられています。
墓所には各公の正室と側室の墓ももうけられているが、その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮も含まれています。
現存する徳川家墓所は、門が本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の中門(なかもん)で、内部に各公の石塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています。






鋳抜門
左右の扉に五個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている(青銅製)
内部に各公の石塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています
公開日以外には、中に入ることはできません


大殿
昭和四十九年、伝統的な寺院建築様式の中に現代建築の枠を結集して再建されました。本堂に御座します、ご本尊阿弥陀如来(室町期製作)は、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られ、参拝される方々の厚い信仰をあつめています。大殿は、浄土宗大本山としての根本道場をはじめ、あらゆる儀式法要が行えるよう斬新な企画で設計されました。





大殿
真後ろに東京タワーが見えます
すぐ後ろに見えますが、歩くと比較的に距離があります

阿弥陀如来像
恵心僧都(えしんそうず)の作とも伝えられるこの阿弥陀如来像を家康公は深く尊崇し、陣中にも奉持して戦の勝利を祈願した。その歿後増上寺に奉納されたましたが、勝運、災難よけの霊験あらたかな仏として、江戸以来広く庶民の尊崇を集めてきています。


阿弥陀如来像
遠くてフラッシュが届きませんでした


安国殿
恵心僧都の作と伝えられる秘仏黒本尊(阿弥陀如来)が祀られています。(御開帳・祈願会、正月・五月・九月の十五日)黒本尊は家康公が深く尊崇し、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像で、勝運・厄除けの仏様として江戸時代以来、広く人々の尊崇をあつめています。
御丈二尺六寸の立像は、その昔、金箔燦然と輝く金色の御躰でしたが、長年の香煙によって黒ずんだことから黒本尊と申し上げるようになりました。




安国殿


黒本尊(HPより)


光摂殿
二十一世紀を迎え、「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂、道場として、光摂殿が完成しました。その大広間の格天井には、日本画壇の画伯方が精魂込めて描かれた草花図が奉納されてはめ込まれ、百華となって花開きます。その天井絵は二十一世紀への美術遺産として伝えつがれ、集う人に計り知れない功徳となることでしょう。


光摂殿


光摂殿内部(HPより)


千躰子育地蔵尊
子育て安産に霊験あらたかとされる西向観音にちなみ、子供の無事成長、健康を願い昭和50年より順次奉安されております。毎年4月に大祭、7月には盆踊り大会が開催されます。


千躰子育地蔵尊


四菩薩像
徳川家霊廟の前に、四体の石像があります。右から普賢菩薩、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩、文殊菩薩の四菩薩像です。鎌倉時代の1285年に作られた大変由緒のある仏像とのことです。
菩薩とは、修行中の仏のことです。上記の四菩薩は、お釈迦様の四つの知恵をあらわす仏様だそうです。





四菩薩像


聖観世音菩薩
門を入ってすぐ左手に10メートルもあろうかという巨大な石仏像が見えます。
当寺からさほど遠くない場所にあったホテルニュージャパンで火災が発生し、多数の人命が失われたのを悼んで建立された「聖観世音菩薩」です。
この近くに、「聖鋏観音像」というお像もあります。美容家の山野愛子さんの提唱で、ハサミを供養するために建立したものです。
毎年8月3日の「鋏の日」には、この観音像の前で鋏供養が行われるそうです。



聖観世音菩薩



増上寺の最も奥に一般の墓地があります
そこから、東京タワーを望みました