『令和の民俗学』汐留一郎

日本のグランドデザインを考える

坂東武士の鑑 畠山重忠

2018-10-18 01:06:34 | 日記
午後三時近くなってから埼玉県深谷市にある「畠山重忠公史跡公園」に出かけることにした。
800年近い昔に実在した人物であるから古典や戦記物の中から実像を推し量るしかないのだが
重忠公はwikipediaによれば「存命中より武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で坂東武士の鑑と称された」とある。
司馬遼太郎の「義経」においてもあくまで小説の中のセリフであるが「ああ、あなたが、弓矢の坂東でも高名な畠山重忠殿であるのか」と言わせている。

川越を超えしばらく走ると緩やかで豊かな丘陵地帯が始まり水田がぐっと少なくなる。武州、埼玉北西部は秩父を源流とする荒川が東西に流れ人馬の移動も主に東西
丘陵の開けた嵐山町のあたりから縦軸、鎌倉へとつながる。山紫水明、自然災害も少なく所領としては悪くなかったと思われる。

途中、国道254号線沿いの「埼玉県立嵐山史跡博物館」に寄るが16時30分で閉館、仕方ないので隣接する重忠公の居館跡である「菅谷館跡」を散策。

館跡後に鎮座する畠山重忠公
時刻は既に「逢魔の刻」公もさぞかし驚いたと思う


周辺の池堀


隣接する「オオムラサキの森活動センター」

里山保全に頑張っている自治体、働く方も蝶が好きでたまらない。

標本では茶色っぽいですが、ライトを当てると紫が映えます。

これからの季節は開館日を確認してからお出かけを

館跡を発って「畠山重忠公史跡公園」へ
なだらかな丘陵地帯、里山を抜けて(夜だけど)到着。

源平一ノ谷の合戦 鵯越の逆落としで愛馬「三日月」を背負ってくだる重忠公

当時も夜でしたからこれでいいでしょ。躍動感に富んだ堀口泰造作のブロンズ。大変優れた名品と思います。

ちなみにこちらは高松平家物語歴史館の逆落とし


愛馬三日月、恋ヶ窪と言う地名の由来を作った人、武士の誉れ、生死が今より隣り合わせで身近であった時代。なんとロマンを掻き立てる人物であったかと思います。中世において、平家を壇ノ浦まで追いかけたその行動力、野心。突き動かす何かがあったものと考えます。

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