『令和の民俗学』汐留一郎

日本のグランドデザインを考える

熊谷市に寄る

2018-10-18 18:48:00 | 日記
昨晩の続き。

嵐山の畠山重忠のブロンズ像にお別れして熊谷へ向かう。熊谷は畠山氏の嵐山より目と鼻の先。

西望作の名将 熊谷直実像


過去、埼玉県における熊谷市の行政としての役割は浦和に次ぐものであり、川越、大宮、所沢を遥かに凌いでいたのだが、短距離の通勤圏外にてベッドタウン化が計れなかったことにより凋落、新幹線駅開業で一時的に息を吹き返すも、近年は「駅前のアパートも簡単に借りられるよ」との話し。
2015年には人口20万人を切り2007年に平成の大合併で吹かし再起すると思いきや、都心に遠すぎるゆえ(JRは速度もあって早くて便利ですが)
大学も立正大学のみで(名門県立熊谷高校があるにも関わらず誘致をしたり大学の設立をしなかったのかしら)まあ大学があれば少しは変わっていたかもしれない。もちろん公立の大学ね。

直実の武者像は実は陸の孤島で徒歩では行けない。タクシー、バス待機スペースの真ん中にあります。まあ、横断歩道も無く待機中のタクシーに煽られながら見たいのなら近づけますが。

名将直実を置き去りにして、どうにかしろと声を上げる人はいなかったのでしょうか

直実公に敬意を表し駅ナカの書店で購入。

熊谷という名字は多いのですが市内に末裔はおらず、距離的に有識者は東京に気持ちが向いてしまい(前橋くらいの距離なら違っていたかもしれない)古い寺院等が無いため伝統を保守する気概が乏しく、商業的には成功しましたが都心回帰が始まると一番ダメージを受けやすい都市?

秩父鉄道 ICカードは不可 お姉さんが切符を預かってました


最盛期には群馬県太田市から利根川を超えて鉄道を引く計画もあり、秩父鉄道熊谷駅は秩父からの石灰貨物輸送の要所。良かった時代もあったのですが。国立大学の学部も高専も誘致しなかったのは残念。

かつては周辺の市町村から八木橋百貨店や専門店に買い物に来るお客さんで賑わったのでしょうが次の一手に手をこまねいている中心街。果たして復活はあるのでしょうか。駅前繁華街もお決まりのチェーン店ばかりで、まあ大学が立正大学だけ、それも荒川を超えて東松山に近い、これってかなりヤバイ事態だと思います。どうしましょ。

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