『令和の民俗学』汐留一郎

日本のグランドデザインを考える

来なかった、あの日

2021-06-04 18:42:00 | 東北
スクールバスやマイカーなどという洒落た乗り物が高嶺の花であった頃
幼稚園や保育園のお迎えはもっぱら自転車
ミニサイクルと言うご婦人向けの商品はまだ先

幼児の席は藤製の硬いカゴを時には実用車に括り付け迎えに行ったものである。
終園時間に親が来なければ悲壮な顔になる子、なかには泣き出す子どももいた。

共働き全盛の昨今だが、やはり子供は愛情をかけて育てなければ、トラブルやこれはホンの小さな些細な出来事も含め、何かあった時に逃げ場がなくなってしまう。

娘は家事をやればよいと言う父の反対を押し切り修学旅行に行かせてくれた母が旅行中、急逝し、その後の娘の人生に暗い影を落とした。という話しも最近聞いた。

人生は苦労、不幸の連続である。
でも金髪先生は謂ふ。貧困の中でも愛情を注いでくれた人の気持ちは忘れない。

ちょうど今から10年前、東北沿岸部に未曾有の津波が到達し保育所から高校に至るまで、児童生徒は親の迎えが来るまで帰れなかったという。
次の日、迎えにきた母もいれば三日後。10年経った今日も行方知れずで迎えが来ない方もいるらしい。

震災直後は緊張感と周囲の喧騒で、危険なポジティブシンキングが支配するが、数年後、冷静になった時、ダメージは効いてくる。

東北は若い頃、よく出かけた。朽ちかけようとする藁葺き屋根の民家が自給自足に近いながらも僅かな現金収入を得ようと山間部でも狭い土地で作物を育てる。

ニュータウンを作っても心の空洞は埋まらない。そろそろ歩み出す頃かと思う。
でも借りてきた価値観ではなく、過去という土台の上に成り立つ次の世界。
そんな事を考えながら旅をしている。

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