真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~十三、求道後の行功

2023-07-11 20:04:26 | 性理題釋

十三、求道後の行功

道に心が存すれば、これを徳性と言い、行いに現れて、これを綱常(こうじょう:三綱・五常)と申します。

道があっても徳を施すことが出来ない時には、必ず魔が現れるのであります。

孔子様は『まことに至徳がなければ、至道凝(こ)らず』と言って、“徳がなければ道は凝固しないのである”と申されました。

徳とは得であります。

又、功を行ずることは即ち徳を積むことであります。

例えば人を済(すく)い物を利する事をしたり、災難の世界を救済する心を持ち、三教聖人の教えに遵い(したが)い力を尽くして実践躬行(きゅうこう)したり、又およそ善書を書き抜いたり、仏堂を建立したり、多く勧化(かんげ)し、広く開道して道義を宣揚(せんよう)し、人の智慧を啓発して一人でも成道せしめたならば、その功徳は実に偉大なものであります。

外功が円満になれば、内功もこれに随って円満になるものであります。

又、凡情の世界においては急難を救済し、災害を救い、危機を匡正(きょうせい)することであり、小にしては独り出資してこれを処理し、大にしては集資してこれをさばいて行くことであります。

それには、場所・人・時・事情に応じて多くの地方に利するよう、これを導かなければなりません。

親に対しては慈愛を、子に対しては孝行を、兄に対しては友愛を、弟に対しては恭(つつし)みを、夫婦に対しては和睦を、朋友に対しては、信実を、官吏に対しては忠正を説いて、悪を化して善となし、愚を化して賢となす事は真の功徳となりますが、名誉を貪求したり、又悪言厲色(れいしょく)の表現をしてはなりません。

もし、名誉をむさぼれば、いわゆる功徳になりません。

又せっかちにして気をいらだたして人を勧化(かんげ)することは、修道する人の行いとは申されないのであります。

続く


第四章 三期末劫の起こるべき原因とその証明 (二)紅陽時代

2023-07-11 20:02:06 | 天道の淵源

(二)紅陽時代

紅陽時代の期間は、周の建国頃からはじまって清朝に終わる約三千年間です。

ヨーロッパ地中海ではギリシャ世界の成立時にあたり、アフリカ、西アジアではヘブライ、フェニキア王国の胎動期にあたり、インドではガンジス川流域の都市国家建立時に始まり、十九世紀で終わっています。

この時代の人心は青陽時代に比べて数等悪く、十八の浩(おお)きな劫難によって審判淘汰されました。

名づけて、「赤明火劫(せきめいかきょう)」と言います。

つまり、この時代に十八回の激烈な火の大戦・大災難が起こった訳です。

わけても火による焼き討ちが無残だったので、火劫と名づけられました。

殺され、焼けただれた屍骨(しかぼね)は山の如く堆(うず)まり、血は流れて河となりました。

十八の時期に区切られ、その変わり目には必ず無数の無辜(むこ)の人命が殺戮と掠奪(りゃくだつ)と放火で洗い清められ、その都度犠牲者が累々と煎じられました。

中国では、東周・春秋・戦国・嬴秦(えいしん)・前漢・後漢・三国・西晋(さいしん)・東晋・南北朝・北唐・南唐・五胡十六国(ごこじゅうろくこく)・北宋・南宋・元朝・清朝と合わせて十八の時代になっています。

ヨーロッパ地中海、中近東では、アッシリア・ペルシャ戦争によるアテネの興隆、アレクサンダーの世界帝国建設とその崩壊、列国の栄枯盛衰、第一第二のポエニ戦争、アウグスツス時代、ローマ朝の盛期、そして衰退に伴って民族の大移動、地中海世界の分裂、東ローマ帝国の繁栄、フランク王国の西欧統一、ノルマンの活躍、十字軍の遠征と、その終末による西欧世界転換の契機から近代に至るまでの死闘の繰り返しを大別して十八に分けられます。

日本やアジアの諸国にも同じように時代の変遷時には必ず争乱がありました。

仏宋では十八個の数珠(じゅず)を持ち、これを十八羅漢珠(じゅうはちらかんじゅ)と名づけられています。

一個の数珠は一回の災難があることを物語り、十八個の数珠は即ち紅陽時代十八の劫難を暗示しています。

人心の善悪の数は相半ばの状態でありました。

老〇様(ラウム)は、善悪・玉石ともに崩壊されるのを忍びず、天道を伝えて真宗を授けられました。

釈迦仏は天盤を掌られ、仏法を宏め、形式を掃き、着想を戒められました。

この時代の人は獣面から人面に進化しましたが、心は仏心から人心に退化しました。

この時代に二度目の普度が開かれ、衆生を塗炭(とたん)の苦しみから脱(のが)れさせられました。

紅陽時代の道運は南方に位し、天に在っては亨正(こうせい)となり、地に在っては夏季に当たります。

夏季は紅花の満開期であり、熱帯地であればある程、真紅の色彩を放ちます。何報は五行の中では火に属し、五色では紅(くれない)となっている故に紅陽と言います。

この三千年間(あるいは三千百十四年間)の一切は紅(赤)色を最上としました。

華やかなりし文明の最盛期の「豪華絢爛(ごうかけんらん)」という言葉は、そっくり赤に当てはまる名詞であります。

衣冠・礼装から一切の建築装飾に至るまで多分に赤色か、それに類した色彩を使っています。

天命は帝王の時代から離れて仏仙聖賢の間に伝えられました。

文王が苦心して、後天の八卦を画き完成されました。

後天の八卦は先天不易の易理を基礎にして時勢の変遷を明察した変易の易理であります。

明師によって伝える三宝は、「玄関の一点」と「六字真経の口訣(くけつ)」をもって神通呪(じんつうじゅ)となし、「蓮華の合同」を合わせて証としました。

蓮の華は赤色に属し、蓮根と蓮の葉の中間にあります。

これは道統が中間である聖賢の間にあることを証明しています。

「道あれば明師なり、道なければ妄師なり。」と言われているのは、すなわちこの時代を指しています。

午未(うまひつじ)の交替期とは、すなわち紅陽と白陽の交替期です。

紅陽の末法と白陽の正法接続期が現代の時代です。

元亨(げんこう)あれば利あり、春夏あれば秋あり、青・紅陽あれば白陽あることは当然であります。

以上が紅陽の簡単な説明ですが、更に白陽時代の状態と災難・厄運を述べてみます。

続く