真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

【Ray:行政は市民評議会の事務局に!】日本の行政は…

2023-02-25 21:53:46 | 新しい時代の統治・金融システム・BPPF(個人年金基金)

国家や地方財政の崩壊を演じるDSに対し、国家も地方財政の負債も事実上はチャラになっています。

新しい金融システムが国際的に合意されるまでは、旧体制のまゝで進行しなければなりません。

鍵となるのが国際的(特に中国)な高齢化及び年金問題に対する国際的な常識の補完です。

嘱隷社会から個の尊厳に大転換している最終段階に人々の生命が脅かされている中、健康と教育がまず大事な課題です。

公務員は給与を払う親方日の丸意識を脱しなければならず、コロナ対策で確認されたように意識が低い立場に追い込まれています。

健康(食・医療・福祉)問題や教育問題は、DSが最も力を入れている分野で、国や行政を頼りに改革することは期待できず、市民サイドで解決しなければなりません。

古代から培われてきた共和制は、偽旗ではなくコモン・ローという市民憲法や議会制民主主義という思想で実現化を目指してきた人類ですが、その機能を担ってきたのが「市民による評議会」です。

健康問題も大企業による食品薬害、医療薬害・・・、そして教育では奴隷社会を維持するためのシステムによって社会・家庭の隅々まで汚染されています。

これらの大問題を浄化するには、「市民による評議会」の立ち上げが急務です。

勿論、実際の社会システムで実践されている「裁判員制度」など現実問題に対処する形で、変容可能なあらゆるシステムが実績を踏まえて位置に付ける段階にあります。

社会が今相互に交流できているのは、こうした先人の知恵の素地が機能しているからで、DSなどが消滅したときに直ちに立ち上がることができるわけです。

人々の心の覚醒と相まって、日本の地域復興が世界モデルとして陽炎のように萌え上がってきます。

AD

日本の行政は…


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五戒~四、淫戒(二)

2023-02-25 21:51:53 | 五戒~活仏師尊慈訓

淫戒(二)

十、まだ結婚していないなら、現在この家をうまく経営して初めて別の家に行って経営することができます。

夫婦、父母、家庭は、みな有縁だからこそ集まっています。

この縁を円満にする方法を考えることです。

この縁を重荷と見なして、逃避してはいけません。

もし今世で円満にならなければ来世又一つの孼縁となります。

十一、一切の婚姻は必ずその因縁に従っています。

いかなる人であっても他人の因婚を羨ましがったり、結婚はとてもいいと言って、人に結婚に導いたりしてはいけません。

又、人の結婚に極力反対してもいけません。

その人にはその人の縁があるのですから、その因縁に従って行われなければなりません。

自然に発展することがよいのです。

十二、離婚した人の眼の前で自分たちの結婚は幸せと自慢してはいけません。

十三、道場を恋愛の場所と思ってはいけません。

なぜなら仏堂は清らかな場所なのです。

もしお互いに有縁であれば、外で交際してもいいのです。

十四、青年男女は身を潔く、自愛しなければなりません。

婚姻は父母の意を経て周公大礼を行った後、始めて正式な夫婦となります。

婚前に男女関係があってはいけません。

十五、淫は宇宙間で最も人を束縛するものです。

もし断つことができないなら仏の観想法を用いて使ってみるとよいです。

人の体を観想すると最も不清浄です。

鼻水、なみだ、大小便…などどれ一つでも汚穢出ないことはありません。

水商売をしている女郎に対して観想を行うと、彼女は私達の累世の父母姉妹です。(一切の六道衆生は皆、私達の累世の父母なのです。

進入し、犯すことはできません。

金銭で取引する邪淫の行為は最も不道徳です。

十六、馬に乗った時の振動は、容易に淫欲をうみます。

又、動物虐待でもあります。

修行人は牧場で馬に乗ってはいけません。

十八、淫を犯した果報

(1)三悪道に堕ちます。

それは禽獣の行為で倫常に背きます。

(2)生きている時は、妻は貞淑ではありません。

友達の奥さんと戯れてはいけません。

そうしないと将来の自分の妻、娘も人に遊ばれます。

鳥の巣やアリ塚などを破壊してはいけません。

そうでないと結局ある一世で翻弄されて、家は破壊され、人は滅ぼされます。

(3)淫慾は因をなし、生死は果をなします。

菩薩行を修めるなら先にこの関門を断たなくてはいけません。

菩薩は因を畏れます。

もしまだ淫慾があるなら、因縁は中断されずに、結ばれておりますので三界を超出し、生死を了脱することはできません。

しかし夫婦の男女関係を断つことは容易なことではありません。

ただ持戒でき、人道をきちんと行い、正当な結婚であれば大丈夫です。

「慾」は人体の自然現象なので、抑圧するより緩和を保持し、もって生理の変態を引き起こさないようにします。

十九、戒淫の果報

(1)諸根に調和がとれ、動態より永遠に離れ静態になり、禅定が多くなって、真の智慧が増加する。

(2)(邪淫を戒める者は)生存中は、父母や、親族や、妻や身内のものは純潔でごたごたしていません。

目上によく仕え、父母に孝養を尽くし、兄弟と仲良くし、祖父母に孝行します。

又、女性は過失から離れ、諸々の衆生を再び悪に染まらせません。

(3)人天が尊敬し、皆の賞賛を得ることができます。

(4)(正淫を戒める者は)成仏して相貌は端荘です。

(5)生死を解脱し、早く菩提を証します。

続く


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天道推奨~(三)天道問答録 1

2023-02-25 21:50:27 | 天道推奨

Ray:文中、漢字につけるフリガナが、日本語の音訓と違うことがありますが、中国語の漢字の意味を日本語に意訳する為です。正式な聖訓は漢字で降ろされますので、西洋文化に慣れ親しんでいるため日本人本来の感性を失っていることは否めません。この機会に漢和辞典などを活用され、文字の持つ自由な世界を取り戻して頂ければと思います。

問:心さえ正しくすれば良いのに、殊更(ことさら)に得道の必要がありますか。

答:本当に心正しい人であるならば、正しい道の判断と認識ができる筈であります。

根が善縁なれば多弁せずとも、正しい生き方に目覚め、勇躍(ゆうやく)して法を求め、力を尽くして斯道(しどう)、興隆(こうりゅう)の為に計るべきであります。

まして天道は、われわれの善悪、是非を明らかに照らす鏡であります。

天道有りてこそ、真なる心性(こころ)の姿が映し出され、悪を矯正できるのであって、道を失っては心を正すことはできません。

道を心の尺度として常に道と一体に溶けあうべきで、道を離れたら忽(たちま)ち目標が狂い、中心がぼやけてしまいます。

自分の眼で何故(どう)して自分を正しいと見(み)、断定できましょうか。

殊(こと)に善良な人であれば、尚更(なおさら)、深く世道人心を懐(こころ)としている筈であります。

今や時勢はすっかり澆漓(おちぶれ)、道徳倫理が頽(すた)れて、毒邪(どくじゃ)の気が満天に冲(ちゅう)し、種々の凶事(きょうじ)や災難を招来しています。当然、道を憂い、世を慨嘆(がいたん)する君子は、朝な夕な方法を構想して浄化挽回に挺身(ていしん)すべき時であります。

今また、天道が世に公やけに伝えられた時期にめぐり逢えたならば、欣然(きんぜん)として心身を委ねるべきであります。

且つ、得道の最終目的は、死を超え古里である理天へ還元するが為であります。地獄の苦痛と輪廻の惨憺(さんたん)さを逃離(とうり)させてくれるのがその大恩典(だいおんてん)であります。

若し、片意地に「心さえ良ければ」と言い張って、折角、天来の機会を逸(いつ)してしまうことなると、まったく惜しい限りであります。

「誰にも拘(かか)わりなく、迷惑をかけずに自分だけ善人であればよい。」と思っている人は真の正しい心の持主ではなく一人よがりの独善的な考え方であります。

意識していないだけで、冷静に考えれば一挙一動から一呼一吸に至るまで深く天恵と人助を蒙(こうむ)って活かせてもらっている筈であります。

この穢(よご)れた世に道なくして自己を潔(いさぎ)よくすることは染液(せんえき)に漬(した)して尚、白い生地を保つことよりも困難であります。

道の中には亦、道徳的なものと神秘的奥義の二種類があります。

前者は初歩的修学に属し、後者は究極的目的に属しています。

一般の人は道徳的のみに終始していますが、これらの功徳は来世に転じて、福の報いを受けるだけであります。

この福碌(ふくろく)には限界があって、受けるべき期間が尽きると、又(また)して苦厄(くやく)、患難(かんなん)に見舞(みわ)われなければなりません。

それに比較して、得道して明師から心眼を開かれ、幽玄(ゆうげん)の理を参悟(さんご)しますと、永(とこし)えに窮(きわ)まりなき福寿と栄光を享受(きょうじゅ)出来るのであります。

道を学ばずして徒に(いたず)らに善良だと自尊している人は反って逆で、孔子の曰(い)う「外面、忠実に見えて、内心、巧詐(いつわり)の人は実に道と徳を害する奸賊(かんぞく)である。」人間に該当することになります。

世の流れに迎合し、人々に媚(こ)びを諛(へつら)い、内に道義なく、外に貪求して已(や)まない類(たぐい)の人は偽善者(ぎぜんしゃ)で、尽くしている事は徳に似て、徳に非ずであります。

欲望を抱いては正、不正を計り難く、己(おのれ)の在り方も見極められないものであります。

道を心の糧としてこそ、天性に合致(がっち)し、至善(しぜん)、真善の境地に至って明徳を明らかにすることができるのであります。

続く


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023/2/20 ラジオ番組 沖縄防衛情報局 我那覇隆裕×我那覇真子

2023-02-25 12:59:51 | ONEメッセージ

2023/2/20 ラジオ番組 沖縄防衛情報局 我那覇隆裕×我那覇真子


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする