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【Ray:人類の叡智と技術は、すでに生活のすべてを無償にできます!それをはるかに超えています!】貨幣のいらない世界

2020-11-12 20:29:34 | 新しい時代の統治・金融システム・BPPF(個人年金基金)

転載:http://space.geocities.jp/gjdtk960/truthold/013.html

人類の夜明【理想世界への誘い】 かとう はかる、とても

[貨幣制度の弊害]

価値の消滅は、貨幣の存在を否定する理由になると老人はいうが、物の配分にはやはり貨幣は必要ではないだろうか?。私はこの疑問をぬぐいきれないでいた。

「経済とは『配分の哲学』であるといわれるように、経済を語る時にこの配分問題を避けて通るわけにはいきません。今日この配分は資本主義経済、つまり適者生存(優勝劣敗・弱肉強食)という最も原始的な手法によって行われているわけですが、その中心的役割を担っているのがこの貨幣制度なのです。それでは、貨幣はどうしてもなくてはならないものなのか、機能に注目しながらその存在意義を考えてみることにしましょう。

貨幣は太古の昔より私たちの生活にさまざまな便宜をもたらしてきましたが、貨幣にまつわる人間ドラマは決して楽しいものばかりではありませんでした。"金が敵の世の中"といわれるように、人生劇場で演じるテーマの殆どは金にまつわる悲劇であり、その悲劇は時代を問わず繰り返されてきました。それではなぜ、貨幣が必要なのでしょうか?。それにはまず、貨幣がどんな働きをしているか知らねばなりません。

貨幣は次のような職能をもちます。

1、交換価値を持つ

2、価値の尺度を表す

3、支払いの手段である

4、価値の貯蔵の役目をする

5、利潤を得る手段に利用される

6、あらゆる権利の決済手段あるいは交換手段として利用される

これを見ると貨幣は、私たちの生活に欠かせないように思えます。しかし、貨幣には次のような欠陥があります。

1、欲望を煽る道具となりやすい。

人を殺したり、傷つけたり、盗んだり、欺いたり、犯罪には必ずといってよいほどお金がからんでいる。これは貨幣が物だから起こる悲劇である。

2、正当な手段によらず、単に貨幣を操作するだけで利益を得んとするよこしまな心をつくってしまう。

ひたいに汗して働くところに価値があるのに、ただ金を動かすだけで利益を得ようなど、卑怯者、怠け者のやる所業である。これでは何に一つ肝心なものが身につかない。賭博・宝くじ・商品取引き・株式売買・為替取引などマネーゲームに熱中するかぎり、世に悲劇がつきまとうだろう。

3、焼失したり、破損したり、失う恐れがある一方、偽金をつくるうま味も存在する。

貨幣を紛失したり焼失してしまえば、ひたいに汗して得た労働対価がむなしく消え去る矛盾がある一方、偽金を造って労せず巨万の富を得る不合理もひそんでいる。

4、ひとたびインフレーションが襲えば、貨幣価値はまたたくまに失われる。

真面目に得た労働対価がこのようなことで失ってしまうなど、本来あってはならないことである。しかし、貨幣本位社会である限りこの矛盾はいつもついて回り、我々を不安におとしいれるのである。本当に価値あるものなら、どんな事態が起ころうと減ったり失ったりするものではないだろう。その意味でも、貨幣は本物の価値あるものとはいえないのである。

5、貨幣の退蔵は不況を呼ぶ。

貨幣の回転が早くなれば景気は良くなり、鈍れば悪くなっていく。つまり何かの原因で消費意欲をそがれれば、回転は鈍り経済は停滞へと向かっていく。その原因は多々あると思うが、現在のように物の生産が容易になった社会では、殆どが庶民のメンタルなものから引き起こされるといって良いだろう。最近では、それを打破しようと政府自らが景気振興を図るようになったため、戦前のような大恐慌は少なくなったが(公共投資や企業への補助、産業基盤の整備、社会福祉などの財政投融資)それでも景気の波はうねっており、それによって生みだされる失業も、インフレも、詰めれば貨幣弊害のひとつなのである。

6、貨幣は"物"であるだけに偏りが起こる。

発展途上国や後進国などの債務問題がとりざたされているが、我々の周りをみても、お金は力の強い者のところにあつまり、弱いところにはあつまらないという欠点を暴露する。これはお金が”物”だから起こる欠点である。物は念の強いところへ引きよせられる法則が働き、貧者は富者に押さえ込まれるという大きな不公平を生みだす。大国は人道主義を唱えながら、弱肉強食むきだしの経済戦争をくり返しているが、その結果はあきらかで、小国は戦いに負け莫大な債務をかかえ込むことになる。そこに人道精神があるといえるだろうか。これも、貨幣に縛られた限定経済の実態である。

7、通貨の増大(経済成長)は環境を悪化させる。

通貨の増大は消費の拡大であり、また経済成長を意味し国民が富むことでもある。たとえばインフレを考慮しないで、闇雲に消費をあおり通貨の回転を速めればできないことではあるまい。その見返りとして国民は富み、見掛けは豊かな社会を築くことができよう。しかしその豊かさは、自然の犠牲の上に成り立っているのである。

8、物である紙幣や硬貨は、印刷したり加エしたりまた保管手間が必要である。

大蔵省の印刷局で印刷される紙幣は、一日当たり二千五百億円、一年で約七十兆円だといわれている。近年紙幣の発行残高、つまり市中に出回っている紙幣は約四十兆円前後といわれているが、これを積み上げると富士山の約百八十五倍、六百九十キロメートルにも達するというから驚きである。(平成五年現在)これだけの紙幣を印刷し管理する手間は一体いかほどであろうか?。

9、表現できない価値も貨幣によれば可能となり,これが真の労役を踏みにじってしまう。

江戸時代不作で困窮した農民は、娘を売ってお金を作ったといわれる。いわゆる人身売買である。これなどは、実際表せるはずのない価値を無理やり金で表した典型的事例であろう。最近では暮らしに困らなくても、平気で体を売る若い女性が増えているといわれるが、これなども実情は違っても同列にかかげられるだろう。

また金さえ出せば、学歴や肩書やはたまた名誉までも手に入れられるという、不見識極まりないことがまかり通っているようだが、一見便利なお金の効用も、ここまでくると罪つくりの道具としかいいようがない。 

ところで最近、善意をお金で表そうという傾向があるが、そのお金の出所が不純であっても形としての善意はなりたち、金額の大きさによって世間もその人を認め、新聞も善意者としてほめたたえる。こうなると身を尽くして施す陰の小さな善意など、どこかに吹き飛ばされた形となり、”長者の万灯より貧者の一灯”などの諺も影の薄いものとなってしまう。

”お金は出すが汗は出さない“では、本物の善意とはいえない。誠の善意とは、汗を流して尽くす行為をいうのである。(汗して働いたお金の寄付は立派な善意となる)。

また生命保険などのように、命の価値を無理やりお金で表すのも大いに問題がある。なぜなら大金を受け取ることにより、その後の人生を狂わす危険性を作ってしまうからである。何度もいうように、お金はひたいに汗して勝ち得るもので、決して棚からボタモチ式に得るものではない。貨幣がエネルギー貯蔵の役目をするとすれば、その反作用によってシッペ返しを受ける危険性は大となろう。このように、貨幣は真の労役を踏みにじってしまうのである。

10、貨幣を用いることによって無用で雑多な職業が生まれてくるが、それが更に社会を硬直化させてしまう。

金貸し業、銀行、生命保険会社、損害保険会社、証券会社、不動産売買業、さらにその紛争を処理する司法書士、弁護士、検察官、裁判官など、本来無用の職業が花形職業として登場し、損得に揺れる社会にドッカリと腰を据えることになる。これらの職業は資本主義社会特有ともいえる存在であるが、この活躍の場が増えればふえるほど社会は混迷の度を深めていくのである。

11、貨幣はあらゆるつながりを分断してしまう。

昔から金の切れ目は緑の切れ目といわれてきたように、貨幣は人と人のつながり、人と社会のつながり、人と国家のつながりを断ち切ってしまう。つまり、何事もお金によって解決できる世の中では、人の誠意とか、真心とか、情味といった心を育てないのである。

[貨幣制度を撤廃する]

このように貨幣は、人の心を卑しくし多くの犯罪を生み出す厄介物となっているわけですが、どうしたことか人間はこの貨幣を手放そうとしません。どうも私たちは、貨幣というものが元々この自然界にあり、どうしても使用しなければならないような思い込みをしているようですが、これは人間が社会生活を営む中で必要に迫られ造られた純に人的なものなのです。ですからもし無くせるなら、一日も早く無くすべきなのです。もし貨幣がなくなり、一切の損得勘定ができなくなれば、人々の欲望は沈静化することでしょう。

ではどうしたら、この社会から貨幣を無くすことができるのでしょうか?。いうまでもなく、すべての価値が無くなったときでしょう。すなわち、

1、すべてのものがタダになったとき。

2、比較衡量する必要がなくなったとき。

3、損得や利害が生まれ無くなったとき。

もっとも、すべてのものがタダになれば比較衡量する必要もないし、損得や利害も生まれないわけですから、1と2と3は同じと考えてよいでしょう。

では六つの貨幣の職能のうち、価値尺度機能と交換価値機能に注目して下さい。今日貨幣が必要なのは、違う品物の価値あるいは違う労働力の価値(サービス、アイデア、技術も含む)を共通単位で測り、その差異を埋める必要があるからです。たとえば(A)という人が作った洋服と、(B)という人が作った靴下の商品価値は、今日の社会常識では明らかに違いますから、それを等価交換するわけにはいきません。でも貨幣に置き換えることによって、それができるのです。貨幣にはこのような価値尺度機能と交換価値機能があるわけですが、先程から話しているように、もしどんな物もどんなサービスも等価値なら、つまり純粋に奉仕労働力から生まれた物なら、価値はすべて同じになるので測る道具(貨幣)は不必要になってくるはずです。すべてものが同じ重さなら測る必要がないので秤がいらないように、すべての物の価値が同じなら、それを貨幣という秤にかけて測る必要はないということです。しかもその物やサービスが公的市場で扱われるなら、そこにもう貨幣などの介在物は必要ないでしょう。」

「それでは、価値の貯蔵は何がするのでしょうか?。」

「価値の貯蔵が必要ですと?。」

「そうです。私たちは貨幣を貯蓄することによって、必要な時に必要な分だけ物を買い取ることができるのです。もし貨幣がなければ、その役目は一体何がするのでしょうか?。」

「なぜ価値の貯蔵が必要でしょうか?。食べる物も、着る物も、住む家も、医者にかかるのも、教育をうけるのも、旅行をするのも、電気、瓦斯、水道、すべてタダなのですよ。それも、欲しい時にいつでも手に入れられるのですよ。そのような社会に、価値の貯蔵が必要でしょうか?。

私たちには、無限の価値を秘めた労働力という財産があるではありませんか。それは“打出の小槌”のように、なんでも生み出す財産なのですよ。その“打ち出の小槌”を持っている私たちに、なぜ貨幣が必要でしょうか?。

残りの貨幣の機能、つまり支払いの手段、利潤を得る手段、権利の決済手段といった機能は、資本主義社会ならでのものですから、無くてもなんら問題はありますまい。」

「では、欲しいものをどうやって手に入れるのですか?。貨幣がなければ買うこともできないではありませんか?。それともご老人は、物々交換か配給制度にでもしようといわれるのですか?。」

「いいえ、物々交換も配給制もいらない、実に理想的な配分システムがあるではありませんか?。」

「理想的な配分システム?。」

「そうです。あなたは家で食事をする時お金を使いますか?。」

「私が稼いだお金で食べるのに、どうしてお金が必要でしょうか?。」

「それでは、お子さんから食事代を取りますか?。」

「いいえ、家族の一員ですからお金など取りません。」

「理想的な配分システムとはそれなのです。」

「えっ!?。」

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