貌念心存豈英賢 貌念(びょうねん)心に存せば豈(あに)英賢(えいけん)か
視之弗見理妙玄 見れども之(これ)見えず理は妙玄(みょうげん)
前車之鑑當自警 前車(ぜんしゃ)の鑑(かがみ)正に自警(じけい)せよ
人體天真自然安 人(ひと)天心を體(さと)れば自然に安らぐ
解:
軽んじた念(おも)いが心に存在しているならば、英明な賢人とは云えません。
天道はこの肉眼で視れども見えず、この耳で聞こうとしても聞こえない非常に微妙な玄理(げんり)で誠心(まごころ)を以て悟るのです。
それで過去の修行者に鑑(かがみ)にして、先輩を軽視して、成功した修行者があるだろうか。
或いは先輩に随(したが)いて成就したのか、自分で慎んで修行し、人が天心を体(さと)って、天意に循(した)がっての行いならば、自然と安やらぎます。
若(もし)も先輩を軽視している念頭があるならば、その人の修行は正規の軌道をはずれたのです。憶(おも)うに
一、草木は根が無ければ長く保つことが出来ず、人は指導を受けなければ、その目的を達することが出来ません。
私達も前人の開荒(かいこう)によって始めて天道と縁を結び、自分の姿を見出して修行し出したのです。
だからその目標はまだ定まっていないし、道理も明らかでないから、どうしても前人の指導を受けなければなりません。
その恩に報いるに、前人を尊敬し、その辛苦(しんく)を体(さと)りて共に協力して天道を布(ひろ)め、後輩を指導して行くのです。
若(もし)も前人を軽視すれば、後輩にも軽視されるでしょう。
二、犯しやすい缺点
1,尊敬しない:功徳費(くどくひ)や賽銭(さいせん)の出入りを疑い、前人の品行を疑って尊敬しない。
金銭問題に対しては、その功徳費や、賽銭は、その人の誠心で出したので、上天ではその多少に対しても功徳簿に記入します。
若も先輩に暗昧(あんまい)な処があれば天譴(てんけん)を受けるのです。
故に諺(ことわざ)に、眞の布施は假(いつわ)りの和尚(おしょう)を怕(おそ)れずと言われています。
次に先輩の学歴、社会の地位、財勢(ざいせい)などは自分より劣っているからとで尊敬しない。
修行は学歴、地位、財力によって上下を分けてはいけません。
上天に親(しん)なく、惟(ただ)徳これを輔(ふ)す、と言われています。
そして前人の陰口を言い、後輩の道念を退(しりぞ)いたとなれば、この罪は軽くないのです。
2,悪意を以て批評す:人の噂(噂)は必ず確かめなければ、噂は噂を呼び、道紀(どうき)が乱れてきます。
若も先輩に缺点があれば、善意でこれを諫(いさ)めて正しくし、意見を聞いてくれなければ、自分は正しく謹守(きんしゅ)して修行に勵(はげ)むのです。
『人のふりみて我がふりをなおせ』
3,過ちを諫正(かんせい)せず:先輩に過失があるのを諫(いさ)めずに、却(かえ)って阿諛(あゆ:おべっか使い)をすると、先輩は錯(あやま)ちに又錯ちを犯し、後輩の道念に影響を及ぼすも、先輩を軽視しているに属します。
三、先輩に錯(あやま)ちあるを知って諌めなければ、その過ちは我にあり。
善意で諫正(かんせい)しても聞き入れないならば、その罪は彼自身が担い、天譴(てんけん)を逃れる事はできません。
※能(よ)く後輩の諫正(かんせい)を聞き入れて過ちを改める前賢は幾人か、能く勇気を出して善言を以て前人を諫正(かんせい)する後輩は幾人か?
続く