真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

十大願~六、貌視前人:先輩を軽視し

2023-11-02 20:02:03 | 十大願

貌念心存豈英賢 貌念(びょうねん)心に存せば豈(あに)英賢(えいけん)か

視之弗見理妙玄 見れども之(これ)見えず理は妙玄(みょうげん)

前車之鑑當自警 前車(ぜんしゃ)の鑑(かがみ)正に自警(じけい)せよ

人體天真自然安 人(ひと)天心を體(さと)れば自然に安らぐ

解:

軽んじた念(おも)いが心に存在しているならば、英明な賢人とは云えません。

天道はこの肉眼で視れども見えず、この耳で聞こうとしても聞こえない非常に微妙な玄理(げんり)で誠心(まごころ)を以て悟るのです。

それで過去の修行者に鑑(かがみ)にして、先輩を軽視して、成功した修行者があるだろうか。

或いは先輩に随(したが)いて成就したのか、自分で慎んで修行し、人が天心を体(さと)って、天意に循(した)がっての行いならば、自然と安やらぎます。

若(もし)も先輩を軽視している念頭があるならば、その人の修行は正規の軌道をはずれたのです。憶(おも)うに

一、草木は根が無ければ長く保つことが出来ず、人は指導を受けなければ、その目的を達することが出来ません。

私達も前人の開荒(かいこう)によって始めて天道と縁を結び、自分の姿を見出して修行し出したのです。

だからその目標はまだ定まっていないし、道理も明らかでないから、どうしても前人の指導を受けなければなりません。

その恩に報いるに、前人を尊敬し、その辛苦(しんく)を体(さと)りて共に協力して天道を布(ひろ)め、後輩を指導して行くのです。

若(もし)も前人を軽視すれば、後輩にも軽視されるでしょう。

二、犯しやすい缺点

1,尊敬しない:功徳費(くどくひ)や賽銭(さいせん)の出入りを疑い、前人の品行を疑って尊敬しない。

金銭問題に対しては、その功徳費や、賽銭は、その人の誠心で出したので、上天ではその多少に対しても功徳簿に記入します。

若も先輩に暗昧(あんまい)な処があれば天譴(てんけん)を受けるのです。

故に諺(ことわざ)に、眞の布施は假(いつわ)りの和尚(おしょう)を怕(おそ)れずと言われています。

次に先輩の学歴、社会の地位、財勢(ざいせい)などは自分より劣っているからとで尊敬しない。

修行は学歴、地位、財力によって上下を分けてはいけません。

上天に親(しん)なく、惟(ただ)徳これを輔(ふ)す、と言われています。

そして前人の陰口を言い、後輩の道念を退(しりぞ)いたとなれば、この罪は軽くないのです。

2,悪意を以て批評す:人の噂(噂)は必ず確かめなければ、噂は噂を呼び、道紀(どうき)が乱れてきます。

若も先輩に缺点があれば、善意でこれを諫(いさ)めて正しくし、意見を聞いてくれなければ、自分は正しく謹守(きんしゅ)して修行に勵(はげ)むのです。

『人のふりみて我がふりをなおせ』

3,過ちを諫正(かんせい)せず:先輩に過失があるのを諫(いさ)めずに、却(かえ)って阿諛(あゆ:おべっか使い)をすると、先輩は錯(あやま)ちに又錯ちを犯し、後輩の道念に影響を及ぼすも、先輩を軽視しているに属します。

三、先輩に錯(あやま)ちあるを知って諌めなければ、その過ちは我にあり。

善意で諫正(かんせい)しても聞き入れないならば、その罪は彼自身が担い、天譴(てんけん)を逃れる事はできません。

※能(よ)く後輩の諫正(かんせい)を聞き入れて過ちを改める前賢は幾人か、能く勇気を出して善言を以て前人を諫正(かんせい)する後輩は幾人か?

続く


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