真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

道の真象

2020-05-22 16:11:43 | 道すなわち真理

天地の創造される以前には、宇宙は渾然としたエネルギーで、混沌として、一つとして形のあるものはなく、音もせず、臭いもなく、極めて空虚であって、至って玄妙なものです。

道祖曰く、天地の創造される以前は名称がなく、即ち◯・円(えん)の様なものとしました。

名のある物は万物の母であって、即ち「一」の字のようなもの、道の偉大さは名状しがたいが、強いて名づけて「道」と言いました。

円は「一」の静止状態であり、一塊(かたまり)の玄理であって、これが道の全貌です。

一は円の動態です。

この一を根本とし、それが散ずると萬物が生成されました。

これが道の運用です。

円が動けば一を生じ、一が縮まれば「・点(てん)」となります。

・点が伸びれば一となります。

即ち、円、一、点、は動静・伸縮の像であって変化して窮まりありません。

これらのものが宇宙に充満して、一となり、これを巻いて固めると點となります。

即ちその偉大なこと際限がなく小さいこと内腔がない、宇宙に存在する物、貫通されないものはなく、包容(ほうよう)しないものはなく、これが宇宙に充満し、森羅万象包んで、しかも真に空虚で微妙なものであって、あらゆる霊の主宰であります。

これが天にあるものを「理」と称し、人にあるものを「性」と言います。理は万物に共通の性であり、性は万物が具えている「理」であります。

人はそれを持っていますが、持っていることを自覚していません。

これを悟るものは神、聖人となり、これに迷うものは鬼の世界に墜ちて行きます。

故に曰く、千・万の経典を読破するよりも一点を知ることを良しとします。 

この一点は四方を統合して万善を兼ね持ちます。

人を思いやる心は仁の始めであり、悪を恥じる心は義の始まりです。

正邪をわきまえる心は智の始まりであり、人に譲る心は礼の始まりです。

仁義礼智の中心に信があります。

すなわち、


    智
    |
  義 ― 信 ― 仁
    |
    礼

 となります。

その深長な意義は味わって猶つきないものがあります。

故に老子曰く、大道は形がないが、天地を生成する。

大道は感情がないが、太陽や月を運行して分秒も違わない。

大道は名前がないが、万物を永久に養育する。

天地生成前、道がその体系を形造り、天地生成後に道はその効用を広げました。

イエス曰く【吾は道であり、真理であり、命である。誰もわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。】

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