二、殺戒(一)
一、刀を持って人を殺したり動物を殺したりすることだけが「殺」と言うのではありません。
ささいな心の動きに注意しなければやはり「助殺」(殺の行いに手を貸すこと)の業を犯します。
二、「殺」にはたくさんの種類があります。
自殺、他殺、誉め殺し、見殺し、などはすべて殺です。
三、くれぐれも意識の中に自殺の種子を植えてはいけません。
そうでないと少なくとも七回連続で自殺するという後果を造ってしまいます。
若い男女があきらめきれず「同年同月同日に生まれる事ができないなら、同年同月同日に死ぬことを願います。」ほどなく連体児が生まれる可能性があります。
四、有情は貴重なものです。
性命の貴さに勝るものはありません。
物命を救うためにはまず最初に殺を戒めます。
菩薩の萬行は大悲をもって基本となします。
ゆえに殺を戒めなければなりません。
五、もしも全台湾の人々が殺を戒めて素食にすれば、二年たたないうちに必ず五穀は豊穣になり、農夫も農薬を噴霧する必要はありません。
数千年前の堯・舜時代は農薬はなかったにもかかわらず、やはり五穀は豊穣でした。
六、農薬を売る人は、農民の五穀豊作をたすけるけれども、たくさんの命を殺すので、やはり因果は存在し、たがいに恨みを報いあうようになります。
果報には現世の報い、来世の報い、何世も後の報いがあります。
例えば野菜を栽培するとすぐに収穫できますが、果物を栽培すると何年もたってから実を結びます。
七、もしある人があなたに堕胎したいと言って、あなたが「よい、よい、堕ろしなさい。」と言ったとすると助殺の果報があります。
八、宴会の時に、もしあなたが「いっぱい殺したね、いいですね料理がたくさんで。」と言ったり、あるいは息子や嫁の結婚で肉魚を出しても良いかと聞かれてあなたが同意すれば、すべて助殺になります。
九、漢方薬の商売をしている人は、もし動物成分が入っている場合、この薬はたたその人の病を治すという信念を持ち、その人が殺戒を犯すことを希望しません。
然しくれぐれもその人に鶏やアヒルやスッポンなどを煮込むように言ってはいけません。
その人がもし尋ねたら「必要ではない」など言葉を用いて説明しなければなりません。
でなければ助殺を犯し、自ら因果を負うことになります。
例えばある人がまちがってやくざに殺されたりするようなことは、すなわちはかりしれない劫が来る前の助殺の果報です。
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