淫戒(二)
十、まだ結婚していないなら、現在この家をうまく経営して初めて別の家に行って経営することができます。
夫婦、父母、家庭は、みな有縁だからこそ集まっています。
この縁を円満にする方法を考えることです。
この縁を重荷と見なして、逃避してはいけません。
もし今世で円満にならなければ来世又一つの孼縁となります。
十一、一切の婚姻は必ずその因縁に従っています。
いかなる人であっても他人の因婚を羨ましがったり、結婚はとてもいいと言って、人に結婚に導いたりしてはいけません。
又、人の結婚に極力反対してもいけません。
その人にはその人の縁があるのですから、その因縁に従って行われなければなりません。
自然に発展することがよいのです。
十二、離婚した人の眼の前で自分たちの結婚は幸せと自慢してはいけません。
十三、道場を恋愛の場所と思ってはいけません。
なぜなら仏堂は清らかな場所なのです。
もしお互いに有縁であれば、外で交際してもいいのです。
十四、青年男女は身を潔く、自愛しなければなりません。
婚姻は父母の意を経て周公大礼を行った後、始めて正式な夫婦となります。
婚前に男女関係があってはいけません。
十五、淫は宇宙間で最も人を束縛するものです。
もし断つことができないなら仏の観想法を用いて使ってみるとよいです。
人の体を観想すると最も不清浄です。
鼻水、なみだ、大小便…などどれ一つでも汚穢出ないことはありません。
水商売をしている女郎に対して観想を行うと、彼女は私達の累世の父母姉妹です。(一切の六道衆生は皆、私達の累世の父母なのです。
進入し、犯すことはできません。
金銭で取引する邪淫の行為は最も不道徳です。
十六、馬に乗った時の振動は、容易に淫欲をうみます。
又、動物虐待でもあります。
修行人は牧場で馬に乗ってはいけません。
十八、淫を犯した果報
(1)三悪道に堕ちます。
それは禽獣の行為で倫常に背きます。
(2)生きている時は、妻は貞淑ではありません。
友達の奥さんと戯れてはいけません。
そうしないと将来の自分の妻、娘も人に遊ばれます。
鳥の巣やアリ塚などを破壊してはいけません。
そうでないと結局ある一世で翻弄されて、家は破壊され、人は滅ぼされます。
(3)淫慾は因をなし、生死は果をなします。
菩薩行を修めるなら先にこの関門を断たなくてはいけません。
菩薩は因を畏れます。
もしまだ淫慾があるなら、因縁は中断されずに、結ばれておりますので三界を超出し、生死を了脱することはできません。
しかし夫婦の男女関係を断つことは容易なことではありません。
ただ持戒でき、人道をきちんと行い、正当な結婚であれば大丈夫です。
「慾」は人体の自然現象なので、抑圧するより緩和を保持し、もって生理の変態を引き起こさないようにします。
十九、戒淫の果報
(1)諸根に調和がとれ、動態より永遠に離れ静態になり、禅定が多くなって、真の智慧が増加する。
(2)(邪淫を戒める者は)生存中は、父母や、親族や、妻や身内のものは純潔でごたごたしていません。
目上によく仕え、父母に孝養を尽くし、兄弟と仲良くし、祖父母に孝行します。
又、女性は過失から離れ、諸々の衆生を再び悪に染まらせません。
(3)人天が尊敬し、皆の賞賛を得ることができます。
(4)(正淫を戒める者は)成仏して相貌は端荘です。
(5)生死を解脱し、早く菩提を証します。
続く