本日、庚申山荘でもう一泊し、明日の朝一番で銀山平へ下山するか?
それともヘッドライトで二時間ほどの夜間下山を試みるか?
急速に夜が迫って来る中、ザックを下ろして休憩を取りながら打ち合わせです。
私もK君も何度か夜間登山、夜間下山の経験があり、庚申山荘から銀山平の道は
地元の私が何度も通ってよく知っています。
特に危険箇所も無く、体力的にもまだ余裕が残っているので夜間下山決行で意見は一致。
そうと決まれば腰を落ち着けて夜間装備を整え、最後のカロリー補給をしました。
山荘にデポしておいた大型ザックに荷物をまとめ、気を引き締めて出発です。
下山は200ルーメンの明るいヘッドランプを持つ私が先行し、昨夜電池をかなり使っていた
K君はライトの光量を絞って後追いとしました。
結構なハイペースで岩の階段を抜け沢を渡り、二人とも声を掛け合いながら闇の中をぐいぐい
進みます。
「そこの岩、浮石になってるよ」「ラジャー!」
「倒木ありー!」「ラジャー!」
「ファイトォ~~!」「いっぱぁ~~つ!」
息が合ってるというかなんというか、変なテンションとグルーブ感に包まれての下山です(笑)
あっと言う間に登山口の鳥居が見え、林道に入る頃には、少なくとも私の方は何年もずっと一緒に
山行をこなして来た仲間のような連帯感を感じていました。
林道に入ると同時に小雨が降り出し、カッパを羽織りましたが、ここでトラブル発生。
突然、私のヘッドライトが消えてしまいました。どうやら防水蓋をちゃんと閉めていなかったようで
完全に私のミスから来た故障です。
この時点でK君のヘッドライトは電池消耗で豆電球のようにか細い光となっており、足元が
かろうじてボンヤリ見えるくらいの明るさ。
安全な林道とは言え、雨が降っていて星明かりも皆無の漆黒の闇です。おまけにガードレールの
向こうは数十メートルの断崖渓谷になっていて間違って転んで乗り越えたらアウトという状況。
とりあえずK君のライトで見えるうちは進み、いざとなったら私のエマージェンシーシートを二人で
被って夜が明けるまでビバークと決めました。
そこからは残ったか細いライトの明かりを頼りに、お互い経験してきた山の話をしながら歩きました。
ちなみにその林道は昼間見るとこんな感じです。
やがて銀山平の駐車場の明かりが見えてきて、なんとか無事に到着。
ヘッドライトもギリギリセーフです。
街灯の下でガッチリ握手を交わしながらK君が言いました。
「良かったら連絡先交換して、これからも時々一緒に登りませんか?」
ところが、私にとっても願ってもないK君の申し出だったはずなのに
何故か私は断ってしまいました。
「ありがとさん。でも、自分はまだしばらくソロ登山で行きたいんだよね」
こうして青年とオッサンの二人三脚山行は幕を閉じました。
あの時、なぜK君の申し出を断ってしまったのか自分にもよく分かりません。
登山者としてのレベル、山行スタイル、歩行ペースも自分と近いものがあり、会話も楽しかった。
お互いが相手に依存することの無い理想の二人パーティが組めたと思います。
これからより難易度の高い険しい山、より深い雪山にチャレンジする場合、ソロでは限界があり
苦労しながら一緒に登山レベルを上げて行けるパートナーはそう見つかるものではありません。
K君も同じ思いだったのではないでしょうか。
もし、この先どこかの山でK君と会うことがあったら、その時は申し出を断った非礼をお詫びして
自分からパーティをお願いしたいと思っています。
とは言え、自分はもう五十過ぎ。いつまでK君のペースに着いて行く体力が維持できるかは
分かりませんが。
例え再びK君と登ることが無くとも、彼にはずっと無事に山を登り続けていてほしい…そう願ってます。
笑顔で皇海山山頂に現れたK君。お互いクラシックルートを抜けて来たソロ同志。
混雑する山頂の隅で一緒に食事をしながら話もはずみます。
「いや~あそこの鎖場やばかったですね」
「あそこはヤバよ。岩も脆いし足滑らせて落ちたらあの世へ超特急だね」
「すれ違う人みんな俺の顔見て、どうしたんですか?大丈夫ですか?って聞くんですよ」
「そりゃそうだ。腕も顔もたった今滑落しましたって感じの傷だもん。
スボン破けてシャツも昨日の血がついてるし(笑)」
二人で笑いあいながら飯を食べ、これから笹藪漕ぎが待つ後半戦に向け鋭気を養います。
K君の年齢は三十を過ぎたばかり。登山暦は2年ほどですが、かなりの山を経験しています。
前日に滑落して登山を続ける事に眉をしかめる人もいるかもしれませんが、自分はそれに
ついてとやかく言う事はしません。見たところ擦り傷だけですし、その先行けるかどうか判断する
のは自分自身なのです。判断を下すのは他人ではない…それがソロ登山だと思います。
そして今のK君は難関ルートを抜け、私以上に活力がみなぎっている。
話していて、その若さとバイタリティが眩しいとさえ感じました。
食事が終わると、私が一足先に出発し、またそれぞれのソロ登山者に戻ります。
その後、鋸山に登り返し別ルートに入って悪名高き六林班峠の笹藪を抜けます。
背丈ほどもある熊笹を掻き分け、見えない足元の倒木トラップに悪態つきながら、
道迷いしないよう時折GPSで位置とルートを確認して慎重に慎重に…
六林班を抜けると、山腹の笹をいくつもの沢を越えながらトラバースするルートに変わります。
大きめの沢のほとりで大休止。ザックを下ろし、浄水ボトルで沢水を飲みながら行動食の
チョコレートとドライフルーツをかじっていると、K君が追いついて来ました。
余談ですがこの浄水ボトル、カタダイン社のビーフリーという製品で濾過性能が高く、
細菌やウィルスまで除去するという優れも物です。本当にそこまでの濾過性能があるかどうか
は確かめようもありませんが、これを使って今まで腹を下した事は一回もないです(笑)
コンパクトで処理水量も多く、災害時も極限状態になったら役立ちそうです。
K君とまったり休憩しながら話し、この先のルートを一緒に行動する事にしました。
休憩中やテント場、山小屋では他の登山者と話すのは好きですが、行動中は単独を好む自分
としては珍しいことです。
そのくらい彼とは意気投合し、波長が合ったという事ですね。
それからはK君が先行でペースを作り、笹やザレ場で滑るいやらしい斜面は自分が先行する
二人三脚の下山が始まりました。
道中いろんな話をしながら、それでも結構なペースで飛ばしましたが…
恐ろしい事にこのトラバースコースは標準コースタイムを大きく巻けないんです。
例えば今までなら標準コースタイム三時間の所を二時間から二時間半まで巻く事は可能でした。
そのくらいの山行経験と体力作りはしてきたつもりです。
それが行けども行けども同じような風景のトラバース道が続き、なかなか距離が縮まらない。
決してペースを緩めているわけではないのに。
だんだんと辺りは暗くなってきて、いつまでも続く登山道と風景の既視感に、
まるで抜け出せない迷宮に迷い込んでしまったような錯覚に陥ります。
これは二人して、世にも奇妙な出来事の世界に入り込んでしまったか?
そんな不安がよぎった頃、ようやくトラバース道が終わり庚申山荘に戻る道に入りました。
本日スタートした庚申山荘まで戻れたのは午後六時過ぎ。ほぼ日没の時間です。
急速に夜の闇が支配して行く中、私達はひとつの決断に迫られる事になります。
つづく
えー本来、この記事は前中後編の三回で書き終えるつもりでしたが、書いているうちに
長くなってしまい、完結は次回になってしまいました。
申し訳ありませんが、宜しければ今しばらくお付き合いをお願いします。
前回記事からの続きです
流血している彼を見てさすがに驚きましたが、以外にも自分の口からは冷静な言葉が出ました。
「骨折はしてないですか?」
「大丈夫です。」
「外から見ると顔が血だらけだよ。まず、綺麗に水で洗って消毒しないと。血は止まってる
みたいだけど…救急用品は持ってる?」
「持ってます。大丈夫、自分でやれます」
「わかった。今、談話室は人が大勢いるから騒がれたくなかったら入らない方がいい。
玄関入ったら通路をまっすぐ、突き当りを右に行けば炊事場があるから。
山水だから、洗った後はしっかり消毒してね」
「ありがとうございます。顔洗って食事してきます」
そう言って会釈すると彼は山荘の中に消えて行きました。
その後もしばらく一人ウィスキーを飲みながら、星空を眺めていると、再び彼が出てきました。
血は綺麗になりましたが、顔や腕は痛々しい擦り傷がついています。
とても絆創膏で隠せるような傷ではありません。
以後、彼のことを便宜上K君と書きます。本名とは何の関係まなく、庚申山から取ったK君です。
「先ほどはありがとうございました。」
「大怪我も無く自力下山できて良かったね。」
その後、しばらく彼と話し込みました。
どうやら明日皇海山クラシックルートに挑戦する前哨戦として、夕方に庚申山のお山巡りコースに
入っていたようです。
上の写真がお山巡りコースの案内図で、私も以前に行ったことがありますが
その牧歌的でふんわりしたコース名とは裏腹に岩をくぐったり鎖場や梯子が連続する、
なかなかチャレンジングなルートで、入り口の看板には初心者が入らないよう注意を促す
一文があります。
このお山巡りコースを抜け庚申山登山ルートと合流し下った後、急斜面をトラバースする
足場の細い道でK君は足を滑らせたようです。
滑落は急斜面の途中で止まり、散乱したザックやヘッドランプを拾い集め登山道まで這い上がった
とのことでした。
この時のK君の人懐っこくも、滑落を大げさに誇張して武勇伝に興奮するわけでもない、自己を
反省しながら礼節をわきまえて話す姿勢…掴みどころが無い感覚に、不思議と
人としての魅力みたいなものを感じ、引き込まれました。
ひとしきり話し、遅くならないうちにお互いの寝床に戻って就寝です。
翌朝、日の出と共に活動を開始し、朝食を作って支度を整えます。シュラフや大型ザックなど
不要な物は山小屋にデポジットして、最小限の軽量装備でこれからの長い難ルートに備えます。
小屋を出て庚申登山口に差し掛かる前、振り向くとK君が玄関から出てくるのが見えました。
これから身支度して下山するんだろうなと、この時は勝手にそう思っていました。
その後庚申山を登り、危険な鋸山を抜け、長い緊張の連続ですっかりK君の事は頭から離れて
いました。
彼の事を思い出したのは皇海山に登頂し、バーナーで湯を沸かして昼食のラーメンを作って
いた時。
そういえばK君は無事に銀山平まで降りたかな?
無事とは言え、もし自分が前日滑落したらこのルートは精神的に無理だろうな。
またいつか、何処かの山で会いそうな気がする。
群馬県側からの登山者で賑わう山頂。
そんなとりとめもない事を考えながら食事をしていると、なんと山頂にK君が登ってきました。
私に気づくと手を振りながら「結局、登って来ちゃいました」
しっかりした足取りで中型ザックを担ぎ、あの長い難ルートを抜けて来たとは思えない
屈託のない笑顔で、突然にK君は現れました。
つづく