震災で犠牲になられた方々に哀悼の意を表するため、玄関に弔旗を掲げ、14時46分に1分間の黙とうを捧げました。
あの日、職員室の緊急地震速報を知らせるブザーが鳴った直後から相当大きな揺れが始まった。これが初期微動なら、主要動はただ物ではないはずと身構えていると、果たして、経験したことがない強い揺れが、永遠に続くのではと思うほど長い時間続いた。卒業式の練習のため、全校生徒と多くの職員がたまたま体育館に居て大きな混乱にならなかったのは幸運だった。停電にはなったものの、被害らしい被害は認められず、生徒たちが職員の付き添いで全員無事に帰宅したことを確認し、ようやくほっとしたことを思い出す。
しかし、その頃、太平洋沿岸を未曾有の大津波が襲っていた。多くの尊い命が奪われ、今もまだ行方が分からない人達がいる。家族や家を失い仮設住宅で暮らす人達、原発事故のために故郷を追われた人達。2年という歳月が流れても、普通の暮らしに戻れない人達が沢山いる。普通の暮らしに戻れたように見える人達にとっても、それは震災前のものとは違う。<o:p></o:p>
震災を風化させないため、新聞やテレビでは数日前から震災の特集をやっている。日常の中では震災への意識が正直やや薄らいでいたことに申し訳なさを感じながら、それらを見ている。その中で特に、被災した方々の行動にあらためて胸を打たれる。大きな犠牲を払い厳しい状況に置かれながらも、希望を失わず、周囲の人を気遣い、整然と落ち着いて助け合っていた。被災した人たちの大部分は、世界の人々が驚愕する立派な行動を、あたり前のことのように行っていたのだ。<o:p></o:p>
この人たちと同じ国に生きていることに誇りを感じるとともに、この人たちに恥ずかしくないよう、自分のできることをしっかりとやらなくてはならないと、意を新たにしているところだ。