100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

VOL84  明治の三陸の産業8 「宮古繭乾燥場」 (下閉伊郡宮古町)

2015-06-10 14:24:48 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)

「宮古繭乾燥場(林式)(下閉伊郡宮古町/現宮古市)

「蚕」から「繭」そして「絹」への道 Ⅲ (養蚕・蚕室)

繭を作るため、古来、蚕を育てる仕事が盛んに行われてきました。この蚕を飼育する工程が「養蚕」であり、卵から孵化飼育する稚蚕飼育施設が「蚕室」です。既に建物の写真はVOL80.81でご紹介したとおりです。蚕(かいこ)は、絹の原材料としてとても大切にされ、三陸では「おかいこ様」と尊称を付けた呼び方をされていました。前掲の写真のとおり、蚕室は温かく清潔に保たれていることが分かると思います。

「蚕」から「繭」そして「絹」への道 Ⅳ (乾繭)

昨年富岡製糸工場を見学に訪ねたとき、工場の敷地内にその年の大雪で崩壊した大きな建物がありました。それが繭乾燥場でした。さて上記の写真は宮古にあった繭乾燥所です。場所は定かではありませんが、もしかするとVOL78の宮古足踏製糸場の隣にあったのかも知れません。間口も高さもある大きな建物です。

養蚕による繭づくりの「乾繭(かんけん)」とは、蚕室で育った繭を乾燥されることをいいます。繭を乾燥させるのは、①繭の中の蛹(さなぎ)を生きたままにしておくと、5日もすると羽化して蛾になってしまうことと、②生繭は60%以上が水分なので、長期間貯蔵するとカビが発生し腐敗するからなそうです。残酷ですが繭を熱乾燥すると中でサナギはミイラ化し、管理さえしっかりすれば製糸まで何年でも取り置くことが可能となります。


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