「三浦農場其の1」(九戸郡葛巻村/現岩手郡葛巻町)
世界遺産の「高山社跡」とウリ二つ、全国共通の蚕室構造(換気用の天窓)
明治末期当時は九戸郡でしたが、なぜか現在は岩手郡となっている葛巻町にあった農場です。写真下部中央の看板には「三浦農場〇〇部第一養蚕場」と記してあります。すると建物はこの他にも第2第3の養蚕場があったのでしょうか。また〇〇部とあるからには当時の三浦農場には他にも部署があり様々な事業を手掛ける大きな農場だったのでしょうか。
建物は前回紹介した刈屋製糸場の蚕室とよく似た構造をしています。またこれらとよく似た建物を他でも見たことがあると思い、養蚕でネット検索したら、あの世界文化遺産に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」の一つ「高山社跡」(群馬県藤岡市)とウリ二つ(下写真)でした。高山社は明治17年(1884)に設立された養蚕の教育機関で、「清温育」という蚕の飼育方法確立し、その技術を日本全国及び海外にまで広めたそうです。清温育とは文字通り、蚕室の風通しを良くしかつ温めることによって蚕を育成する方法です。全国各地からたくさんの実習生が高山社で養蚕技術学んでそうなので、もしかすると三浦農場や刈屋の人達もいたかも知れません。
したがって、2階の屋根に換気用の天窓(小屋根)を設け、2階の部屋には通気性と採光の良い大きな障子戸があるとう建物の構造がうり二つなのは当たり前です。また三陸の山間部のような寒冷な地では、1階の火気によって2階を温めていたものと思われます。
「高山社跡」(群馬県藤岡市)
「三浦農場其の2」(九戸郡葛巻村/現岩手郡葛巻町)
さて本写真帳には三浦農場の写真がもう一葉ありました。葛巻の集落を見下ろす高台の桑園と思われます。そういえば私が幼少の頃、母の実家の山口地区(宮古市)にも、山の斜面のあちこちに桑畑があり、そこで桑の実をかじって遊んだことを思い出しました。さらに母の実家の高い天井には蚕棚があり、囲炉裏の火で温めていた記憶も蘇ってきました。今から50数年前のことです。