100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

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VOL58  明治の三陸名勝11 「黒森神社伯父杉」 (下閉伊郡山口村)

2014-11-24 14:50:08 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)

「黒森神社伯父杉」(旧山口村/現宮古市)

ここは屋久島、いや明治の宮古です

 この巨大な杉は、屋久杉ではありません。前回紹介した黒森神社がある黒森山の中腹に聳え立っていた杉の巨木です。その名を「伯父杉」といいます(他では祖父杉との表記もあるが、写真帖記載のまま)。

 黒森神社及び黒森山には、現在でも杉や樅(モミ)・萱(カヤ)の針葉樹の巨木が多数あります。境内に林立する杉の樹齢は1000年位、樅や萱の樹齢は1300年位と云われています。いずれも5m以上の幹回りで高さは20~30mはあり、その存在感に威圧されます。

20人余りの子供が手を繋いで1回り

 それらを遥かに凌ぐ超巨古木がこの写真の「伯父杉」でした。幹回りは、写真のとおり子供達20人余りが手を繋いで取り囲む大きさだったそうです(私が母方の祖父から実際に聞いた話)。

 その樹齢は3千年以上を超すものとも云われています(平成2年にもう一つの超巨木である「祖母杉」の調査が行われ、樹木医山野忠彦氏の鑑定では3千年以上とされ、伯父杉は祖母杉の倍以上の巨木であったので類推しました)。樹高はどれだけあったのかわかりません。

大正2年の落雷で焼失

 しかしこの超巨古木は、大変残念なことにこの写真撮影から間もない大正2年に、落雷による火事で焼けてしまい、現在は見る影もない無残な焼けぼっくいとなっています。もし現存すれば、国の天然記念物に指定されていたことは間違いないでしょう。

 さてこのブログの初期(VOL5/宮古測候所の項)に、「もし今でも宮古に残っていたらと思う7つの風景」と題して、私が勝手に選んだ今は無くなってしまった建物や風景のことを紹介しました。今回の「伯父杉」は勿論入ります。これまで計5つ(①宮古測候所 ②由ケ尻の洞門 ③宮古郡役所 ④下閉伊郡物産館公会堂)、残る2つも間もなくご紹介します。

「明治の三陸博覧会」記念写真帳とは?

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VOL57  明治の三陸名勝10 「黒森神社」 (下閉伊郡山口村)

2014-11-03 17:58:16 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)

「黒森神社」 (旧山口村/現宮古市)

 

 宮古駅(JR・三鉄)の正面に見える山が黒森山で、その名のとおり杉や樅・萱等の針葉樹に黒く覆われた山です。標高(309.9m)は決して高くはありませんが、周囲の山より突き出た三角形の山容は、昔から宮古沖を航行する船の目印となっていました。黒森神社は、その山腹に社を構えています。創建は明らかでありませんが、古来より宮古地域の信仰を集め崇められ、地元では「黒森様」の呼び名で親しまれています。私も母が旧山口村の出身でしたので幼少の頃何度か祭典に行きました。

 社自体は、何度か建て替えられ新しく大きくありませんが、次のように多くの遺物や伝承さらに神楽や巨木が残されています。

<遺物>

 山麓の発掘調査では、奈良時代の密教仏具が出土しています。また県指定文化財の1334(建武元)年の銘がある鉄鉢や、1370(応安3)年からの棟札多数や、南北朝初期とされるものから戦国時代の銘が入った権現様(獅子頭)が多数現存しています。学術的な裏付けもしっかりしており、黒森神社は信仰の場として千年を超える歴史があることは確かと思われます。

<伝承・伝説>

「義経北行伝説」 源義経一行が、平泉から逃げ延びていく途中に当神社にも立ち寄り、般若経を写経奉納したと伝えられています。(黒森山神譜)

「長慶天皇御陵説」 南北朝時代の長慶天皇の陵墓がこの黒森神社という説、但し同御陵と称する墳墓は全国各地に20カ所以上点在しており、真偽の程は定かでありません。

「坂上田村麻呂創建説」 これまた坂上田村麻呂の創建を称える神社は全国各地に多数あり、真偽の程定かでありません。

<巨木>

 黒森山には山名の由来となった針葉樹の巨木が今でも多数あります。写真中央の樹木は確か樅ですが、なんといっても「伯父杉」「叔母杉」が有名でした。詳しくは後日ご案内します。

 

 黒森山を行場とする修験山伏によって伝承された神楽で、前項の獅子頭の銘から室町中期の発祥とされています。修験のカスミ(旦那場)廻りの伝統を神楽巡業によって現代に受け継ぐ貴重な芸能で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

(私の店がある宮古市末広町商店街でも、毎年正月に門打ちと公演を行っています)

 

※黒森山の標高をネットで検索したら、310~340mまでまちまちでしたが、国土地理院の地図には309.9mとありましたので、これを採ります。

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VOL56  明治の三陸名勝 9 「公孫樹」 (下閉伊郡宮古町)

2014-11-01 17:51:44 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)

「公孫樹」 (旧宮古町/現宮古市)

 もう少し写真とタイトルに工夫が欲しいのですが…、私の母校である宮古市立宮古第一中学校の校庭にある公孫樹=銀杏の大木です。

 写真では貧相な様子ですが、実物は樹高18.5m、根元周囲12.4m、推定樹齢300年以上を誇る巨木で、樹勢も頗る盛んで夏には青々と葉が茂り、秋には黄葉の絨毯を敷いています。実は樹根部の中心は空洞になっており、その周りに大小8本の幹が束生して取り囲んでいます。また焼け焦げた跡のある古い根株も残っています。現在生育している公孫樹は、初代木から代を重ね、先代の根株から萌芽して成長したものと考えられます。宮古市指定天然記念物となっています。

 この公孫樹は、宮古の鎮守である横山八幡宮の丘の麓にあり、宮古の名の由来に深い関わりがあります。横山八幡宮略記曰く、今から約千年前同八幡宮の禰宜が阿波の鳴門の鳴動を鎮めた功により朝廷より「宮古」の名を賜り、帰着して手にしていた杖を境内の挿したところ芽吹いて成長したとされています。それ故「逆さイチョウ」の名で広く宮古市民に親しまれております。

 但し、地に挿した杖から根が生えて大きなイチョウとなったという「逆さ銀杏伝説」は、全国各地に十を超す数があります。一番有名なのは東京の麻布山善福寺の親鸞聖人の由来の銀杏でしょうか。

 またあまりにも写真帖の銀杏が貧弱なので下に現在の映像を添えます。

 

 

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