100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

VOL88  明治の三陸の産業12「耕地整理」 (上閉伊郡綾織村・下閉伊郡茂市豊間根村)

2015-08-12 17:30:22 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)

耕地整理/田」(上閉伊郡綾織村/現遠野市綾織

 

耕地整理/畑」(下閉伊郡豊間根村荒川/山田町豊間根

 

 <2カ月近く更新を休んでいましたが、再開します>

写真の綾織と豊間根の耕地が、現代と全く変わらず整備されているのに驚きました。この写真にトラクターが写り込んでいても何ら違和感はありません。

耕地整理とは確か中学校の社会地理の授業で聞いた記憶がします。私はてっきり戦後になって行われた事業とばかり思っていましたが、明治32年(1899年)に制定された耕地整理法に基づき、明治期に既に全国各地で実施されていたようです。小さく不整形な農地を一定の大きさに整理して、通路を整備して、当時であれば牛馬による作業が能率的に行えるようにしたり、用排水の利便性を向上させたりしたようです。

写真1の綾織村(現遠野市綾織)は、遠野盆地の西端に位置する田園地帯です。優美な綾織の地名は昔この地に天女が降りて綾を織り、その織物(曼荼羅)が地元の光明寺と云う寺に伝わることに由来しているそうです。この地区には南部曲がり屋代表である「千葉家住宅」や、柳田国男の遠野物語にも登場する「続き石」「羽黒石」などの巨石や猿ケ石川河畔の「桜並木」など遠野を代表する景観旧跡が数多くあります。


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