100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

VOL79  明治の三陸の産業3 「中村生絲揚返所」 (下閉伊郡岩泉村)

2015-05-03 04:01:20 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)

「中村生絲揚返所」(下閉伊郡岩泉村/現岩泉町)

 

「揚返し」とは、座繰や機械繰で繰糸器に巻き取られた生糸を、大きな枠に巻き直して綛(かせ)を作る施設です。この工程は糸の太さのバラつきを整え、余分な水分を飛ばすことで湿気により糸がくっつくことを防ぎ強度を上げるなど、品質の向上に欠かせないものです。

写真の中村製糸揚返所のことは詳しく分かりませんが、揚返所があるほどですから、座繰か器械式か大きな製糸場であったと思われますし、多分周辺の小さな工場から集荷して品質を整えて、生糸として出荷したと推察します。

生糸は、岩泉からは盛岡へ馬車などで運びそれから汽車で、宮古では宮古港から船で、それぞれ横浜に運び、それから海外に輸出されていました。

因みに三陸各地で育てた生糸に製品化する前の「繭」も、宮古港を始め三陸各地の港から、信州・上州その他の製糸工場に送られていました。その金額は宮古港の場合(明治43年)、生糸32,500円に対して繭84,600円と、原料のまま送られる方が多かったようです。

 

 


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