宮古が続きましたので、これからしばらく九戸郡から気仙郡までの写真をざっと紹介します。但し私は宮古の人間なので判らないところが多いので悪しからず。
九戸郡役所(岩手県九戸郡久慈町)
この写真は、明治45年に当時の九戸郡役所前で撮られたものです。
明治45年当時の九戸郡は、久慈町・長内村・宇部村・夏井村・山根村・大川目村・侍浜村・山形村(以上現久慈市)、種市村・中野村・大野村(現広野町)、軽米村・小軽米村・晴山村(現軽米町)、葛巻村・江刈村(現葛巻町)、戸田村・伊保内村・江刺家村(現九戸村)、野田村の1町19村体制で、人口は64,668人でした。
階段の突き当りに冠木門があり、門柱に九戸郡の文字が見えます。門柱の周りには木柵が巡らされ、人垣の隙間から白壁を見えます。おもしろいのは門柱の上の雪洞様の飾り、まだ電燈のない時代で、行燈にろうそくを燈したのでしょうか。
ところでこの写真の九戸郡役所はどこにあったのでしょうか、今回私はネットでしか調べようがなかったのですが、残念ながら分からず仕舞いでした。
もう一つの方法として、この写真帳の資料集の「九戸郡勢一班」に記載されていた郡役所の位置「東経141度44分、北緯40度12分」を国土地理院の地図経緯度検索http://watchizu.gsi.go.jp/index.htmlで調べたのですが、該当する所は天神堂あるいは寺里の山中もしくは山際で、昔郡役所があったような場所はではありませんでした。経緯度の誤植かも知れません。後日図書館等へ出向いて調べようとは思いますが、ご存知の方は教えて下さい。
九戸郡役所ですが、明治22年地図「八戸」、大正14年地図「八戸」、大正3年地図「久慈」には、巽山神社と思われる鳥居記号の北側付近に、営林署と郡役所の記号があります。どちらも高台の突端部に
記載されています。
現在の十段通り(新町商店街)から三船旅館脇の、巽山公園北側の階段を上がった最初の高台あたり、旧三船記念館所在地に、郡役所があったものと思われます。
郡役所の建物の写真としては、「九戸支廳」『九戸郡銘鑑』昭和5年久慈興信社、「九戸郡役所」『大正末期の久慈』昭和53年(社)久慈青年会議所(久慈町見取図にも巽山に郡役所記載)などにあり、2階建洋風建築のようです。