「淨土の濱」(下閉伊郡鍬ケ崎町/現宮古市鍬ケ崎)
淨土の濱 其一(下閉伊郡鍬ケ崎町)
淨土の濱 其二(下閉伊郡鍬ケ崎町)
淨土の濱海水浴場 (下閉伊郡鍬ケ崎町)
まず名称ですが、今では「浄土ヶ浜」と言い慣わしていますが、この写真帖では「ケ」ではなく「の」となっています。百年前はそのように呼んでいたのでしょうか。
さて我が宮古が誇る景勝地「浄土ヶ浜」の100年前はどんな様子だったのか、ワクワクして頁をめくると、アレ!ナンダコレ、残念ながら期待外れの写真でした。
全体的に露出オーバーなのか、写真は白く飛んでしまい景色が判然としませんし、また画角が狭く、入江全体をフレームに納める写真が一葉もありません。もっと入り江の奥に入ってカメラを構えれば良かったのになぜしなかったのかと訝っていたら、あることに気づきました。
撮影時は撮影機材を担いで入江の奥には行くことが難しかったのではないでしょうか。写真の2枚目と3枚目の左側の山の斜面は、現在は開削されてバスも通れる立派な道路となっていますが、この写真を見ると山裾が波打ち際まで届いているようです。もしかすると、2枚目の写真の薪は、燃料用に切り出したのではなく、波打ち際の斜面を開削して、道路を造る為に切ったもので、また3枚目の写真の竿は開削工事の測量用の竿かとも思われます。但し、2枚目の写真の海中の工作物は、埋め立て工事用のものかあるいは魚の仕掛け網なのかは判りません。
現在は三陸有数の観光地となっていますが、百年前はどのように利用されていたのでしょうか。3枚目の写真の説明には、「淨土の濱海水浴場」のタイトルがついており、左端に休憩所らしき建物の一部が写り込んでいるので、既に景勝地として広く知られ、夏の海水浴客などで賑わい始めいたのでしょう。それ故に道路工事も着手されたものと思います。
でも石英粗面岩の白い岩影は勿論、黒(青)い松林の生え具合も、100年前と今とほぼ同じです。約300年前に浄土ヶ浜の名を付けた雲鏡和尚が見たときも、1千年前・2千年前の風景もあまり変わりがないでしょう。その間何人の人がこの景色を見て、詠嘆したのでしょうか。そしてまた何度大きな波が押し寄せたのでしょうか……。