100年前の「明治の三陸」写真帖 明治の大津波から復興した三陸の姿を伝える

明治45年(1912年)に刊行された「写真帖」掲載の岩手県三陸沿岸の貴重な写真や資料を順次公開

VOL73  明治の三陸名勝26 「七瀧」 (下閉伊郡岩泉町)

2015-03-18 18:13:28 | 明治の下閉伊郡(現宮古市他)

(石館銅山より望む)七瀧」下閉伊郡大川村/現岩泉町大川)

 

「七瀧」は、Vol69に紹介した龍甲岩のある小本川河口を遡ること約40km奥の北上山地北部の中央に位置する岩泉町大川地区にあります。深山幽谷とまでは云いませんが、豊かな自然に囲まれた清らかな渓流が、約100mの川筋の間に大小七段の滝となって流れ落ちています。(残念ながら写真からは景観がよく伝わりませんので、東北観光スポットめぐり をご覧ください)

 大川は、秋の紅葉や冬の雪景色も大変素晴らしいものがありますが、私は新緑の時季をお薦めします。若葉の間にピンクの山桜や赤いツツジやが水面に映えます。また大川は、渓流釣りの名所で、シーズンともなるとたくさんの釣り人が竿を並べています。さらに最近ではカヌーで急流下りを楽しむ好ポイントともなっているようです。

 さて題の「石館銅山」とは、どのような鉱山であったのか?残念ながら調べが及びませんでした。写真の撮影場所は、下流の北側の山腹からと思えるのですが、国土地理院の地図にはそれらしき鉱山跡の記載もなく、ネット検索でも該当する鉱山名を見つけることはできませんでした。隣りの岩泉町小川地区には本銅という地名が残り本銅鉱山という名の鉱山があったことや、宮古市の田老地区には田老鉱山と云う大きな銅山が40年程前まで稼働していたので、この地区で銅の産出があっても不思議ではないので記載は確かと思えますが…。


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