「湧窟(龍泉洞)」(下閉伊郡岩泉町)
水が湧き出る岩窟なので「湧窟」とはこれまた直截的なネーミングです。写真が撮影された当時はそのように呼称されていました。実は私の岩泉の義父(大正生まれ)も以前はそのように呼んでいたそうです。また昭和13年(1938年)に国の天然記念物に指定されていますが、登録名は「岩泉湧窟及びコウモリ」のままなそうです。勿論現在は「龍泉洞」の名で広く知れ渡っていますが、はたしてこの名称はいつどのような経緯で付けられたのでしょうか?(ネット検索しましたが分かりませんでした)
さて「龍泉洞」は、山口県の秋芳洞と高知県の龍河洞とともに「日本三大鍾乳洞」の一つに数えられており、現在まで確認された距離は3631mで、中に世界一と云われる透明度41.5mの水深98mの第3地底湖や、水深120mの第4地底湖を始めとして7つの地底湖があるとても大きな洞窟です。
北上山地の広大な森に降った雨や雪は、地下の石灰岩層を通り、この地底湖に湧き出します。この天然ミネラルを多く含んだ水は、昭和60年(1985年)に日本の名水百選に選定され、岩泉町産業開発公社が製造する「龍泉洞の水」は私の愛飲のミネラルウォーです。
「酸素一番宣言」と「水と緑のシンフォニー」
岩泉町は、約993㎢と町では本州一の広大な面積を誇り、殆どが緑豊かな森林に覆われています。そして森林が産み出す酸素は、年間約107万トンと約400万人分の酸素呼吸量があると云われて、平成4年に「酸素一番の町」を宣言しています(その後平成の大合併で岐阜県高山市が岩泉の2倍以上、同じく宮古市も20%以上の面積を有することになったので、もしかすると現在は2.3番目かもしれませんが・・・ 年々過疎化が進み、人口は昭和45年(1970年)の約2.2万人から、現在約9,700人と激減しています。人と金は大都市に集中してどんどん二酸化炭素を排出し、片や岩泉や宮古は広大な林野から酸素を生み出しながら、地域から人が流出して衰退する一方です。少しは酸素排出交付金などの恩恵があっても良いのでは…)
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