旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行14 坂本宿~軽井沢宿

2012-05-20 | 中山道紀行

 

「坂本宿」 10:40
 息子との中山道の旅は、行程第14日目、前半のハイライト碓氷峠越えに挑んだ。
日帰り温泉施設の売店で買った熊除けの鈴をリュックに付け、坂本宿上の木戸をスタート。
坂本八幡宮は石造りの神橋が年月を感じさせる。多くの旅人が道中の安全を祈っただろう。

「堂峰番所跡」 11:05
坂本の集落最上部にある浄水所を過ぎると、中山道はR18から別れて刎石山に分け入る。
街道を往くと言うより正に登山の様相だ。しばらく登ると堂峰番所跡に差しかかる。
谷が迫った地形に道幅を更に狭くして、道の左右に石垣を設え同心を住まわせた。

堂峰を過ぎると道は更に狭隘かつ急坂になりる。堂峰から覗までが碓氷峠越え一番の難所。
まもなくピークが近づく辺りに柱状節理の露出と石碑群が見られる。

ここからの刎石坂が最もきついところ。滑り止めに角状に割った石が敷かれている。
十返舎一九が「たび人の 身をこにはたく なんじょみち 石のうすいの とうげなりとて」と詠んだ。

「覗」 11:25
刎石坂を上り詰めたピークが覗、その名のとおり今しがた登ってきた下界を覗ける。
坂本宿を貫く中山道(R18)が一直線に延び、宿場の下手を上信越自動車道の高架が横切る。
僅かな距離でずいぶんと高度を稼いだ。坂がきつい訳だ。
覗では、小林一茶が「坂本や 袂の下の 夕ひばり」と詠んでいる。
覗を過ぎると道は緩やかな尾根道となる。木立もいつの間にか杉からブナに変わり、
心地よい風が渡り、びっしょりとなった汗も引いていくようだ。

尾根筋に「馬頭観音」「弘法の井戸」と見ながら進む。

「刎石立場跡」 11:35
 刎石山の山頂直下に刎石立場跡、ここには4軒の茶屋があった。しっかり石垣が残る。
こんな山中の茶屋で休憩できるなんてなかなか粋、冷えた生ビールを所望したいところだ。

尾根筋を通る道は右に左に崖が展開する。「南向馬頭観音」は南側崖を見守り、
短い切通を通ると今度は北側が崖になり、当然に「北向馬頭観音」が見つめている。
場所によっては左右が崖になっている。人為的に更に道を狭くした「掘り切り」は、
小田原攻防戦時の防戦に備えた所である。

一里塚、座頭転がしの坂、栗が原と過ぎて、再び杉木立の中を往くと、入道くぼに珍しい
「線描き馬頭観音」が見られる。ここを過ぎてほどなく山中茶屋跡に差しかかる。
峠越えのほぼ半ばとなるこの辺は川水を汲み上げることができたので茶屋が開かれ、
寛文年間には13軒の茶屋と上段の間をもった茶屋本陣、更には寺までもあった。
明治に入っては小学校もできたそうで、今は屋敷跡、墓標、畑跡が残っている。

きつい山中坂を登り、「一つ家跡」「戦場ヶ原」を過ぎると碓氷越えもラストスパート。
旅人が身なりを整えた水場「化粧水跡」 が残り、軽井沢が近いことを感じさせる。
徒歩で小川を渡り、熊笹繁る尾根への道を登る、長坂を登り切ると神宮寺の「仁王門」跡。
国学者関橋守の「思婦石」があり、ここまで来ると上信国境はもう直ぐ。

「熊野神社」 13:45
 最後の坂を登り切るとようやく碓氷峠、日本武尊が「吾が嬬はや......」と詠嘆した地。
そしてここからは信濃路、長野県に入る。県境に鎮座するのは熊野神社、
正確には群馬県側に「熊野神社」そして長野県側に「熊野皇大神社」と並んでいる。

神社の鳥居前には元祖ちから餅しげの屋が、やはり県境を跨ぐように建っている。
長い山登りでお腹はペコペコ、こし餡と辛味だいこんで “ちから餅” が美味い。

熊野神社から軽井沢宿までは、細い山道と途中からは遊歩道となって下って行く。

宿場手前、矢ヶ崎川を渡った辺に芭蕉句碑、「馬をさへ ながむる雪の あした哉」とある。
「野ざらし紀行」 の中で、雪の降りしきる朝方、行き交う旅人の様を詠ったものだ。

「軽井沢宿」 14:50
 軽井沢宿は、概ねつるや旅館から旧軽ロータリー の間だが、何の遺構も標識もない。
軽井沢銀座の真ん中辺り、土屋冩真館さんには、明治の頃からの写真が展示されていて、
宿場の様子をある程度窺い知ることができる。
旧軽ロータリー付近には一里塚、本陣は軽井沢郵便局付近にあったそうだ。
碓氷越えは坂本宿から熊野神社を経て軽井沢宿まで9.6km、約4時間の行程となった。



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