思考の踏み込み

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形影神40

2014-10-19 00:13:35 | 
「ー 死後なお残存するとはどういうことか?」

意識が問う。
直感答えて曰くー





「"記憶" という名の "力" の範囲は余りにも広大なのだよ。
"形" にあるとき、その力は極めて抑えられている。だからこそ、"意識" も "知性" も存在し得る。

…例えばだ、もしこの世界の全ての "音" を耳が拾っていたら、その情報の多いことに対する処理で心は埋めつくされるだろう。
"動物" の中では人間は極めて耳の悪い生き物だが、それは情報をあえて制限することによって、心を埋めつくされない為に採った選択だ。

だからこそ、意識 ー つまり自我、もっと言えば自己を見つめる余裕。
それが生まれる。聴いている自分に気付ける余裕だ。」

「…。」

「だが聴く事のできる範囲は狭いが、その分その範囲内を繊細に聴き分けることができる。それが人間の心の濃やかさにも繋がる。

それは他の感覚器も同じ。そして "記憶" もまた同じだ。

記憶の働きは無限。それを全て我々が受け止めていたら我々は一歩も身動きがとれなくなるだろう。
そのために我々に与えられている能力を "忘却" という。」


「忘却…。」





「だが、忘却という能力を超えて働く様な強烈な現象に襲われると心は固応する。それを先程淵明殿は "念" と言われた。
だが、念とはそういう悪い働きばかりに見られるものではない。

"信" と結びつけば信念となるし、"理" とつながれば理念、ともかく一つのモノに執着することを "一念" という。

それは極めて強い "力" を生み出す。
良くも悪くも。

悪く働けば心は自由を失い、それは形の歪みを生み出し、死後の離散さえ妨げて霊は地に縛られる。」

「…。」

「だが "念" と同じ力の作用がある。
念は偏った力の発露だが、そうでない作用がある。それもまた強い力を持つ…。そしてそれは念と違って良くない方向へいく事がけしてない。」


「それは?」

「…。」




直感が即答しない。これはこのモノにしては珍しいことかもしれない。
それほどに表現が難しいのかもしれない。
彼は問いを発した意識の方などは目もくれずに一点を凝視して考えている。

それを察したか、直感の盟友だという肚が口を開いた。

「それは "統合" だ!」

直感。

「…うむ。私もその他に言葉が見当たらない。解脱といってもいいが、少し違う…。強いていうならば、統合による "覚醒" だ…。」

意識が問う。


「統合とは?!」

「 "一" に還る力。」


「……………。」








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