思考の踏み込み

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形影神38

2014-10-17 05:22:58 | 
「淵明殿に代わり、少し喋らせて頂く。されど、弁ずれば言は及ばぬもの。
およそ及ぶ筈の無い事について話そうというのだからなおのこと。
それを推して話させて貰う。淵明殿自らが語るより私からの方が良いでしょうしー 。」



そういって "直感" は話し始め、まず "心" に向けて問いを発した。

「そもそも死んで虚無に帰るのが嫌だとおっしゃられていたが、いったいに淵明殿の存在をどう捉えておられるのか?
全て等しく虚無に戻るのなら、何故にしてこの場に淵明殿は現れ、如何にして語り、かつ舞うというのか。」

「!」

「だいたいにおいて人は死後、50日くらいかけて少しづつ離散してゆくという。"形" も "心" も。
そしておそらく魂魄もそうだ。
一度に全てが変化するモノなどこの世には無い。

陰の精が変を為して "游魂" 。それは天に昇るという。
陽の気が化して "離魄" 。それは地に還るという。

これを "鬼神の業 (わざ) " という。

"鬼" とは即ち、精・陰・魄。
"神" とは即ち、気・陽・魂。

やがてそれらは再び "形" に宿りては生命を為す。

だがこの段階ではまだその前の "生命" の時の記憶を持っているもの。

新しい生命の方での "形" が成長し、"意識" が芽生えてくると、まあだいたい三年くらいだろうー 、その記憶は埋れてゆく。

この "記憶" こそ、実は生命の存在する為の "力" の強力な表れ… 。」




直感がそこまで一気に話したときに "理性" が割って入った。

「それはまさか前世の記憶、というやつでしょうか?」

「いかにも。命というのは、そのまままるごと転生するわけではない。
前世における命の欠片が、その中の最も大きな記憶が ー その記憶の内容が、その者の前世のようだ。
ようだー というのは、もちろんこの辺りの事は誰も本当の事は知らないし、確かめようもない。

だが幼児期の子供が前世の記憶を語る例は少なくない。稀に複数の人生を記憶している子さえいるが、それは大きな欠片が複数集まった結果であろう。
臨死体験というのも…。」





「ちょ、ちょっと待って欲しい。いきなりそうサラサラとそんな重要なテーマについて話されてしまうと我々はついていき難い。今少しゆっくりと…。」

ー とは、"意識" の言。
ところが。

「 …お断りしよう。こういう問題は一息に語るに尽きる。この手の内容であれこれ議論しても、けしていい結果は生まない。
もともと誰も本当の事などわかりはしないのだ。その中で私は色々な事例について最もうまく説明できて、かつ光彩を放つ内容を見つけ出し喋っているだけ。その内容については後で各々方で吟味されればよろしい。
言う者は知らず、知る者は言わず。
おわかりですな?」

「…。」

「それでよい。続きをー 。」

淵明がそう言って直感に酌をした。








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