思考の踏み込み

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形影神37

2014-10-16 07:43:05 | 
「同じとはこれいかに?」

知性が改めて淵明に問うた。

だが答えたのは "意識" だった。




「死者に残った念も、遺された者に生じた念も、その凝り固まっている様は変わらない…。人が死んだ時に行われる供養という様式は…その固まりを少しでも解きほぐすためというモノであるとすれば…。」

「そうー 。同じコトよ。」

最後の所を淵明は言った。

「 "念" とは "今" の "心" と書く。
"今" なんていうものは常に流動していて、けして凝固するべきものではない。
それが凝固 "してしまう" 状況に追いやられた者の悲しみに死者も生者も区別はあるまい。」


そして今度は再び "心" に向けて淵明は言う。

「 ー 死は本来即ち "散" 。

それは安らかなるもの。
余分に凝固すること無く、"生" を全力で生ききった者に用意されている祝福だ。

何を恐れるコトがあるというのかね?」




「…いや、私はけして "死" が恐ろしいのではない。死と生を無限に繰り返す、散じてはまた凝縮する、その…無限が恐ろしいのです!」

「それよ!その為に彼らはわざわざ地に降り質の違う "形" に宿った。
そう言ったのだ。それは君の抱いている想いと同じ理由からだ!」


「彼らも無限が…嫌だと?」

「彼らが ー というよりも、無から有が生まれた時から… ずっと ー この世界が求めていた願いだ。」

「ではそれは…、彼らが地に降った事によって解決されるべきものとなったのですか?!」

意識が再び割って入り、淵明に重大な問いを投げかけた。
皆、淵明がなんと答えるのかに注目した。



淵明はだがすぐには答えなかった。
静かに立ち上がり、輪の中心に歩み出てひとさし舞を披露して見せた。
それは短いモノだった。
"記憶" がそれに和する様に淵明の詩を吟じた。
琴の音も同じくして再び鳴りはじめる。


" ー 雲鶴 奇翼有り
八表 須臾ニシテ還ル
我 茲 (こ) ノ独ヲ抱キテヨリ
僶俛 (びんべん) 四十年 
形骸 久シク已 (すで) ニ化スルモ
心在リ 復タ何ヲカ言ハン"



舞い終わると淵明は "直感" の横に行き改めて座し、後は宜しくー、そう言うかの様に直感の肩をポンと叩いた。

どういうわけか、直感にはそれだけで淵明の言いたいコトがわかるらしい。
杯を置き、月光を背に受けて立ち上がった…。




「連雨独飲」より。
※意訳すると詩の価値が限定されるので省略。
雲鶴 : 雲間の鶴もしくは伝説上の鳥
八表 : 天地
須臾 : たちまち
僶俛 : 努める
形骸 : 姿形







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