思考の踏み込み

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ブッダ30

2014-06-02 00:29:58 | 
問題の解決方法や、生きていくためのある種の指針やエネルギーを外側に求めることはごく自然なことではあるが、結局それでは根本的な答えは見つからない。

風邪を治す薬が絶対に開発されはしないのに、いつまでも新薬の開発に血道を上げることと同じである。
(風邪とは病気ではなく、身体のアンバランスを調整するための自衛の現象であることは、いつになれば世に認知されていくのか…)




開発しなければならないのは、薬品や治療法や栄養食ではなく内側の身体の方であって、外側ではない。
そしてそれ以外に人間が本当の健康と幸福をつかむ道はない。
これは断言してもいいだろう。

膨大な大蔵経を血眼になって読み尽くしても、そこにブッダの真の教えなど書かれてはいない。

ブッダが不立文字を守ったことをもう一度思い出すべきだ。
様々なお経はそれなりの役目を果たしてはきたが、そこに答えを求めることは迷いを強めるだけであることにそろそろ気づくべきである。

外側に求めるなかれ。
内に求めよ。

そして内側には全てそれが用意されている。
我々はそれを引き出すだけでよいのである。
だが、その実例をブッダがはるか昔に明示してくれていなければ、こうしたこともいえなかっただろう。



我々は階段を登るという発想すら持てなかったかもしれない。

そして階段を上がってゆくには二本の足で、自分の足で、登ってゆく心構えが必要である。

現れては消える健康法、薬、精神療法…

(特に薬品の流行と盛衰を年表にしてみたら面白いと思う。巨大な製薬会社と政治的利権と人体実験の構造が浮かび上がるだろう…)

いずれにせよこれらの寿命が短いのは、その内容故であるよりもそれに寄りかかる者の側の問題である。

何かに寄りかかる者は、すぐに次に寄りかかるモノがないと安心できない。