IPSO FACTO

アメリカの首都ワシントンで活動するジャーナリストの独り言を活字化してみました。気軽に読んでください。

思い出のブラッサリーと古びた紅茶

2005-08-18 14:08:02 | テロリズム
取材から帰ってきて、時計を見ると時刻はすでに午後2時過ぎ。前日にドイツの友人にメールをし、彼女が8時までは自分のオフィスにいると聞いていた僕は、現地時間で午後8時までには電話を入れると約束していたのだ。アメリカ東部とドイツとの時差は6時間。つまり、この時点でドイツの現地時間は午後8時をまわっていたんだけど、彼女の携帯電話にかけると電話代が割り増しになるというセコい危機感を持った僕は、とりあえずオフィスの方に電話を入れた。ダンケ・シェーン、幸いにも友人はまだオフィスで仕事中だった。先週末、僕は彼女の生徒がワシントンで9月から調査活動を行うと聞き、周辺で1ヶ月ほど「リーズナルブルな値段(ドイツ人らしからぬファジーな言葉)」で住める場所を探してほしいと頼まれた。YMCAやYWCAも、意外に高いらしい。

そんな事もあり、ワシントン周辺のサブレット情報に目を通した僕は、幾つかのナイスな物件をリストアップしてみた。それぞれのサブレットの情報(たとえば、地下鉄駅から近いのかとか、インターネットができる環境にあるのかなど…)を細かく説明していると、「某大手不動産屋のエージェントのよう」と受話器の向こうで友人は笑っていた。昔、ある人に「報道以外の仕事では、広報か営業が似合ってるかもね」と言われたけれど、不動産の仕事もなんか面白そうだね。サブレットの件は無事にうまく行きそうだけど、友人の生徒は先週、ワシントンから車で40分ほどの所にあるバージニア州ロートンの家をオファーされていたらしい。結局、交通が不便なために、ワシントンにより近い場所を探す事にしたらしいけど、これまたユニークな交換条件だった。ロートンの家に無料で泊まれる代わりに、来年のドイツW杯でドイツの家を貸してほしいという条件。高騰が予想されるホテル代を考えたら、これって頭のいい取引でもあるなと思った。

アルカイダ系ウェブサイトの掲示板に11日、ワシントンDCの地下鉄駅マップが掲載されていたようで、掲示板にはワシントンを走る地下鉄で化学兵器を使用したテロを行うべきだとのメッセージも書き込まれていたそうだ。単なるいたずらなのか、それとも実際に何かが計画されているのか、今の段階では全く分からない。でも、9月11日が近付くにつれて、これはもう毎年の恒例行事と化した感すらあるけれど、アメリカ国内でテロが発生するのではないかといったニュースが報じられ始めている。カリフォルニア州の刑務所内でテロ実行部隊をリクルートしているという話が流れ始めたのが数日前、少し気になったので、今日はこのニュースから。刑務所内で受刑者がイスラム教徒に改修するケースは少なくなく、古くはマルコムXもそうだったように、決して目新しいニュースではないと思う。それに、これから紹介するニュースでは刑務所におけるアルカイダの勧誘活動がテーマとなっているけれど、そういった場所での勧誘活動は白人至上主義組織もヒスパニック系ギャングも、みんなやってるわけで…。ロンドン事件から1ヵ月半、同時多発テロ事件4周年を迎えるアメリカで、「テロ」が再びセンシティブな言葉になりつつあるようだ。

同時多発テロから4年目を迎える来月11日に、ロサンゼルス周辺の軍事施設やユダヤ教のシナゴーグを標的にしたテロが計画されていた事が判明した。テロ計画はサクラメント郊外にある凶悪犯罪者用に作られたニュー・フォルサム州刑務所で練られていた模様だ。地元捜査当局がABCニュースに語ったところでは、オークランドで元ストリートギャングのメンバーだったピーター・マルチネスと囚人仲間のケビン・ジェームズの2人が刑務所内で13人の仲間を集め、アメリカに対する「ジハード」を計画していたとの事。マルチネスとジェームズは現在、刑務所内の独房に身柄を移されている。カリフォルニア州の刑務所で運営管理官を務めていたエドワード・ケイデン氏は、刑務所がアルカイダなどのテロ組織にとって格好のリクルート施設になっていると警告する。

テロ計画の存在が公になった背景だが、ニュー・フォルサム州刑務所から出所したレバー・ワシントンと彼の仲間が、最近連続して発生したガソリンスタンド強盗の容疑者として逮捕された際、テロに関する情報も偶然に判明したようだ。捜査当局の調べでは、ギャング・メンバーだったワシントンは刑務所内でイスラム教に改宗し、周囲にはジハードの必然性を何度も唱えていたのだという。FBIの捜査関係者はABCニュースの取材に対し、昨年暮れに刑務所から出所したワシントンが、サンタモニカのシナゴーグや新兵募集センターの攻撃を仕掛けようと計画していたと語っている。AP通信は、攻撃目標ロサンゼルスのイスラエル大使館も含まれていたと報じている。ワシントンの共犯者として逮捕されたグレゴリー・パターソンは、ロサンゼルス国際空港の免税店に最近まで勤務しており、過去の犯罪記録も一切ない人物だった。しかし、パターソンは逮捕時、極めて殺傷能力の高いライフル銃の購入手続きを済ませたばかりだった。

ワシントンとパターソンに加え、8月2日にはカラチ出身のパキスタン人学生ハマッド・サマナが、一連のテロ計画に加担していたとして逮捕されている。FBIやロス市警から200人以上の捜査員が動員されている今回の事件だが、依然として謎の残る部分も多い。捜査関係者の1人はロサンゼルス・タイムズ紙に対し、ワシントンら3人がサマナの自宅近くにあるモスクに通っていたため、3人の接点が浮上したと語っている。しかし、ロサンゼルス周辺で唯一のモスクであるため、遠方からやってくるイスラム教徒も多く、同紙は捜査関係者のコメントに疑問を投げかけている。また、刑務所内で勧誘された「ジハード希望者」と、刑務所を出所したワシントンらとの関係についても、はっきりとしない部分は少なくない。元連邦刑務局管理官のデービッド・シュワルツ氏は、アメリカ国内の刑務所がイスラム過激思想の温床となりつつあるという最近の報道に懐疑的な見解を示し、イスラム教が受刑者の更生に役立つ場合も多くあると語っている。

大手映画スタジオのユニバーサル・ピクチャーズは16日、911同時多発テロ事件をテーマにしたスリラー作品の製作を発表した。映画のタイトルは「フライト93」と名付けられ、ハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルバニア州シャンクスビルに墜落するまでの軌跡が描かれる予定だ。2001年9月11日、ニューアーク国際空港(現在のニューアーク・リバティ国際空港)を離陸した93便はサンフランシスコへ向かう途中、上空でハイジャックされ、ワシントンへ方向を変えている。93便がワシントン市内のホワイトハウスか国会議事堂を標的にしていた可能性が指摘されており、捜査関係者らの間では国会議事堂がターゲットだったというのが定説になっている。超党派の議員達で作られる独立調査期間「911委員会」は、機内で乗客の抵抗があったため、ハイジャック機は当初の目的を達成できずにペンシルバニアで墜落したと結論付けている。しかし、回収されたブラックボックスの録音記録などにも不明な点が幾つか存在し、93便がワシントン上空に到達する前に米軍によって撃墜されたという噂も絶えない。

「フライト93」のメガホンをとるのはイギリス人監督のポール・グリーングラスで、北アイルランド紛争をドキュメンタリー風に描いたドラマ「ブラッディ・サンデー」は欧米の批評家から絶賛を受けている。昨年はアメリカ映画「ボーン・スプリマシー」の監督もつとめ、ハリウッド進出も果たしている。なお映画の共同制作には、「フォー・ウェディングス」や「ブリジッド・ジョーンズの日記」といった映画の製作に携わったワーキング・タイトル社も参加する予定だ。バラエティ誌によれば、「フライト93」の上映時間は93便がニューアークを離陸してからシャンクスビルに墜落するまでの実際の長さか、90分程度になる見込みで、観客は墜落の瞬間までをリアルタイムで見ることになるようだ。また、映画では手持ちカメラが頻繁に用いられ、機内の緊張感が最大に表現される模様。

「フライト93」以前にも、ハリウッドの大手スタジオはすでに2本の911テロ事件関連映画の製作を発表している。オリバー・ストーン監督による世界貿易センター倒壊の様子を描いた映画の撮影が10月半ばから開始される予定で(製作はパラマウント・ピクチャーズ)、映画の主演にはニコラス・ケイジが抜擢されている。また、今年2月にはコロンビア・ピクチャーズがニューヨーク・タイムズ紙記者らによって書かれたノンフィクション作品の映画化権を購入しており、こちらも近いうちに具体的な製作発表が行われる模様だ。911テロ事件直後、国民感情を敏感に察知したハリウッドでは自主規制が設けられ、コロンビア・ピクチャーズは「スパイダーマン」の予告編から世界貿易センター・ビルが映ったシーンを削除したりしている。しかし、事件から4年の月日が流れ、大手映画スタジオやネットワーク・テレビ局は911テロ事件をテーマにした作品を続々と発表している。秋にはABCも合計8時間のミニシリーズを放送する予定だ。

からバタバタとした1日だったけど、とりあえず長~い1日がやっと終わった感じです。ラジオの仕事を終えてすぐ、僕はワシントンに地下鉄で戻り、FBI本部近くのレストランでディナーを楽しんだ。すでに姉達も到着していて、昨日のブログにも書いたジョー夫妻や、彼の息子夫婦と一緒に昔話を楽しんだりした。今日のレストランは肉料理の美味しいパリ風ブラッサリーで、本当に偶然なんだけど、僕の前の職場の先輩達に何度か連れて行ってもらった思い出の場所。食後のコーヒーを飲んでいる時、どういうわけか「コーヒー派、それともティー派?」という話になった。今では就寝10分前にもブラック・コーヒーを飲む僕だけど、よく考えたらオーストラリア時代には少々濃い目のセイロンティーが好きだったような記憶が。帰宅してからも紅茶と無縁の生活になって久しいのが気になり、キッチンに置いてあるティーバッグを手にとってみた。少なくとも2年以上前に買った物で、お湯を注いで飲んでみようという気にすらなれなかった。明日から紅茶で行きますか。体にもよさそーだし。

ショッピング・グラディエーターズ

2005-08-17 14:11:20 | 歴史(?)
姉達も無事にワシントンに到着し、今朝ダレス空港で久しぶりに再開したんだけど、日本で昨日発生した地震が心配だった僕は開口一番「地震は大丈夫だったの?」と聞いてみた。どうも地震の事は全く知らなかったようで、彼女達のフライト後すぐに地震は発生したようだ。東京からワシントンまでの長旅でお疲れの姉達とジョージタウンで遅めのランチを食べた僕は、夜8時頃まで雑用をこなしてから、9時前に再びみんなの滞在するホテルに行った。姉のセントルイス時代の恩師が車で遊びに来ると聞いていて、水曜夜にワシントン市内でディナーを一緒にする前に、僕も久しぶりに会って話がしたかったのだ。奥さんと2人でアーリントンのホテルに来るはずのジョーさん、10時になっても姿を見せない。滞在先の息子さん夫婦の家に電話してみると、7時半には家を出たとの事。息子さんまで心配になり始めて、僕らも「まさか交通事故にでも」と思っていたら、息子さん宅に戻ったジョーさんから電話があり、道に迷って3時間近くドライブしていたという話。3時間のドライブでどこまで行ったんだろうか(フィラデルフィアまでは軽く行ける)。明日、コッソリと聞くのが楽しみになってきた。

首都ワシントンから60マイル離れたところにあるペンシルバニア州ゲティスバーグは、人口7000人ほどの小さな町だが、南北戦争時代の1863年7月には町周辺に16万の兵士が終結し、アメリカ史でも有名な「ゲティスバーグの戦い」が繰り広げられている。わずか3日間の戦いで、北軍と南軍の双方に5万人以上の死傷者を出している。同じ年の11月には、エイブラハム・リンカーンが「人民の人民による人民のための政治」という有名な演説も行っている。そのゲティスバーグの戦場跡にカジノホテルの建設計画が浮上し、地元住民や歴史家らは怒りを隠せない。地元ビジネスマンの主導による建設計画では、戦場となった場所に200室のホテルと3000台のスロットマシーンを備えたカジノを建設しようというものだ。

建設計画を進める開発グループは、カジノホテルの建設によって観光客が増加し、ゲティスバーグの地元経済も潤う事が間違いないと主張する。しかし、地元住民の多くは「アメリカ史の聖地を冒とくするに等しい行為」として、カジノホテル建設に真っ向から反対している。反対グループのリーダーを務める心理学者のスーザン・パドックさんは、英ガーディアン紙の取材に対し、「アメリカとアメリカ史にとって極めて重要な出来事がここで起こったんです」と語った。「この周辺一体が歴史のクラスそのもので、リンカーン大統領もここでの出来事を決して忘れてはいけないと語っています。我々地元住民は、これまでも歴史の保存に必死になって努めてきたんです」、リンカーン演説を記念して作られたモニュメントの前でパドックさんはそう語った。

パドックさんはカジノ建設を計画する開発業者だけではなく、カジノに関する法律改正を行ったペンシルバニア州議員達にも批判の矛先を向けている。ペンシルバニア州議会では昨年、住民の固定資産税を減らす目的で、州内に最大6万1000台のスロットマシーン設置を認めた法案を通過させている。このため、カジノ建設に携わる開発業者はビジネスに理想的な場所を捜し求めていたが、年間200万人の観光客が訪れるゲティスバーグは非常に魅力的だったようだ。今回のカジノ建設を計画するチャンス・エンタープライゼズ社は、カジノホテル建設によって800人程度の雇用が創出され、カジノ建設後に増えるだろうと予測される1000万ドルの税収で戦場跡地の保護も行えるだろうと語っている。現在のところ、開発業者と反対派の間で妥協点は見出されておらず、「ゲティスバーグの戦い」はしばらく続きそうだ。

アメリカでホームパーティーに誘われた経験のある人なら、きっと1度は目撃した事があるかもしれないけれど、さらに1つだけ残ったピザのスライスやドーナツを、周囲の間接的な視線を全く気にせずにペロリと食べてしまうアメリカ人は僕の周囲にも多い。「欲望のかたまり」だとか「自己中心的」だとか言ってしまうのもいいけれど、僕はその人間味溢れる部分が意外に好きだ。みんなが最後のドーナツを気にしながらチラッと見る中で、いきなりやって来てパクッといてしまう…。それと似た話で、アメリカ人の友人の中には買い物を「戦い」の一部と考えている奴までいる。つまり、バーゲンなんかでいかに早く店に到着して、目的の商品を予想よりも安く買えるかといった具合にだ。クリスマス後に全米各地のデパートで行われるバーゲンセールでは、小学生の小僧からお婆ちゃんまで、みんながパットン戦車団のごとく目標に向かって突進していく。「戦い」に勝利した幸運な買い物客は、周囲に「今日の買い物はグッド・ディールだった」と勝利宣言をしたくてウズウズしている。

そんなアメリカ人の戦闘的購買欲が事故を招いたようだ。バージニア州リッチモンド近郊のヘンリコ郡で16日、郡教育委員会が中古ノートパソコン1000台を(新品で買えば、1000ドル以上はするマックのiBook)1台50ドルで地元住民に販売した。この中古ノートパソコン販売会は以前から地元住民に通知されていたため、教育委員会側は2000人程度の住民がやってくるのではと考え、混乱を避けるために警備員も配置していた。しかし、1000台のパソコンを求めて6000人近い住民が販売会場に殺到し、入り口付近では将棋倒しまで発生している。この将棋倒しでベビーカーがペシャンコになったが、中にいた赤ちゃんは間一髪で難を逃れている。結局、17人が病院で手当てを受けたものの、大惨事にならなかったのが不幸中の幸い。ニュース映像では、どう見てもマック愛好家とは思えない4歳くらいの子供まで、販売会場に向かって全速力で走っていたけれど、本当にパソコンを使うのかな?

*写真はリッチモンド・タイムズ・ディスパッチ紙から

20代最後の肉離れ…、であってほしいですけど

2005-08-16 13:56:11 | スポーツ
が学会に出席するため、明日の朝ワシントンに来る。今回は4泊5日の滞在予定で、我が家の近くのホテルに泊まるので、時間があれば一緒にワシントン観光なんかもしたいなぁと思っているのだ。よく考えれば、初めてのワシントン観光もうちの姉と一緒で、その時は2人でアーリントン国立墓地にあるケネディ大統領の墓を訪れた記憶がある。姉と一緒にアーリントン国立墓地に行く1年前、僕は一緒にGRE(大学院に入るための共通試験)を勉強していた友人らとボストンから夜行列車に乗って、2泊3日の旅行に行っているけれど、その時は国会議事堂からそれほど離れていないアイリッシュパブでドイツ人の学生と仲良くなり、次の日も朝からアイリッシュパブでサッカー談義に終始してしまったのだ。1回目のワシントン旅行で撮った写真といえば、ボストン行きの列車が出発るギリギリの時間で撮影した国会議事堂の写真が何枚かだけ。本当のワシントン観光は翌年まで待たなければならなかった。

姉が博士号を取得する際に担当教官だった教授夫妻もセントルイスから遊びに来るようで、水曜夜に計画しているディナーが今から楽しみだ。僕がアメリカに来る前の98年4月頃、日本に旅行に来た教授夫妻と僕の3人で長崎に旅行した事があったけど、長崎ちゃんぽんを3人で食べながら原爆や隠れキリシタンの話を夜遅くまでしたのが懐かしい。旦那さんのジョーにはボストン時代にも御世話になっていて、まだどこの大学院に行くか決めかねていた頃、ミズーリー大学コロンビア校のジャーナリズム・スクールの説明会に行った事がある。セントルイスのジョー夫妻宅に1泊してから、翌日朝にミズーリーとカンザスのちょうど真ん中にあるコロンビアの町までジョーが自家用車を運転して送ってくれた。その日の朝は雷を伴ったえらい雨模様で、草原地帯の真ん中に作られた道路を走っていると、叩きつけるような雨のために前がほとんど見えない状態。そんな中、ジョーさんは「説明会に遅れたらイカン」と、時速120キロのスピードをコロンビアまで落とすことは無かった。70代パワー、おそるべし。

週末に見た映画がもう一本あって、ビリー・ボブ・ソートン主演の「ジ・アラモ」という歴史物。1836年にテキサス州で実際にあった「アラモ砦の戦い」を描いた作品で、これまでにも何度も映画化されている話だ。現在のテキサス州サン・アントニオにあるアラモ砦を占領したテキサス軍(野球チームみたいな名前だけど、実際にあった)とメキシコ軍が13日におよぶ戦闘を繰り広げ、アラモ砦のアメリカ人はほとんど全滅してしまうけれど、その後テキサス軍はメキシコからテキサス共和国の承認を取り付けている。やがてアメリカ合衆国の一部となるテキサスだけど、1836年からの9年間は実際に「テキサス共和国」が存在した。「テキサスはアメリカの中でも特殊な町」といった話を時々耳にするけれど、アメリカの一部となるまでの歴史を見れば、一目瞭然だ。ちなみに、テキサス州ヒューストンは、メキシコ軍を打ち負かした部隊の指揮官サム・ヒューストン(映画ではデニス・クエイドが演じている)にちなんで付けられた名前なんだとか。

全米プロフットボールリーグ(NFL)の新シーズン開幕を控え、それぞれのチームが炎天下でトレーニング・キャンプを行っているが、ミネソタ・バイキングスのキャンプ地ミナカト(ミネソタ州)では、グランド近くに生えた1本の木に飾り版が付けられている。「ビッグKを追悼して」とメッセージが書かれた飾り版は、チームの人気選手だったコーリー・ストリンガーに敬意を表して作られたもので、ストリンガーは4年前の7月に行われたキャンプ中に熱射病で死亡している。ストリンガーの死亡事故は当時のNFL関係者にも衝撃を与え、現在ではバイキングスを含む幾つかのチームが、選手に特別な錠剤を与えている。チームドクターは錠剤を服用した選手の中核体温をモニターでき、これによって真夏の練習中に熱射病などの事故を未然に防ぐ事が期待されている。

中核体温をモニターするための特別な錠剤は、1980年代後半にフロリダ州のHQ社によって開発されており、この数年間でスポーツ選手やチームからの需要が急増している。HQ社のスーザン・スミス広報担当はAP通信の取材に対し、炎天下で練習を行うフットボールやテニス、陸上競技の選手達からの需要が特に高いと語っている。NFLではバイキングスの他に、ジャクソンビル・ジャガーズとフィラデルフィア・イーグルスも錠剤を選手に投与しており、真夏日にパッドやヘルメットを着用して練習しなければならない選手達の体調管理に必死だ。2001年7月31日、バイキングスのキャンプ地マンカトの熱指数は摂氏43度に達しており、その年で最も暑い1日だった。練習中から体調に異常を感じていたストリンガーは、最後の練習終了から15時間後に近くの病院で死亡している。死亡直後のストリンガーの体感温度は摂氏42度を超えていた。

ストリンガーの死は現在も当時のチームメイトの記憶から離れることは無く、センターのコリー・ウィスローは「当時の記憶は今でも鮮明に覚えていて、それこそ1日中でも頭に浮かんでくる」と語っている。現在はバイキングスでプレーするパット・ウイリアムズは、ストリンガーが熱射病で死亡した事故を聞いた瞬間、体調管理を真剣に考え始めたそうだ。ストリンガーとほぼ同じ体重(317パウンド)のウイリアムズは、食生活を改め、体重にも気を使うようになり、現在はチームから支給されているHQ社製の錠剤を練習前に必ず服用している。NFLの歴史上最も悲劇的なケースとして知られるストリンガーの死亡事故だが、この事故がきっかけで各チームが夏のトレーニングキャンプのメニューの安全性を真剣に考慮し始めたのも事実だ。すでに各チームでは体格の大きな選手が炎天下でハードトレーニングを行った場合の危険性が議論されており、HQ社の錠剤を使用するチームはこれからも増えそうだ。

12日付のロサンゼルス・タイムズ紙は、カリフォルニア州のシュワルツェネッガー知事と不倫関係にあった女性が、知事と関係の深い出版社から「口止め料」を渡されていたと報じた。同紙が報じたところによると、タブロイド紙「ナショナル・エンクワイアー」を発行するアメリカン・メディア社が、元コマーシャルモデルのジジ・ゴエットに2万ドルを支払っていた模様だ。ゴエットさんは以前にもシュワルツェネッガー氏との不倫関係が取りざたされており、2001年にナショナル・エンクワイアー紙は2人の7年間に渡る不倫関係を記事にしている。アメリカン・メディア社からゴエットさんへの支払いは、シュワルツェネッガー氏がカリフォルニア州知事選に出馬を表明した数日後に行われており、ゴエットさんの友人にも1000ドルで「口止め契約」が交わされたとロサンゼルス・タイムズ紙は報じている。ゴエットさんは2万ドルの受け取りについて否定しているものの、彼女の友人のジュディ・モラさんは1000ドルを受け取ったことを認めている。

アメリカン・メディア社とモラさんの間で「口止め契約」が交わされたのが2003年8月8日の事で、8月14日にはカリフォルニア知事候補となったシュワルツェネッガー氏とフィットネス関係の雑誌の出版も手がけるアメリカン・メディア社が、シュワルツェネッガー氏のフィットネス雑誌編集主幹就任についての話し合いを行っている。シュワルツェネッガー知事の広報担当責任者であるロブ・スタッツマン紙はロサンゼルス・タイムズ紙の取材に対し、アメリカン・メディア社が2人の女性と「口止め規約」を交わしていたことを知事は知らなかったと語り、同社の行動に知事候補だったシュワルツェネッガー氏が関与していた可能性を真っ向から否定した。知事就任直前にアメリカン・メディア社のフィットネス雑誌で編集主幹も務めることになったシュワルツェネッガー氏は、知事就任後にカリフォルニア州のサプリメント産業に対する規制法案に拒否権を発動している。

2人の女性が「口止め契約」にサインした頃、シュワルツェネッガー氏の知事候補としての支持率は伸び悩みを見せており、女性スキャンダルが明るみになれば、支持率の低迷は確実なものとなっていた可能性もある。12日に知事の女性スキャンダルが初めて報じられると、カリフォルニア州で11月に予定される特別選挙でライバルとなる民主党からは、さっそく非難が噴出している。「もう何回目なのかすら覚えていませんが、シュワルツェネッガー知事はまたも真実を隠し通せなかったようですね。あとどれだけの秘密が知事にはあるんでしょうか」、カリフォルニア民主党のボブ・ムルホランド氏は皮肉を込めてそう語った。2003年の知事選挙期間中、ゴエットさんはシュワルツェネッガー氏との関係について一切公言する事が無かったが、複数の女性がセクハラを受けたと名乗り出ていた。

今日は今からもう寝ます。夜から参加したサッカーの練習で右足に軽い肉離れを起こしてしまい、友人から借りたスプレーをその場で何度も吹きかけてみたけれど、明日は大丈夫かな。肉離れなんて、いったい何年ぶりでしょうか?今は全然大丈夫だけど、肉離れの瞬間には本当に歩けなくなったほどで…。でも、そんな時にチームメイトが肩を貸してくれたり、グランド横に座る僕のところにペットボトルの水を持って来てくれたりして、少しばかり嬉しい気分に。みんな、本当にイイ奴だよ。

2週連続でチェコ映画に泣かされる

2005-08-15 13:59:50 | イラク関連
日本でお世話になっている御夫妻から電話があり、ニューヨークの空港で乗り継ぎの飛行機を待っている最中だったようだ。数ヶ月前に南米旅行を計画中だと聞いてはいたけど、「これからブラジルに行ってきます」という言葉を電話口で聞いていると、僕も無性に南米に行きたくなってきた。ブラジル・サッカーが好きで、今でも夜中にやっているサントスやサンパウロの試合をDVRに録画して見ているけど、やっぱり一度はブラジルで「フッチボール」とシェハスコを思う存分堪能したい。このワシントン周辺でブラジル・レストランがほとんど無いため、9月にボストンに行った時には久しぶりにミネス・ジェライス出身の大将がやってるレストランに顔を出そうかと思ってる。それから、去年と同じように、ワシントンに戻る直前にブラジル食材店でトリの心臓やソーセージを大量に買って帰るつもりだ。2週間後のボストン旅行、ドイツの友人達と何をしようかまだ決めかねているけれど、食べたい物だけは全部リストアップした。

食べる話ついでに、今日も身のまわりでビックリする事があった。いつも世話になっているスポーツバーで長い間バーテンをやってきたジョニーが、あと2週間で店をやめて、とうとう自分の店を構えるらしい。チップだけで年間に10万ドル以上稼ぐジョニーは、この辺ではまぁ名前の知れたバーテンなんだけど、僕がワシントンに来た時からよくしてくれてて、少し寂しい気もする。コートハウス駅近くの映画館周辺にあるレストランの1つが彼の経営するアメリカン・バーになるそうで、今から4ヶ月ほどかけてオープンの準備に入るんだとか。そのジョニーと昼過ぎに話をしてたら、土曜日の朝の出来事を話してくれた。土曜日朝、いつものようにスポーツバーではサッカーの試合が生中継され、ジョニーは朝から働いていたらしい。熱心なイングランド人ファンの近くには日本人のグループがいたらしく、日本人の集団がグラスゴー・セルティックの試合に一喜一憂する姿が面白かったんだとか。中村俊輔おそるべし。これからワシントンでも、土曜朝に早起きする日本人が増えるんだろう。

イラク駐留米軍兵士の使う防弾チョッキが武装勢力の使用する兵器から兵士の身を守れない事が判明し、ペンタゴンは以前から新型の防弾チョッキとの取替え作業をすすめているが、作業は予定通りに進行していない。米兵の多くが現在も使う防弾チョッキには、セラミック板が入れられているが、武装勢力側の使う弾薬がこれを軽く貫通してしまう事実が以前から問題となっていた。このため、より強固な新型防弾チョッキの駐留兵士への供給が決定されたが、ペンタゴン内の供給システムの度重なる遅れが原因で、取替え作業開始から1年以上が経過した今でも数万人の駐留兵士に新型防弾チョッキが届かない事態となっている。防弾チョッキの取替え作業は2004年5月から開始されているが、複数のペンタゴン高官がニューヨークタイムズ紙に語ったところによると、駐留兵士への新型防弾チョッキ供給作業の完了には、少なくともあと数ヶ月を要する見込みだ。

ニューヨークタイムズ紙の取材に答えた高官らは、安全上の理由から、どれだけの新型防弾チョッキがすでに供給され、あとどの位の数が残っているのかという問いには答えなかった。武装勢力の攻撃によって戦死する米兵の多くは走行中の車両を狙った仕掛け爆弾の犠牲になっているものの、銃撃で死亡した米兵も少なくとも325人が確認されており、ペンタゴンでは防弾チョッキの改善が以前から大きなテーマとなっていた。防弾チョッキの供給システムに大幅な遅れが出ている原因だが、新型防弾チョッキが複数の零細企業によって製造されており、そのために生産能力に限界が存在する事が挙げられている。ペンタゴン高官の話では、来月から新たに2社がイラク駐留米兵用防弾チョッキの生産に取り掛かる予定だ。今回の防弾チョッキの件だけに限らず、イラク駐留米兵から強い要望が続く軍用車両の装甲化もなかなか実施されていないのが実情で、これが仕掛け爆弾による攻撃の犠牲者を増やしているとの指摘もある。

防弾チョッキの必要性が語られ始めたのが2003年5月のことで、国内の武装勢力が駐留米兵に対してゲリラ活動を開始した際、現地の米軍部隊が供給されていたベストには防弾能力がほとんど無かった。やがて陸軍は前線に展開する兵士にセラミック製の板を与えることにしたが、複数のペンタゴン高官はニューヨークタイムズ紙の取材に、当時はペンタゴンがイラク武装勢力を過小評価し、前線以外の場所でゲリラ攻撃が起こるとは考えていなかったと認めている。新型防弾チョッキの重量は約8.2キロで、ペンタゴン内で長い間おこなわれた防弾チョッキの軽量化に関する議論も、結果的に供給システムに遅れが生じる原因となったようだ。

自転車レース「ツール・ド・フランス」で7回の優勝記録を持ち、ガンの病魔からも見事に生還を果たしたランス・アームストロングは14日、ABCテレビの報道番組に出演し、イラク戦争で使われる莫大な戦費をアメリカ人の多くが毎日直面している「ガン」という名の戦争にも使ってほしいと訴えた。アメリカ政府は1971年より国を挙げてのガン撲滅に取り組んできているが、アームストロングはアメリカの「ガン戦争」が現在では敗色濃厚だとも語っている。ABCの番組で司会のジョージ・ステファノポリスの質問に答えたアームストロングは、アメリカが戦争やテロリズム対策で莫大な金を使い続けていることは必要かもしれないと前置きしながらも、その一部をアメリカ人の多くがより懸念している事柄に使えれば望ましいと指摘している。

「ガン委員会」のメンバーとしてブッシュ大統領にアドバイスを送ったりもするアームストロングだが、14日のインタビューでは国立がん研究所やその他の政府系医療機関に対する予算が少ないと語り、ガン撲滅のためにはより多くの予算が必要になると主張した。「この数年間、医療機関などへの予算配分は厳しいものとなっています。ただ、ガンから生還した者の意見として言えば、政府はガンのような病気の研究にもっと予算を出すべきではないかと思います」、アームストロングはそう語っている。アームストロングは1996年に睾丸ガンと診断され、ガンはやがて脳と肺にも転移したが、その後のガン治療に成功している。国立ガン研究所の2005年度予算は48億ドルとなっており、研究所は2006年度予算のアップを求めていたが、来年度予算も48億ドル程度となる見込みだ。一方、2001年以降にイラクとアフガニスタンでの戦争で使われた軍事費はすでに約3000億ドルに達している。

ガンはアメリカ人の死因のトップに君臨しており、全米ガン協会の調査では、男性の約半分、そして女性の約3分の1が一生のうちに1回はガンと診断されている。現在33歳のアームストロングは1ヶ月前に7回目のツール・ド・フランス優勝を飾り、その直後に引退を発表した。14日の番組でこれからのプランについて聞かれると、自転車競技よりもガン撲滅に関わる仕事に集中していきたいと語っている。将来の政界入りについて聞かれると、「ストレスに耐えながら多くの時間を犠牲にした自転車競技を引退したのに、そのまま政治の道に進もうなんて考えたくも無いですね」とコメントし、より多くの時間を家族と一緒に過ごしたいとの希望を明かしている。

2週間つづけてチェコ映画を見た。別に今凄くチェコに興味があるとか、チェコ出身の下着モデルと知り合ったからという理由ではなく、今週たまたま見た映画がチェコ映画だったのだ。さすがにチェコ語は全く分からないので(でも、映画なんかで聞いていたら、発音がドイツ語に似ている気もする)、この映画の原題の意味は全く分からないけど、英語のタイトルは「ダーク・ブルーワールド」という。第2次世界大戦の戦闘機パイロット達の活躍を描いたドラマで、映画のベースとなるテーマは実話に基づいている。ドイツ軍がチェコスロバキアを占領してすぐ、何人もの空軍兵士がイギリスに渡って、英空軍のパイロット(チェクスロバキア出身者だけで構成された飛行隊があったようだ)としてドイツ軍との戦闘に参加していた。映画ではパイロット同士の友情や恋模様などが描かれており、スピットファイアーに乗って大空を駆け回ったパイロット達は戦争終結後に母国に戻るが、そこではハッピーエンディングとは程遠い結末が待っていた。

母国の自由を勝ち取ったことに少なからず貢献したと思っていたパイロット達だが、戦後のチェコスロバキアではすでに共産主義政権が樹立されていて、ナチスと戦ったパイロット達はナチスのために働いていた医者達と一緒に強制収容所に入れられる。収容所の中で、戦死した親友と再び空を飛ぶ自分の姿を笑いながら想像する主人公…、どうしても泣けてしまうラストシーンだった。4月にこのブログで書いたけれど、前に住んでいたアパートで仲のよかったユーゴスラビア出身の老夫婦の事を思い出した。航空機設計の仕事をしていたジイさんは、第2次世界大戦が始まると、そのままパルチザン組織に加わって、バルカン半島をバイクで走り回っていた。けれども、戦後にできた共産主義政権を目の当たりにし、結婚したばかりの奥さんを連れて西ヨーロッパ経由でアメリカに移り住んでいる。戦後60年、祖国を愛しながらも政治のパワーゲームで数奇な運命を辿った人は意外に多いのかも。

真夏の夕方、青唐辛子的フットボールをどうぞ

2005-08-14 14:20:20 | テロリズム
地元プロサッカーチームのDCユナイテッド、今日は久しぶりにRFKスタジアムにホームゲームを見に行く事にした。おそらく前から決まっていたスケジュールなんだろうけど、なんとまぁキックオフの時間は午後4時。試合前にピッチ上でアップを始める選手の表情は比較的明るかったが、主催者を本気で殴りたかった選手はきっといたはずだ。午後4時の気温が摂氏36度で、これはハッキリ言ってサッカーをするのに適した温度ではないはず。ゲームが始まってからも、僕の周囲ではハーフタイムを待たずに水とビールの買出しに走る人の姿が目立っていた。売り子さんがレモネードやビールを売りに来るのはいつもの事だけど、今日はその声にも元気が無かったような…。スタンドから応援する僕らも汗でビッショリだったけど、もっと悲惨だったのはベンチに座っている控え選手達で、全員が全員で水に濡らしたタオルを頭からかけており、遠くから見るとドバイかアブダビのチームが遠征に来たのかと錯覚するほどだった。

今日の相手はロサンゼルスを本拠地とするチバスUSAで、今年からメジャー・リーグ・サッカー(ここ笑うところじゃないですよ…、いちおう正式名称なので)に加入している。メキシコ・リーグのCDグアダラハラを所有するホルへ・ベルガラ氏がオーナーのチバスは、グアダラハラと同じユニフォームやロゴを使っていて、ファンの大半はロサンゼルス周辺に住むメキシコ人やメキシコ系アメリカ人だ。CDグアダラハラといえば面白いエピソードが1つあって、ボストンのベテラン新聞記者から聞いたことがあるんだけど、ボストン・レッドソックスの名遊撃手で現在はシカゴ・カブスで活躍するノマー・ガルシアパーラがこのチームの大ファンなんだとか。メキシコ系アメリカ人のガルシアパーラは(ノマーという名前、実は彼のミドルネームで、父親ラモンの名前を逆さ読みにしたもの)、レッドソックス時代にはロッカーにグアダラハラ関連のグッズを置いていたらしい。

そんなチバスが初めてワシントンにやって来たこともあり、スタジアムの中では普段以上にスペイン語が飛び交っていて、僕はアメリカ人の友人らとその雰囲気を楽しんでいた。僕らの横にも中年のチバスファンが座っていて、関西の野球ファンのように喋りだしたら止まらないオッサン達に親近感を持った僕は、ハーフタイム中に少し話をした。みんなメキシコではなく、エル・サルバドルとホンジュラス出身者だったけど、チバスがワシントンに来るのを凄く楽しみにしていたらしい。太鼓腹にナチョスの容器を置いてひたすら食べ続けていたオッサンの1人は、「あと20年早ければ、俺もチバスでプレーしてたかもなぁ」と感慨深そうに言った。「また冗談を…」、オッサンの目ではなく腹を見て僕はそう言おうかと迷ったけれど、とりあえず「そうかもね…」と外交的に受け流す事にした。試合は3-0でDCユナイテッドの勝利。でも、試合以上に何ともいえないケオティックな雰囲気が楽しかった。

イラン政府によるウラン転換作業再開を批判するブッシュ政権だが、金曜日にイスラエルのテレビ局によって行われたインタビューで、ブッシュ大統領は国際社会の要求を拒否し続けるイランへの将来的な武力攻撃の可能性を示唆し、アメリカの安全を守るためには「様々なオプションが考慮されている」と語った。ブッシュ大統領は過去にも核開発を続けるイラン政府への制裁を訴えており、外交努力でイランの核開発に歯止めをかけれない場合には、国連安全保障理事会が制裁措置を行うべきだと語っていた。金曜日のブッシュ発言は、過去のものと比較してみても、非常に辛辣なメッセージとなっている。欧米諸国はイラン政府の核開発が将来的に核兵器に転用されるのではないかと危機感を抱いているが、イラン政府はこれを真っ向から否定し、電力事業への利用が目的だと主張する。

インタビューでブッシュ大統領は、「アメリカとイスラエルは、イランの核兵器保有に反対するという共通の目的のもとで繋がっています」と語り、仮に外交圧力が何の成果もあげられなかった場合には、武力攻撃を含む全てのオプションが考慮されるだろうとした。「どの大統領にも最後の手段として、軍事力の行使というオプションが存在します。最近も、我々は自国の安全を守るために軍隊を使いましたからね」、ブッシュ大統領はそうコメントした。イラン政府は8日に同国のイスファハン近郊でウラン転換作業を再開しており、これに対して国際原子力機関(IAEA)は警告を発している。IAEAはまた西側諸国に対し、外交を用いてイランの核開発問題を解決するように求めており、ブッシュ大統領も金曜日のインタビューではIAEA側のやりかたを評価したものの、最終的な解決策として軍事力の行使も示唆している。

ブッシュ発言から1日たった13日、ドイツのシュレーダー首相は選挙活動で滞在していたハノーバーで、軍事行動の可能性を示唆したブッシュ大統領を批判している。ドイツは現在、フランスやイギリスとともにイランの核開発問題を外交的に解決しようと努めており、ブッシュ大統領の発言がドイツなどが展開する外交努力に影響を及ぼしかねないと判断したようだ。BBCのレイ・ファーロング特派員は、選挙前に行われたシュレーダー首相のブッシュ批判が、有権者を意識した可能性があるとも指摘している。3年前、イラクでの武力行使を反対し続けたシュレーダー首相は、その後の選挙で再選を果たしている。「軍事的オプションをテーブルの上に並べるのはやめましょう。そういったやり方が成功しない事を、我々はすでに目の当たりにしているのですから」、ハノーバーで行われた社会民主党の集会でシュレーダー首相がそう語ると、会場の聴衆からは大きな拍手が沸き起こった。

ニューヨーク市消防局は12日、裁判所命令に従う形で911同時多発テロ事件に関連した調査資料を公表した。ニューヨークタイムズ紙やテロ事件の遺族の一部は以前から情報の公開を求めてニューヨーク市を訴えており、州控訴裁判所が今年3月に公開命令を出していた。公表された資料は23枚組のCDに収められており、関係者らから行った聞き取り調査や、事件直後に現場で救出活動を行っていた消防士らの通信記録などが含まれている。インタビューに答えた関係者らは500人以上に及び、救急救命士や救急医療師、そして彼らの上司が事件当時の様子を語っている。1機目の旅客機が世界貿易センターに激突してすぐ、現場に駆けつけた救急隊員らは通信機器がほとんど動かない状態で、救出作業を強いられていた。また、消防局では1機目の激突を通常通り「集団外傷(MCI」と定めるべきかどうかで議論が存在したようだ。

公表された23枚のディスクには、約15時間分の交信記録や、1万2000ページ以上に及ぶ聞き取り調査のトランスクリプトが収録されている。聞き取り調査はテロ事件後から間も無く実施されており、911事件当時のニューヨーク市消防局長トーマス・フォン・エッセン氏が指揮を執った。ニューヨークタイムズ紙は2002年、情報公開法に基づいて聞き取り調査のコピーを入手しようと試みたが、マイケル・ブルームバーグ市長によって拒否されている。ニューヨークタイムズ紙は情報公開を求める訴えを起こし、事件で死亡した8人の遺族も情報公開を求めて原告側に加わった。市側の対応に注目が集まる中、ニューヨーク市消防局は460人の犠牲者の遺族に対し、12日に公表されたものと同じ内容のCDを送っている。

今回公表された通信記録などから、現場で無線が通じなかった事や、それに伴って救出現場で指令が混乱していた事などがはっきりと証明された。ニューヨーク市消防局では、1996年から救急医療班(EMS)が局内の一部門として組み込まれていたが、911事件のような状況が想定されていなかった。「事件当時のEMSの行動が、みんなに本当に理解されてるとは思えません」、救急救命士のアラン・クックは聞き取り調査でそう答えている。消防隊員らの装備等が大幅に改善されたのはテロ事件以降で、消防局のフランシス・グリボン広報官の話によると、現在は通信機器類を中心に大幅な改善が見られ、大規模な事故などにも対応できるようになっているとの事。テロ事件の舞台となった世界貿易センタービル周辺で、ニューヨーク市消防局は副署長と2人の救急医療師を含む343人を失っており、民間医療スタッフも6人が死亡している。

イエス・キリストの復活から東北楽天ゴールデンイーグルスの日本シリーズ優勝まで、世界中にはいろんな奇跡(やその可能性)を信じる人が少なくないけれど、昨日の晩のニュースには、天邪鬼の僕でさえ「奇跡」なるものの存在を信じたくなるほどだった。アリゾナ州在住の83歳の女性が自宅の外でハチの大群に襲われ、全身を400ヶ所以上さされたけれど、何とか一命をとりとめ、今は病院ですこしずつ回復に向かっているらしい。彼女の治療にあたった大学病院の医師はAP通信の取材に、「さすがにビックリしてますよ」とコメントしていたけど、これって本当に奇跡みたいな話。とにかく、よかったです。「Xファイル」の映画版で、主人公のFBI捜査官がハチの大群に襲われるシーンがあったはずだけど、実際にあんな状況になったら、何にもできないよなぁ。真夏の夜に聞いた、ちょっとイイ話でした。

「自称」47歳のメジャーリーガー

2005-08-12 14:56:28 | 犯罪
昼過ぎ、立ち寄ったニューススタンドで雑誌「GQ」を購入。最新号の表紙は俳優のジョニー・ノックスビル。日本の友人によれば、ノックスビルの主演した「ジャックアス」はカルト的な人気があったそうで、日本でも知られ始めているんだろうか?誰かにいたずらを仕掛け、その様子を笑い飛ばすという芸風だけで生き残ってきたノックスビル、気がつけばメジャーな映画にも出演し始めていて、俳優としての地位も築きつつあるようだ。同じような芸風で話題になったMTV出身のトム・グリーンが全く「過去の人」になった事を考えると、本当にたいしたもんです。別にノックスビルのインタビューが読みたくて「GQ」を買ったわけではなく、今月号のコンテンツにいくつか気になった物があり、それで買うことに。

アメリカでニュース雑誌といえば、まず想像するのが「タイム」や「ニューズウィーク」だろうけど、調査報道記事の面白さで決めるなら、僕はあまりこの2誌を選ばない。もちろん、この2誌にも毎週目を通しているけど、ニュース雑誌のCNNという感じで、それ以上のものはない。変なたとえで申し訳ないけれど、劇団四季の舞台を見ているような感じで、いろんなテーマが一定のクオリティで揃ってはいるものの、それ以上のものは望めない感じがするんだなぁ。総合ニュース雑誌の限界といえばそれまでだけど、やっぱりワクワクしながら読むとなれば、調査報道記事が掲載された雑誌に目がいってしまうのも事実。今日買った「GQ」以外にも、「ニューヨーカー」や「バニティ・フェア」なんかが最近は面白い記事を載せている。ヒップホップ雑誌「ザ・ソース」も10年ほど前には、アメリカのメインストリームで扱わないテーマを長編記事にしたりして、僕は心斎橋のジャマイカ人から借りてまで読んだ記憶があるけれど、今はそういう記事もあまりないようだ。

今月号の「GQ」に掲載された長編ルポ、東南アジアの売春ツアーをテーマにしたもので、ジャーナリストのショーン・フリンが売春目的でフィリピンのマニラに集まるアメリカ人観光客の実態をレポートしている。この企画、3ヶ月連続で行われるそうで、1回目の今回は「供給者」というタイトルが付けられている。東南アジアや東欧でのセックス・ツアー、ニュースとしては決して目新しいものではないけれど、これに関係したニュースをアメリカで見たり聞いたりすることは少ない。半年以上前に、ある報道番組で組まれた特集を見たけれど、個人的にはそれが最後だった。この特集を見たあとに、アメリカ人の友人と話をしたら、「そういう売春旅行って日本人やドイツ人だけの話かと思った」と言われた事があった。でも、僕もアメリカ人旅行者が絡んだそういう話を東欧で聞いたことがあるし、実は結構な数が存在するんじゃないかと思ってる。

アーカンソー州ジョーンズボロの中学校で7年前に発生した殺人事件では、当時13歳のマイケル・ジョンソンと11歳のアンドリュー・ゴールデンが校庭内で銃を乱射し、生徒4人と教師1人が死亡している。ジョンソンらは校庭に生徒らが出てくるのを待ち伏せし、それから無差別銃撃を行っており、死亡した女性教師は生徒の盾になって銃弾を浴びている。8月11日、ジョンソンは21回目の誕生日を迎え、アーカンソーの州法に基づいて釈放が決定しているが、無差別殺人犯に対する7年という短い刑期に地元住民は怒りをあらわにしている。アーカンソー州法では、ジョーンズボロで銃撃事件を起こした2人の少年は「非行少年」というカテゴリーに分類されるだけで、18歳の誕生日を迎えた彼らを収監し続ける事は法的に不可能となっている。

このため連邦検察局は2人を武器の不法所持で起訴したが、これも最大で3年間の懲役刑しか認められず、2人は21歳の誕生日に出所が認められることになっている。11日に21歳になったジョンソンだが、すでに刑務所から出たのかどうか、現時点では明らかになっていない。現在は改正されたアーカンソー州の少年法だが、事件当時存在した「法の抜け穴」をめぐり、ジョーンズボロの住民は複雑な心境だ。「あの事件で被告に科せられた刑期を計算すると、1人の犠牲者につき1年ちょっとですよね。1人を殺害して、残りの人生を刑務所で過ごす人も多いのに、今回の釈放はあまりにもフェアじゃないです」、7年前の事件で妹を失ったブランディ・バーナーさんはAP通信の取材にそう語った。背中を撃たれたものの一命をとりとめたホイットニー・アービングさんは、高校卒業後に結婚し、現在は子供にも恵まれている。しかし、CBSの取材に対し、「この7年間、あの事件の事を思い出さない日は1日たりとも無かったです」とコメントした。

1998年3月24日、ジョンソンとゴールデンはゴールデンの祖父所有のライフル銃数丁を盗み出し、迷彩服に着替えてから地元中学校へと向かった。校庭内の茂みに身を隠した2人は、昼休みのランチが始まるまでそこで待ち、出てきた生徒らに対して無差別発砲を行った。ジョーンズボロ事件の前後、これと酷似した事件が幾つも発生しており、1999年にはコロラド州のコロンバイン高校で13人(2人の容疑者の自殺も含む)が死亡している。ミシシッピー州パールでは1997年、母親を殺害したルーク・ウッドハムが2人の生徒を射殺している。1998年5月、オレゴン州スプリングフィールドで両親を殺害したキップ・キンケルは校庭でも乱射を繰り返し、22人の死傷者を出した。ジョンソンらのケースとは違い、ウッドハムには無期懲役、キンケルには112年の懲役刑が科せられている。

4年前にフィラデルフィアのビーバー大学はアーカディア大学へと名前を変更し、現在では入学希望者がビーバー大学時代の約2倍に増加している。2002年にマクダニエル大学という名前に変えたウエスタン・メリーランド大学でも、志願者数の増加は顕著に表れている。昨年1月にはカリフォルニア州立大学ヘイワード校が、学校周辺に新たに作られた町の住民にもアピールする事を目的に、カリフォルニア州立大学イースト・ベイ校へと校名の変更を行う事を決めている。生徒の獲得で激しい競争が展開されているアメリカ国内の大学では、学校名がこれまで以上に重要なポイントになりつつあるようだ。名前の響きによって入学希望者がその学校のイメージを作ってしまう傾向があると考える大学関係者も少なくない。ニュージャージー州のトレントン州立大学は9年前にカレッジ・オブ・ニュージャージーと名前を変えたが、これによってトレントンにある小さなローカル大学にすぎなかった同校には、州全域から入学希望者がやって来るようになった。

「最近の大学教育で僕が耳にするのは、一にも二にもブランドという言葉ばっかりです」、シカゴにあるマーケティング会社で常務の職にあるティム・ウェスターベック氏はニューヨークタイムズ紙の取材にそう答えた。ウェスターベック氏のクライアントには大学やNPO団体も多く含まれている。「この10年間で著しい変化がありました。マーケティングなんていう言葉は、一昔前の大学教育では非常にダーティーなイメージすらあったほどなんですから」、ウェスターベック氏はそう語る。名前が変わることによって、その学校の人気が必ずしも高まるとは限らず、卒業生や地元住民らからの反対が存在する場合もある。1997年、ニューヨークにあるニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチは別の大学との合併などが理由でニュースクール大学へと名前を変更したが、地元では以前からある「ニュースクール」の呼び名が今も一般的となっている。名前に関するマーケティング調査を行ったニュースクール大学は、8月に正式名称を「ニュースクール」にすると発表した。

「それぞれの大学の関係者は、自分の学校の名前が市場でどのように認識されているのかに気を使っています。生徒獲得が究極の目的である事から、校名を商品価値の高い有益なものに変えて、より他との差別化を図ろうとする動きがあります」、前述のウェスターベック氏は最近の大学教育とマーケティングとの関係をそう分析した。フィラデルフィアのビーバー大学がアーカディア大学へと名前を変えた背景だが、女子大学から男女共学校へと変化したり、総合大学へと発展した事が大きな理由だったようだ。しかし、ビーバー大学時代には、その名前をテレビのコメディショーやラジオ番組で何度も取り上げられ、「動物園」というニックネームを付けられていた。ビーバー大学関係者の中には、こういったニックネームの存在が生徒獲得に悪い影響を及ぼしていると考えた者もいたようだ。

今日は最後まで「GQ」絡みになってしまうけど、別のフィーチャー記事にも面白いのがあった。メジャーリーグで頑張るベテラン選手をテーマにした記事のタイトルは、「フリオ・フランコっていったい何歳?」というもの。1995年と98年に千葉ロッテでもプレーしたフリオ・フランコ(みなさん、覚えているでしょうか?)の野球人生を追ったこの記事では、彼のエージェントでさえ本当の年齢をハッキリと分かっていない事などが書かれている。ドミニカ共和国で生まれたフランコは、出生証明書によれば1958年生まれで、あと2週間で47歳になるけれど、今年もアトランタ・ブレーブスで8本のホームランを打っている。1982年にフィラデルフィア・フィリーズでメジャーリーグのデビューを飾った時、彼のチームメイトにはピート・ローズやマイク・シュミットがいたんだから、まさしくメジャーリーグの生き字引みたいな人。フランコを知る人はみな、彼を「練習の虫」と呼んで、最大級の賛辞をおくっている。こういう選手がもっと日本に来てくれたらなぁ。

100億円の航空運賃

2005-08-11 14:46:51 | ビジネス
ラッセル・クロウ主演のドラマ「ジ・インサイダー」、数年前にDVDを借りて見た時には何人かの友人と一緒だったこともあり、ベラベラと喋って集中して見れなかったんだけど、ようやくキチッと見ることに成功。ちょうど、夜になってスーパーに行く時にレンタルビデオ店の横を通ったので、そこでDVDを借りて、昨日のブログの更新が終わってから一気に見た。2時間40分の長編ドラマだけど、なによりも実話がベースのディープな話だったし、ジャーナリズムにも関係する話だったので、あっという間に時間が過ぎて行った感じ。この映画もマイケル・マン監督の作品だけど、「ヒート」でも、「アリ」でも、最近の「コラテラル」でも、主人公が夜道を車で走るシーンが凄く特徴的で、今回の「ジ・インサイダー」もそうだったけど人間の孤独さが画面からメッセージとして伝わってくるようだ。ジョン・ウー監督が自分の作品の中で必ず白い鳩を飛ばすように、マン監督も毎回こういうシーンを用意しているんだろうか?

さてさて、「ジ・インサイダー」だけど、タバコ産業内の秘密にメスを入れようとするTVプロデューサーと彼の協力者になる元タバコ会社重役とのやり取りを中心に映画は進んでいく。アル・パチーノ演じる「60ミニッツ(1968年に始まったCBSの硬派ニュース番組で、今も毎週日曜日のゴールデンタイムに放送されている)」のプロデューサーは、ラッキーストライクやクールといったタバコを製造するブラウン&ウイリアムソン社(現在はレイノルズ社の傘下に入っている)を解雇されたジェフリー・ウィガンド氏(ラッセル・クロウの役)の協力で、大手タバコ会社が隠し続けてきた秘密を暴こうとするが…。単なる映画の紹介文のようになってしまいましたが、アメリカ社会とかジャーナリズムに興味のある方には、ぜひオススメの1本。実話をベースにしているため、登場人物の名前も全く同じだけど、映画の最後の部分だけは真実と異なる。ウィガンド氏へのインタビューは実際にはある理由でオンエアできなかったんだけど、それは映画を見て納得してくださいな。

今から約1年ほど前、米軍はイラクとシリアの国境に近いタル・アファル周辺に部隊を集結させ、多くの反米武装勢力メンバーを殺害した。タル・アファルの町は一時的に平穏を取り戻し、地元の警察署長は「武装勢力がいない町」の宣言まで行っている。しかし、最近になってタル・アファル周辺に武装勢力が再び集まりだし、米軍はこの地域に再び部隊を投入し始めている。シリアとの国境からわずか40マイルに位置するタル・アルファルでのケースは、ワシントンでペンタゴンが計画する一種の「ギャンブル」を端的に表したものだ。ペンタゴンはイラク国内の大部分の地域の安全保障任務をイラク軍に引き継がせ、イラク駐留米軍の撤退を来年から開始したいからだ。タル・アファルでの武装勢力掃討作戦に成功した米軍は、そのほとんどが別の地域に移動しており、残った部隊はイラク軍と協力して武装勢力の流入に歯止めをかけようとしているが、なかなか成果が上がっていないのが事実のようだ。

「武装勢力側は周辺の米軍部隊の数が減った事を敏感に察知して、再びこの地域に集結しようとしています」、今年初めに260マイル離れたバグダッドから応援部隊として急遽タル・アファル周辺に配置された陸軍第3機甲連隊のマクマスター大佐は、AP通信の取材にそう答えた。マクマスター大佐の連隊はタル・アルファルに攻撃を仕掛ける武装勢力のせん滅を命じられており、人口20万人ほどのタル・アルファルでは毎月平均で150回程度のゲリラ攻撃が加えられている。昨年秋に周辺の武装勢力が米軍によって壊滅状態に追い込まれると、タル・アルファルにはわずか500人の米兵だけが残され、治安維持の任務はほとんどイラク兵が引き受ける事となった。しかし、武装勢力の活動が再び活発化し、市内の幾つもの地域が武装勢力の影響下に置かれたようだ。シリアと接する国境の警備はイラク軍に引き継がれたが、そこで賄賂などと引き換えに密入国が日常茶飯事となっていると考える米軍関係者は少なくない。

シリア国境と近いタル・アルファルは、米軍と武装勢力の双方にとって戦略的に重要な場所で、米軍関係者はこの町がシリア経由でイラクに入国する武装勢力メンバーのターミナル的存在になっていると指摘する。米軍は数百人規模の部隊を国境地帯に送り、密入国を水際で阻止するのに必死だが、タル・アファル市内では別の問題も発生しており、その対応にも追われている。クルド人、アラブ人、ターコマン人(トルコにルーツを持つ少数民族だが、トルコ人ではない)が長年一緒に暮らしてきたタル・アルファルでは、フセイン政権崩壊後にそれぞれのエスニック・グループの間で緊張状態が生まれており、多数派のターコマン人の間でもシーア派とスンニ派で反目が続いている。比較的親米派の多い市内のクルド人を米軍が優遇しているとの噂が流れたりもしており、米軍は他のエスニック・グループとの関係維持に努めている。

過去に民間宇宙旅行を2度実施しているスペース・アドベンチャーズ社(バージニア州アーリントン)は10日、国際宇宙ステーションで宿泊できるサービス付きの月旅行プランを発表した。旅行代金だが、1人あたり1億ドルとなっており、月旅行はロシア連邦宇宙局との共同事業で行われるとの事だ。この会社では2001年と2002年に軌道上での宇宙旅行を実施しており、南アフリカのIT長者マーク・シャトルワース氏らが2000万ドルを支払って参加している。また、10月にも3人目の旅行者となるマーク・オルセン氏が1週間程度の宇宙旅行を楽しむ予定だ。民間企業による史上初の月旅行計画は、NASAのディスカバリー号が無事に地球に帰還した翌日に発表された。

月旅行は2~3週間ほどの予定で、パイロットはロシア人になる模様。スペース・アドベンチャーズ社によれば、シャトルは月の表面上を飛行する事になるという。今回の計画にはロシア連邦宇宙局や複数のロシア企業も参加しており、1991年のソ連崩壊後に予算を大幅に減らされたロシア国内の宇宙事業にとって、またと無い金脈が見つかった格好だ。「史上初めて、民間企業による月旅行が実施されようとしています」、スペース・アドベンチャーズ社のエリック・アンダーソン社長は8日にニューヨークで記者会見を開き、今回の計画が歴史的なプロジェクトであると強調した。コロンビア号の空中分解事故をうけ、ロシア政府は2003年に国際宇宙ステーションへの旅を一時停止しているが、2004年6月にそれを解除している。

アンダーソン氏の話では、スペース・アドベンチャーズ社はすでに民間月旅行の支払い能力がある1000人ほどを世界中でピックアップしており、そのうちの数人は月旅行に興味を示しているのだという。「世界中で1億ドルのヨットを購入できる人の数とほぼ同じですね」、アンダーソン氏はそう語っている。2001年に月旅行を経験している投資家のデニス・チトー氏はニューヨークタイムズ紙の取材に対し、月旅行のプランは非常に魅力的だが、65歳という現在の年齢を考えると実現は難しいだろうと語っている。「もう少し若くて、相応の蓄えもあれば、きっと参加していたんでしょうけどね」、チトー氏はそうコメントしている。前述のマーク・オルセン氏も月旅行の話に関心を示していたが、10月に最初の宇宙旅行を行う事もあってか、「まずは最初の旅行から」と語るにとどまった。

テネシー州の裁判所で発生した銃撃事件。どっかのメディアが現代版「ボニー&クライド」なんて評していたけど、とにかくワケの分からない事件だった。1枚の紙では到底収まりきらない犯罪歴を持つ34歳の男が、2人の武装警備員に付き添われて裁判所に入ろうとした時、いきなり現れた彼の妻が警備員に向かって発砲。しばらく銃撃戦が続いたあと、この夫婦はまんまと逃亡に成功している。警備員の1人は銃撃戦によって死亡した。今晩になって、2人は事件現場から300マイル離れたオハイオ州コロンバスのモーテルで発見され、地元警察によって逮捕された。事件発生後、どうもタクシーを使ってテネシー州からオハイオ州に逃亡したらしい。フィクションの枠を出てはいけない今回のような事件だけど、ピストルの弾が1発2円ほどで売られるこの国では、何でも可能になってしまう。やばいね…。

このカップルが逮捕される前、正確には今日の夕方、テレビのニュースでは塀の向こうの囚人に恋愛感情を抱いて結婚してしまうアメリカ人女性の例が幾つも紹介されていた。「アホか、こいつら」と思いながら、そのレポートを見てたんだけど、実際にそういう人が何人もいる事を知って何とも言えない気分に。今晩逮捕された女性も、これまで犯罪とは無縁で、刑務所の看護婦として勤務している時に今のダンナと知り合ったらしい。彼女は未来のダンナにこっそりと食料を差し入れしていたのが発覚して、看護婦の仕事をクビになるんだけど、それから間もなく2人は結婚している。こういった現象を研究する心理学者によると(いろんな仕事があるんだね、まったく)、女性の方が「私がおらんとアカン」的慈悲心で塀の中の囚人にプロポーズするらしい。おもろいなぁ、ひとの心って。

悪友はボストンに集まる

2005-08-10 13:31:04 | テロリズム
ドイツのドルトムント大学で博士号の取得に頑張っている友人から連絡があった。「私の生徒がワシントンで5週間ほどリサーチを行うんだけど、住むところを探すの手伝ってよ」、メールにはそう書いてあった。大学院時代のクラスメートだった彼女がメールで「私の生徒」と話すのにビックリ。そりゃぁ、実際に教えてるんだから当たり前のことなんだけど、出世しよってからにぃ。僕もオーストラリア時代に、所属していたサッカーチームのみんなで定期的に地元の小学生を対象にしたサッカークリニックを実施してたけど、誰か「僕の生徒」と呼んだのはあの時が最初で最後だ。ドイツにいる彼女とはすぐに連絡を取り、ホテルとかユースホステルじゃなく、サブレットを探した方がベターだという結論になって、今も彼女の生徒を入れた3人で家探しをしている。まぁ最悪の場合、その生徒さんが我が家に泊まるというオプションもあるので、あんまり心配はしていない。デイヴィッド・ベッカムのスペイン語と同じくらい酷くなった自分のドイツ語の事を考えれば、話し相手がほしいのも事実だし。

その友人が9月のはじめにボーイフレンドと一緒にアメリカに遊びに来る予定で、僕らはみんなボストンに集まり、当時のジャーナリズム学科の悪友どもと数年ぶりの同窓会を行おうと計画中。カナダで就職した女の子もいれば、マサチューセッツ工科大学で働いている奴もいるし、念願かなってESPNに就職したスポーツ担当(当時)のトニーみたいな奴もいれば、独立してドキュメンタリーばっかり作ってるのもいる。当時のニュースルームでリーダー的な存在だったアイスランド出身のクラスメート、2児の母親ながらビョークを連想させるヒップな編集者だったけど、今ではレイキャビクの国立博物館でお偉いさんになってしまった(アイスランドに行くと言ってから5年、本当に遊びにいきたいんだけど)。担当教授も「前例が無い」と呆れるほど仲がよかった当時のニュースルームの面々。ボストンでもベルリンでも、ケープタウンでも、同窓会をやるんだったら、いつでも行くぜい。いつかまた、あのメンバーで大きいプロジェクトをやれるといいんだけどね。

ワシントンでの家探しの話に戻るけど、サブレットっていうアイデアはなかなかグッドなのではないでしょうか?探せば1ヶ月単位での契約を結んでくれるアパートがあるとは思うけど、そういうのって基本的に高いから。サブレットの場合、1ヶ月や数週間単位での契約がOKのようで、種類も色々とあるようだ。例えば、ここアーリントンで見つけた例だと、3ベッドルームの一室(他の部屋には別のルームメイトがいる)を1ヶ月借りて700ドルほど。ルームメイトがいない分の家賃の埋め合わせを、こういった形で考えている人が少なくないんだけど、意外と短期滞在者の間で需要はあるらしい。駅からすぐの立地条件で、しかもケーブルテレビやインターネット環境が整っていて、部屋の広さや建物の清潔感を考えるとホテルより全然いいかもね。

超党派によって組織された独立機関911委員会は、2001年9月に発生した同時多発テロの容疑者らの一部の情報がテロ事件前から軍諜報部によって掴まれていたという疑惑に注目し、近くこの件を本格的に調査する構えだ。複数のメディアの報道によれば、軍情報部はモハメッド・アッタを含む4人のテロ実行犯がアルカイダのメンバーであるという情報を911事件の1年以上前に入手していたが、この情報をFBIなどの別の捜査機関に送らなかった疑いがもたれている。下院軍事委員会で副委員長をつとめる共和党のカート・ウェルドン議員は9日、アッタ容疑者ら4人が1999年には軍内部の「エーブル・デンジャー」と呼ばれる秘密諜報機関によって行動をマークされていたと語った。これが事実ならば、米諜報機関はアッタ容疑者らの背後関係をかなり以前から把握していた事になる。

ウェルドン議員は火曜日の発言内容が複数の情報をベースにしていると語っており、911委員会のリー・ハミルトン議長も委員会が事実の確認に動き出す事を示唆し、週末までに何らかの声明が発表される見通しとなった。911委員会は昨年、テロ事件が発生するまでの経緯をまとめた最終報告書を発表しており、その中で政府内の各機関が情報の共有化に消極的だった事がテロを未然に防げなかった原因の1つになったと結論付けている。ウェルドン議員によれば、「エーブル・デンジャー」は2000年9月、「ブルックリン」というコードネームで監視対象にあった4人のテロ事件容疑者の情報をFBIにも提供すべきと訴え、FBIが4人の身柄を拘束するように希望している。しかし、この訴えはペンタゴン内部の弁護士らによって却下される。アッタ容疑者らは合法的にアメリカに入国しており、捜査機関との情報共有は行えないというのが理由だった。

軍諜報部がなぜアッタ容疑者らを1999年の時点でアルカイダに関係した不審人物としてマークしたのか、ウェルドン議員はこの点については言及を避けている。AP通信の記者が9日に見せられたペンタゴン内部文書によれば、「エーブル・デンジャー」は1999年に組織され、陸軍特殊作戦軍のためにアメリカに潜伏するアルカイダ関係者の個人情報を入手する事が任務だったようだ。また、文書には陸軍内の情報局が「エーブル・デンジャー」に対して、アルカイダのメンバーらしき人物がニューヨークのブルックリンに潜伏している可能性があると情報を与えていたことが記載されている。しかし、アメリカ市民権や永住権を持つ人物に関する情報の追跡を懸念する声が少なからず存在したようで、陸軍特殊作戦軍はFBIへの情報の提供を行わなかったと文書は指摘している。陸軍がFBI以外の政府機関に情報を提供したかどうかについては、現在のところ全く不明だ。

マイケル・ジャクソンの性的いたずらをめぐる裁判で無罪評決を下した陪審員の2人が、8日夜にMSNBCの報道番組に出演し、「今となっては無罪評決を後悔している」と複雑な心境を語った。この発言を受けて、マイケル側の弁護士トム・メゼロウは「陪審員が今になって何を言おうとも、判決内容に変化が生じるわけではない」とAP通信の取材に対してコメントし、月曜日にテレビ出演した2人の陪審員が本の執筆で大金を得ようとしていると批判した。「12人の陪審員が熟考した上で、評決は下されたはずです。2ヵ月後に、その陪審員が自分の信念を変えてしまうとは。まぁ、ただテレビに出たかっただけなんでしょうね」、メゼロウ弁護士はそう語っている。月曜日にテレビでインタビューに答えた陪審員のエレナー・クックさんとレイ・ハルトマンさんは、原告の少年が実際に性的いたずらを受けていた事を確信していると語った。

「疑う余地も無く、少年は性的ないたずらを加えられたと思います。また、ある意味で少年自らがマイケルの玩具的存在になる事を楽しんでいたようにも感じられました」、79歳のクックさんはそうコメントした。2人のコメントで評決内容が変更されることは無く、検察当局も控訴を行えない。しかし、昨夜の番組に出演した2人の陪審員によれば、他の陪審員達の間でポップスターのジャクソンに有罪評決を下す姿勢は当初から存在しなかった模様だ。クックさんとハルトマンさんが今になって心境を語ろうとした背景だが、2人は金銭的な理由ではない事を強調し、現在の司法制度がどのように動いているのかを明らかにしたかったのだと語った。「真実を語るのに遅すぎるという事は無いと思い、口を開く事にしたのです」、クックさんはそう語っている。

MSNBCの司会者は「ほかの陪審員達との関係は今後どのようになるでしょうか?」と質問し、その問いに対してクックさんは、「怒りたければ怒ればいいでしょう。でも小児性愛者を野放しにしたのも事実です」とコメントした。また、ハルトマンさんは陪審員達がマイケル・ジャクソンという名前に感化され、検察側が用意した証拠類になかなか目を通さなかった事に怒りを覚えていると語った。ハルトマンさんは以前から陪審員たちが評決にいたるまでの過程について何度かコメントしており、陪審員達が無記名の評決投票を行った際、マイケル被告を有罪とした3票のうちの1つが彼のものであったと語っている。また、クックさんも以前に出演したABCの報道番組で、「マイケル被告が性的いたずらを行っていたかもしれない」という問いに手をあげた3人の陪審員のひとりだった。ニューヨーク・デイリーニュース紙は4日、ハルトマンさんとクックさんが共同でジャクソン裁判に関する本の執筆を計画していると報じた。

サッカー界の伝説的名手ディエゴ・マラドーナをテーマにした映画が、イタリアで製作されることになったようだ。イタリア映画界の大御所ディノ・リーシ監督(アル・パチーノ主演のセント・オブ・ウーマンのオリジナル版を70年代に撮った監督で、僕はオリジナル版のほうが好きだ)の息子マルコが、1986年のワールドカップ(アルゼンチン対イングランド戦)でのゴールめぐる物語を監督するようで、タイトルは「La Mano di Dio(神の手)」になるらしい。マラドーナのドキュメンタリーは過去にも制作されているけど、俳優を使ったドラマは今回が初めで、マラドーナ本人もすでに承諾しているんだとか。ラ・リパブリカ紙に載ったリーシ監督のコメントがなかなかのものだったので、ここに紹介しておきます。「マラドーナが生まれる前からサッカーはすでに存在し、彼の死に関係なく、これからも存在するでしょう。でも、サッカーに大きな影響を与えた天才がいたという事実は否めません。絵画でいうバン・ゴッホ、音楽でいうチャーリー・パーカーのような存在でしょうね」

最後の4割打者でもムリな仕事

2005-08-09 14:26:28 | ジャーナリズム
ピーター・ジェニングス死去のニュースから24時間あまり、僕はあのカナダ生まれのスタイリッシュなアンカーがまたニュース番組に戻ってくるんじゃないかと今でも思ったりするけど、各局が朝から流している彼の追悼番組を目にすると、やはりジェニングスはもうこの世にいない事をいやでも認識させられてしまう。ジェニングスがABCニュースのアンカーになったのが1965年で、彼はこのときまだ26歳の若さだった。肺癌で亡くなったジェニングスだが、一説には13歳の時から愛煙家だったようで、1988年になって禁煙に成功している。26歳の若さでネットワークテレビのアンカーに抜擢された話も凄いけど(おそらく、この記録が破られる事はないだろう)、高校と大学をそれぞれ中退して(学校よりもラジオの世界に進みたかったらしい)、4回の結婚を繰り返した人間味溢れるところが、僕がジェニングスを好きだった理由かもしれない。エドワード・マロウしかり、オールドスクールなブロードキャスターには破天荒なジェントルマンが多いのだ。

アメリカのニュース・ラジオ界で伝説となっているマロウ、彼にまつわるエピソードはいろいろとあるけど、第2次世界大戦中のロンドンでの仕事が最も有名かもしれない。戦争勃発前にCBSラジオの特派員としてロンドン入りしていたマロウは、やがてドイツ軍によるロンドン空襲が始まると、空襲の様子をラジオで実況中継したのだ。1991年の湾岸戦争で、ピーター・アーネットやバーナード・ショーが多国籍軍による空爆を実況中継したのは記憶に新しいけど、その50年近く前にマロウはすでに空襲の実況中継を行っていた。彼の第一声「こちら…、ロンドンです」は、ジャーナリズムの教科書なんかにも出てくる有名なフレーズだ。新しい事へのチャレンジが好きなマロウだったけど、唯一変えなかったスタイルが右手にはさんだタバコで、テレビの世界に移ってからもこれは同じだったようだ。僕も大学院時代にマロウの記録フィルムを見たが、大統領候補にインタビューする間も、何本ものタバコが消費されていた。

マロウよりもスタイリッシュなジェニングスは、これまでも国内の保守派から「リベラルすぎる」と批判されてきたアンカーだけど、26歳で抜擢されたアンカーの仕事も波乱万丈そのものだった。カナダなまりの英語や、文法の間違い、さらにはアメリカ文化についての知識の乏しさまで指摘され、ジェニングスは3年でアンカーの座から降ろされる。しかし、海外特派員としてABCに残ったジェニングスは、第4次中東戦争やレバノン内戦といった中東地域のニュースを度々カバーし、ヨーロッパでもミュンヘン五輪テロ事件の現場実況をつとめたりしている。特派員生活で強さと経験を得たジェニングスは、やがてABCニュースのアンカーに復帰している。「同僚は彼を愛し、ライバルは彼を尊敬した」-今日のニュース番組の中で、ジェニングスについてそう語る報道関係者がいた。「規格外」のバイタリティで世界中を走り回ったジェニングスの死、ひとつの時代が終焉を迎えたんだなと思う。

ニューヨーク・マーカンタイル取引所で行われている原油先物相場で、月曜日に原油価格が一時1バレルあたり64ドルにまで達し、終値は1バレル=63.94ドルまで値を下げたものの、先週金曜日の62.31ドルから最高値を大幅に更新する格好となった。3営業日連続で原油価格が最高値を更新した背景だが、関係者らがAP通信に語ったところでは、アメリカ政府がテロ発生の恐れからサウジアラビアにある大使館を閉鎖した事が大きな原因となっているようだ。また、アメリカ国内の石油製油所が火災などのために操業停止状態になっており、これが将来的なガソリンなどの供給不足を生むのではという懸念が発生していた。

エネルギー省の発表では、原油価格の高騰はアメリカ国内のガソリン価格にもすでに影響を与え始めており、先週だけでレギュラー・ガソリンが1ガロンあたり8セント値上げされて2ドル37セントにまで上昇した。アメリカ国内のガソリン価格(1ガロンあたり)は、今年だけですでに全国平均で49セント上昇している。全米における7月のガソリン消費量は1日当たり910万バレルとの事で、前年よりも約1パーセント増加している。石油アナリストのマーシャル・スティーブス氏はAP通信の取材に対し、国内の石油需要が著しく低下するか、もしくは経済成長が低速化しない限りは、石油やガソリンの価格はこれからも上昇を続けるだろうと語っている。「当分の間は、そういった事が起こるとは思えませんが」、スティーブス氏はそう付け加えた。

月曜日に原油価格が一時64ドルまで上昇した背景だが、在サウジアラビア米大使館の閉鎖やアメリカ国内の石油精製施設での火災(先週、フィラデルフィアにあるスノコ社所有の精製所で火災が発生している)などに加え、さらに幾つかの不安定要素の存在が挙げられている。石油輸出国機構(OPEC)でサウジアラビアに次いで発言力のあるイランは8日、イスファハン近郊の核施設でウラン転換作業を再開している。アメリカやEUはイラン政府がウラン転換作業を再開すれば、国連安全保障理事会のもとで制裁活動を行う可能性があると以前から警告しており、この動きが市場に少なからず影響を与えたと指摘する関係者もいる。また、インド北部の石油パイプラインも反政府勢力によって攻撃を受けており、復旧にはしばらく時間がかかりそうだ。

43年前に薬物中毒で死亡した女優マリリン・モンローだが、当時の捜査官の中には彼女の死因が自殺とは考えにくいと公言するものもいる。ロサンゼルス郡検察官としてモンローの死因を調査したジョン・マイナー氏は、モンローが死の直前に心理学者のラルフ・グリーンソン博士とのセラピーで将来の夢を語っていた事に注目し、彼女が自殺をする原因が見当たらないと語っている。マイナー氏によれば、グリーンソン博士とモンローとの会話のやり取りはテープに録音されており、過去にこのテープを聞いたことがあるのだという。マイナー氏がその存在を主張するテープでは、モンローがうつ状態でなかった事や、シェークスピアの作品にトライしたい希望を持っていたことなどが語られているそうだ。マイナー氏はテープの内容をトランスクリプトにまとめたが、グリーンソン博士はすでにこの世を去っているため、テープが本当に存在したかを示す証拠はない。

マイナー氏がABCニュースに見せたトランスクリプトでは、セラピー中のモンローが「シェークスピアの作品を何度も読んで、セリフの練習もしたわ。(ロミオとジュリエットの)ジュリエット役に挑戦したいと思ってる」とグリーンソン博士に語っているとされる。「こんな会話をしている人物が、はたして自殺などするもんですかね?」、マイナー氏はABCニュースの取材にそう語った。トランスクリプトの別の箇所では、モンローはアカデミー賞女優であったジョアン・クロフォードとの同性愛関係についても語っており、彼女自身はクロフォードとの関係を楽しんではいなかったようだ。テープそのものが現在は存在しないため、マイナー氏の作ったトランスクリプトの信憑性を確かめる術はないが、ケネディ大統領の弟で司法長官をつとめたロバート・ケネディとの間にもロマンスが存在したと、マイナー氏は語る。テープでは、ロバートとの関係を清算したいモンローが、彼を傷つけるのを恐れて別れ話を持ち出せずにいる様子を語った部分が存在していたとの事。

作家のマシュー・スミス氏は2003年に発表したモンローの死に関するミステリーを扱った本の中で、マイナー氏のトランスクリプトにも触れている。スミス氏はこれまでの調査からモンローが自殺を考えるようなタイプでは決して無かったと結論付け、実際の彼女が非常に前向きな性格だったことに注目していると語った。スミス氏はモンローは自殺ではなく、当時のCIA工作員によって殺害されたというセオリーを語った。「ケネディ兄弟がモンローの死に関係していたという説ですが、僕には信用できない話ですね。僕は当時のケネディ政権の政策に幻滅したピッグス湾事件の生き残り、つまりCIAが関与したと確信しています」、あくまでも仮説を強調するスミス氏だが、ピッグス湾事件の怒りが収まらないCIA内部の人間がケネディ兄弟とモンローとの情事を利用しようとしたのだと力説する。モンローの死によって、3人の不適切な関係が公になる事を望む勢力が存在したと語るスミス氏は、「これは完全な策略だったんです」とコメントした。

読売ジャイアンツとニューヨーク・ヤンキースのファンという日本の友人からメールがあり、阪神タイガースとボストン・レッドソックスのファンである僕はこのパレスチナとイスラエルのような関係を楽しんでもいるんだけど、メールの内容はやはりレッドソックスへのイヤミそのものだった。まぁ、どういうことかと説明すると、レッドソックスのロースターには元巨人のゲーブ・キャプラーとロベルト・ペタジーニが名前を連ねており、メールは「巨人で成功しなかった選手を使うなんて、レッドソックスもヤキがまわったな」みたいな内容。天邪鬼な僕はすぐにメールを返信し、「そうじゃなくて、実力のある選手でも、巨人に行けばダメになる。事実はそういうことでしょう」と言ってやった(ご心配なく、これでも昔からの友人です…)。でも、これって意外と的を得てると思うんだけどなぁ。おそらく、現役時代のテッド・ウイリアムズでも、今の巨人で活躍するのは難しいんじゃないかな。

名アンカーよ、さらば

2005-08-08 13:34:44 | スポーツ
ここまで来ると、もう笑ってしまうけど、今日の夕方も自宅アパート周辺で警察による逮捕劇が。仕事で事件現場に行くのは全然気にならないけど、自宅周辺にパトカーや消防車が来たりすると、やっぱりイイ気分にはなれないよな。夕方、帰宅途中の僕が自宅アパートのまん前で見たのは4台の警察車両。アパートの横に面した道路にはすでに何人かの野次馬も出ていて、てっきり2日前の車両放火犯が捕まったのかと思って近くにいた子連れの夫婦に聞いてみると、今度はアパート近くの路上に駐車していた大型バンの運転手が挙動不審で逮捕されたらしい。2日前の事件とは無関係のようだけど、逮捕された中年男性はどうもクスリでハイになって、大声でカントリーの曲を歌ってたみたい。アホだねぇ。事件現場を一緒に見てたテキサス州出身の弁護士のオッサンが、「暑くなるとワケの分からんやつが出てくるからなぁ」と僕に一言。「じゃあ、テキサスはもっとヤバイでしょう」と僕が言い返すと、オッサンは苦笑いしてたけど、目は「イエス」と言っているような気もした。

ボストン時代、消防車についたアイルランドの国旗をめぐって大きな議論となった事がある。ボストンで消防士として働く人の中には、黒人やヒスパニックの人もいて、消防車両にアイルランドの旗だけをプリントするのは「人種差別」という議論だ。ニューヨークと同じように、ボストンでも消防士と警察官には昔からアイルランド系が多く、その名残りで消防車両にアイルランドの三色旗がプリントされていた。僕は個人的には全然OKじゃないかなと思うんだけど、まぁ議論は続いているんです。同じような事はスポーツの世界にも存在していて、「ある特定のエスニックグループが不快感を覚えるチーム名などはけしからん」というのが最近のトレンドのよう。「レッドスキンズ」や「インディアンズ」というチーム名、たしかに聞く人が聞けばイヤな思いをする名前かもしれないけど、NCAAは「ブレーブス」という名前のチームにも愛称の変更を求めている。「ブレーブ」といえば、アメリカ原住民をさす言葉でもあるけど、元々は「勇敢な人物」を意味するもの。「そこまでやりますか」と思いながら、今日最初のニュースです。

全米大学競技協会(NCAA)は5日、「アメリカ原住民を敵視するような」ニックネームを持つ大学スポーツのチームに対し、今シーズンのプレーオフ以降その名前やロゴを公の場で使用する事を禁じると発表した。NCCA側の今回の発表に怒りを隠せない大学も少なくなく、今後の展開では訴訟の可能性も浮上してきた。来年2月から適用されるこの新しいルールでは、NCAA側によって「人種的に敵意に満ちている」と判断されたチーム名やロゴなどが大会中の使用を禁じられる事になり、チーム・マスコットも大会でのパフォーマンスが一切禁止されることになる。また、チアリーダーや応援バンドのメンバー達も、2008年からはユニフォームにアメリカ原住民を連想させるロゴを貼り付けることが禁じられた。大学フットボール強豪の多くはNCAA主催の大会に参加していないため、今回のルールに影響される事はないようだ。

しかし、新ルールの適用に憤慨する大学もあり、フロリダ州立大学はすでに法的措置を起こす構えを見せている。フロリダ州立大学の主要なスポーツチームはセミノルズ(フロリダ半島に住んでいたアメリカ原住民のセミノル族から名付けられた)と呼ばれており、ウェットフェレル学長は「NCAAは我々の大学とセミノル族の人々との深い結びつきを無視して、我々のチーム名を批判していますが、これは侮辱以外の何物でもありません」と語っている。アイオワやウインスコンシンといった州では、アメリカ原住民の名前をニックネームにしたチームが、NCAA主催の大会から事実上の締め出しを食らっている。NCAAは大学側にチームやマスコットの名前を変更するように強制はできないとしているが、フロリダ州立大学を含む18校のマスコットが「規定違反者リスト」に名前を掲載されている。

このまま何の変化もなければ、これらの18校は来年2月以降のプレーオフでチームユニフォームのロゴや名前などを隠さなければならず、加えてNCAA関連の大会で主催試合を行う事ができなくなる。フロリダ州立大学のウェットフェレル学長は、大学側はセミノル族からの支持を受けており、セミノルズというチーム名を使い続けるのに問題はないと主張する。しかし、NCAA側の発表では、セミノル族の中からもチーム名に不快感を覚える者が少なくないとの事だ。アメリカ原住民の活動家らは、すでにNCAAに対してより厳しいルールの適用を求めている。CBSニュースの報道では、NCAAは当初33の大学を「規定違反」の疑いで調査していたが、そのうちの約半分がチームやマスコットの名前を変えることに同意し、現在は18校を残すのみとなっている模様だ。チーム名を変更した大学だが、たとえばマーケット大学(ウインスコンシン州)のスポーツチームはウォーリアーズとして知られてきたが、最近になってゴールデン・イーグルズに変更されている。

米軍によるアフガニスタン侵攻からしばらく経過した2001年11月、アフガニスタンを支配していたタリバンは壊滅状態となり、彼らによってサンクチュアリを与えられていたアルカイダもアフガニスタンを脱出しなければならなくなった。アフガニスタンの山岳地帯でアルカイダが脱出を準備する様子を目撃したハミッド・ミール氏(著名なパキスタン人ジャーナリストの彼は、オサマ・ビン・ラディンの伝記を書いた作者でもある)は、アルカイダのメンバー達が移動中にロシア製の軍用銃だけでなく、ノートパソコンも肌身離さず持っていたと当時を振り返る。それから約4年もの月日が流れ、アルカイダは史上初めてサイバースペースにおいても活動を活発化させるゲリラ組織へと変わった。アフガニスタンの訓練施設を失ったアルカイダだが、インターネット上で作戦の計画やプロパガンダ計画が常に行われており、ノートパソコンとDVDが大きな役割を果たしているようだ。

西側諜報機関の関係者らは、インターネット上でイスラム過激思想が広められていく最近の傾向を「グローバル・ジハード」と名付けており、世界各地の過激思想に感化されやすい若年層の間で「ジハード」が一種の英雄行為として考えられ始めている事に危機感を抱いている。アルカイダと関係があるとされるウェブでは、チャットや掲示板の書き込みに回答する人間が用意されており、市販の化学薬品から爆弾を製造する方法や、猛毒リシンの作り方、シリアからイラクに密入国する方法などが事細かに論じられている。サウジアラビア国内のアルカイダ関係者は2004年にオンライン・マガジンを立ち上げており、そこでは若者を対象にした過激主義への勧誘活動も実施されている。「軍事訓練を自宅でも行える」とのキャッチフレーズがついたこのウェブサイトだが、決して珍しいものではなく、同様のものがすでに幾つも確認されている。逃亡中のアルカイダ・メンバーが運営するサイトでは、2ヶ月前にアラビア語で書かれた15ページにも及ぶ「生物兵器製造法」のドキュメントが掲載されている。

アルカイダ系のウェブサイトとして有名なものに、「アルネーダ・ドット・コム」があり、このウェブサイトはサウジアラビア人の宗教指導者ユスフ・アイリ師によって運営されていたとされる。2002年夏、アメリカの捜査当局はこのサイトを閉鎖するために動き出したが、サイトのドメイン名はポルノ業者が所有し、サーバーはマレーシアに移されていた。サーバーはやがてマレーシアからテキサス州に移り、その後ふたたびミシガン州に移動している。アイリ師はサウジアラビア当局との銃撃戦によって、2003年5月に死亡しており、それからすぐに彼の運営するサイトは姿を消した。サイトの運営が困難になりつつある現在、過激派グループはウェブ上でフォーラムを開催する形にスタイルを変えつつあるようだ。有名なものに要塞の意味を持つ「カラ」というサイトがあり、アドレスの登録はUAEのアブダビで行われているものの、サーバーはテキサス州のヒューストンに存在する。このサイトの運営者としてロンドン在住のサウジアラビア人亡命者の名が浮上しているが、彼は関与を強く否定している。

昨日のブログを更新してから、「Der Untergang」の続きを見た。ベルリン陥落を前にヒトラーやほかのナチス指導者たちの「転落」を描いた映画だけど、ドイツ映画らしく、ハリウッドのように余計なサイドストーリーなどを盛り込まず、地獄絵図そのもののベルリンの様子を淡々と描いている。当初はドイツの繁栄を願っていたナチス指導者らが、終戦間際には市民を犠牲にしてまでも徹底的に戦い抜くと心変わりしていく過程が興味深い。当時の宣伝大臣ゲッベルズの妻マグダが、ベルリンの地下壕に作られた寝室で眠る自分の6人の子供達(ヒトラーに心酔していたマグダは、6人の子供にHから始まる名前を付けている)に毒を与えるシーン、母親に抱かれて次々と死んでいく子供達の姿が痛々しかった。

ABCニュースの顔的存在で、1983年から同局のニュースでアンカーをつとめていたピーター・ジェニングスが7日に死亡した。15分前にニュース速報で入ってきたばかりで、肺癌に侵された彼の容態があまりよくないという話は聞いていたけど、今も驚いた状態でパソコンのキーをたたいている。テレビではダイアン・ソーヤやバーバラ・ウォーターズといったベテランのアンカーたちが追悼のコメントを述べている最中で、日本で言うと久米さんや筑紫さんといったアンカーが亡くなったような話。まだ67歳だったという事で、いつかはテレビで再びその姿を見れるかなと思っていたんだけど。トム・ブロコウやダン・ラザーといった面々がブラウン管から姿を消し、ジェニングスが復帰する可能性も完全に途絶えてしまった。僕が一番好きなアンカーでもあったジェニングス、ご冥福を祈りします。