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サブカルチャーマシンガン

自分だけの「好き」を貫く為のブログ。

虚無の矛先。/アクタージュ 第95話「アイデンティティ」 感想(週刊少年ジャンプ2020年4・5号)

2019-12-23 | アクタージュ









羅刹女は、
自分の怒りを誰かにぶつける事によって自分を保っている
しかし、そこまで行くともはや共感を越えて単なる狂人になってくる
早い話が単なる八つ当たりなんですよね
そこに生産性は無いと思う
人間として生まれたならば、
狂人である手前に酔うよりもそこから逸せるように努力すべきなんじゃないか、と

例えば、
社畜自慢とかありますけど、
あんなん堂々と他人に誇るようなもんじゃないと思うんですよ
言ってしまえば、そういう企業から抜け出せない自分が間抜けなだけですから
もっと言えば、人間には選ぶ能力があるんですからより自分に合った仕事を選べばいいだけ、なんです
個人的には、常に何かに怒ってたり批判を繰り返している人生が幸福だとはとても思わない
それと愚痴ばっか言ってる人間に共感も持てない
そういう人らは感謝の気持ちを忘れてるので、
なんでしょうね・・・正直「もっと生産的な事言えよ。」とも思う事も多い自分にとっては頷いてしまう墨字さんのセリフでした。









夜凪ちゃんは、
花子さんの言いなりになって、
この舞台を完遂させる事に迷っている
自分が全部をぶち壊したとしても、
正直許されると思う
同情は買えると思う
でも、そこに生産性はあるんだろうか?とも思う
それは自己満足だとも思う
けど、
権利はあるとも思う・・・その狭間で揺れている
ネガティブの中から、懸命にポジティブを見つけ出すやり方が自分は好きなんだけど、
ネガティブはネガティブのままで一度落ちるとこまで落ちてもそれはそれでアリだとも思う
それは。
ある意味上手い、、、というか
どっちにも感情移入出来る作劇にも成り得ている気がする
花子さんも意図的に不倫した訳じゃないし、ただ「凄いもの」を生み出したいだけ
夜凪ちゃんは、母親の遺恨を晴らしてやりたいだけ・・・
でも、
夜凪ちゃんの本当の目的って何だったんだろう?って考えると・・・。









正直は話、
自分は嘆く為に生きているわけじゃない
誰かを憎む為に生きてるわけない
最初は誰だって、
純粋に楽しんだり
純粋に喜んだり
純粋に泣いたり、
純粋に怒ったり・・・そういうものの為に生きていたはずで。
今の羅刹女の状態は、ネットで誰かをサンドバッグにして愉しんでいる連中とほぼほぼ変わらない
でもそんなんじゃ何も生まれることはない、、、というある種巧妙なメタファーとしても成立している、
やはりアクタージュは思想漫画なんじゃ。。と強く思わせてくれる共感だらけの95話目でした
個人的に、
冒頭の墨字さんのセリフを大手振って支持したい気持ちです。


そして、自分的に夜凪景という“役者”を信じています。心から。