
高校の時はsyrup16gばかり聴いていた。
昼飯を食べ終わった後、
話す相手もいないのでよく机に寝そべってシロップの曲を聴いていた
と、いっても殆ど寝てるフリで耳には延々と五十嵐さんの声が響いていた
数学の成績がものすごく悪くて、
呼び出されて補習を受けていたのだが、
正直まったくやる気がなかったのでその時もシロップの曲を聴いていた
今考えればとんでもねえ事やってたな。。って思うけど、
その時流れてた曲が「負け犬」だったのは今でも鮮明に覚えてるし、(意図せず)象徴的な選曲になっていたと思う。
「生きたいよ」は、
最も通学時に聴いていた曲で今でもその道を通ったりするとよくこの曲が思い浮かぶ
通学路の途中まで行ったけど、なんとなくやる気が出ずに「もういいや・・・。」と思って道を引き返し、
家でゆっくり過ごして翌日無断欠席を注意された思い出もこの曲を聴いていると思い出す
今振り返ると、
この曲のクタクタになりながらも必死に前に進む感じ・・・が、
坂道が多めの田舎の通学路のBGMとして似合ってた節もあったように思う
それくらいこの曲が大好きだったし、
当時のアンニュイな学生生活のOPやEDとしてフィットしていたんだと感じる。
その時から、
得体の知れない違和感と虚無感に襲われるようになった
誰かと話していても、自分だけ「何か」が違うような、そういう感覚で
昔はそういう他人との合わなさがとにかく辛くてこの曲に何度も救われてた気がする
集団の中に身を置けば置くほど、自分と他人の距離感や違和感に戸惑ってそのまま終わって行く感覚・・・が、
中学から高校、そして社会人になってからも存在していて、今も正直器用とは言い難いけど、
その時は他人とまともに話すこと自体が色々な意味で厳しかったりしたので、
シロップのそういう弱音を吐き出す曲に助けられてたんだと思う。
君はいない
いつだってもう
この手離して
しまったんだ
君はいない
いつだってもう
正気でなんて
いらんないぜ
この記事は、
一応平成最後のレビューとして書いていて、
純粋にこの曲の魅力を伝えたい・・・と思って書いている節もある
思い出語りもいいけれど、最後に今だから感じるこの曲の魅力を語って締めたいと思う
自分にとっての「平成」は、一言で“喪失”だった
色々な人と疎遠になったし、
色々な感情を失ったし、
色々な事を諦めてしまった時代だったように思う
この曲の本質は、既に歌いだしの部分に込められていて、後は「そこからのストーリー」にも感じる
ここで歌われている「君」は、友達であったり、想い人であったり、色々な解釈が出来るけど、
大胆に解釈するならば、「昔の自分」という捉え方も出来る。
この世の嫌な部分を知らず、
ただ純粋に、
ただ単純に、
自分の好きを求めて、
自分のやりたいように生きていた。
そんな自分は何処にも居ないし、過去に置き去りにして来てしまった
そういう“喪失”に嘆く想い、正気ではいられない・・・という感情の吐露が生々しくて素晴らしい
同時に、
「あの頃」一緒に居たはずの“誰か”にもう2度と会えない今が確かにある。。という、
そんな事実に気が狂ってしまいそうな夜も人には必ず存在する
もう1度会って、話がしたいけど、
文字通りそれは自分に勇気がなかった所為だから、
余計に悔しくてどうしようもなくて弱音が出てしまう。
そういう・・・
どうにも出来ない現状の寂しさを、
ここまでストレートに歌ってくれるバンドの筆頭格がシロップ16gだった。
痛みを抱えながらも、懸命に生きることを選択する、ある意味、
学生時代の一番のロックヒーローが五十嵐さんだったのかもしれません。
後ろ向きLife style
死ぬまでRock?
Nobody likeそんな
Beautiful
生きたいよ
最後に、
シロップは決して絶望的な音楽ではないし、宗教でもなければ、メンヘラ御用達の音楽なんかでもない(と、思ってる)。
後ろ向きな人生でも、死ぬまで何かに逆らわなきゃいけないような辛さを抱えていても、
誰からも好かれないような存在だったとしても・・・
それでも、
「生きたい」
生き続けたい、、、と強く想っている
“希望”の音楽であり、ロックンロールバンドだと個人的には思ってるんです。
今、この曲を聴くと、こんな自分でも、
何かを掴みたい
(他人にとっての)何かでありたい・・・と強く想うので、
当時とは印象、というか感じ方もより大人になっているのかもしれません。
そう考えると、死ぬまで楽しめる音楽な気がします。syrup16g。
う~ん、最後の最後まで自己満足100%の記事で良くも悪くも自分らしい、ですね(笑
平成の間、長い間、ちょっとでもレビューを読んでくれた皆さんありがとうございました。
令和でも相変わらず“感想屋”続けるつもりなんでよろしくお願いします。