
人間、
それなりに長く生きてると、
自分が「持っている人間」かそうでないか、
自ずと分かってしまう
それは理屈で説明出来るようなものではなく、
絶対的な感覚としてあるもの・・・だと個人的には思う
他人からどう見えていたって自分の中から見える世界には何の関係もなくて、
そこには一切の希望など存在せず手に付けられない虚無感が拡がっているだけ・・・なんだと思う。

人生は、
言ってみればそんな「虚無感」との戦いで、
自分が不出来な偽物だと、
誰かには及ばない劣等品だと、
そういう事実と向き合いながら生きていくしかない淋しいものだと、
そんな事を市子というフィルターを通して描いているように思えた
そして、
そういう感情は、
自分自身何度も味わって来たリアルな感情だったから、
余計に市子に感情移入してしまった自分も居た、、、のが素直な感想だった
本当は、
自分が何を失くしてしまったのかも知っている
でも、その失くしてしまったもの・・・そう、「純粋さ」は、もう二度と取り返せないもので、
市子もまたただただ無邪気に自分を未来を信じられていたいちごちゃんの時代には戻れなかったりするんでしょう。

「自分は違う」という感覚を持ち続けながら生き続けるのはしんどいし、
「自分は持っていない」という感覚を持ち続けながら戦うのはもっとしんどい
でも、
この話数には、
それでも“何か”を諦め切れない
勝手に絶望して勝手に終わっていくだけではない、
“それでも”っていう切実な想いが込められていて正直素晴らしかったと思います
自分は天才ではない
圧倒的な才能もない
持ってはいない。
でも、
それでも、
やっぱりどこかで捨てきれない自分への未練みたいなもの、
自分だって自分の可能性のような「何か」を信じていたいっていう
そういう・・・自分を凡人だと知った上で足掻く人の美しさ、が描かれていて
そういう意味ではこれまた一つの生き方を提示したようなこの漫画らしい話数だったとも思います。
本当は、
妥協・・・というか、割り切って「自分じゃあの人(ら)には叶わんから。」と
今あるものだけに満足する振りをして自分を誤魔化しても許されるんですよ
でも、いくらそういう風に自分の感情を取り繕ってみたって、
どうしても人間は欲張りだから「持ってない。」という心情には抗えないんですよね
それは才能という絶対的なセンスの前ではあまりに滑稽な反抗なのかもしれない
でも、
市子はそれでも「自分だって」という想いを押し殺さずに“頑張った”
これで市子の存在感が夜凪ちゃんを上回れるとは思わないけれど、
口では何とでも言える中、行動に示したのもまた事実
そういう風に、
自分だって、いつだって、何かを信じて、抗って居たいんだ。。という
確かなメッセージ性をモノローグではなくキャラの行動で伝えてるところが何より素晴らしく感じられましたね。
ま、要するに、
このまんま黙って死んでく訳にはいかねえよ!っていう、
チクショウ!っていう根性ですよね
酔狂に映ろうが、
どこまでも不恰好に転がり続ける、
それもまた一つの格好良い生き方なんだよ、と。
もはや、
観客も羅刹女だけに感情移入~という流れではなくなっているでしょう
だからこそ、この舞台の行く末が気になってたのは墨字さんではなく読者も同じこと
最終的には、どういう方向性で物語がまとまるのか・・・期待しています。