読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

映画「光州5・18」

2008-09-16 14:59:27 | Weblog
 「光州5・18」公式サイト 
 この映画は昨年夏韓国で公開され、750万人の観客を動員した大ヒット作だそうだ。私が観たのは6月頃。この映画の影響か、光州事件に言及したり特集した記事が昨年から新聞に目立っていたが、私はこの映画で初めて事件の詳しい状況を知った。それもそのはず、この事件は軍政下で長らく封印され、韓国内のメディアでは一切報じられていなかった。現在に至るまで事件の詳しい状況や、正確な死者数などもはっきりとはわかっていないのだとか。韓国でもこの映画によって事件を知ったという若い人たちが多いという。

 1979年の朴正煕大統領暗殺事件後、民主化要求運動の高まりによって、一時は民主的な政治体制に移行するかに思われた韓国だが、1980年5月17日クーデターによって政権を掌握した全斗煥保安司令官は非常戒厳令を全土に発令し、反体制派の政治家、知識人、学生らを一斉に逮捕。そら、みんな怒るでしょう。大学が休校になっても学生たちは集まり、街頭に出て「軍事政権反対!」を叫ぶ。自然発生的なデモだ。しかし当然軍事政権側はこれを鎮圧しようと全力を注ぐ。映画の冒頭で、大量の兵士たちが移送されるシーンが出てくる。良心的な中佐が行き先を上司に聞くが「よけいなことを聞くな!」と一喝される。(盧泰愚元大統領にそっくりな指揮官も出てくる)兵士たちは、とうとう北と一戦交える時が来たかと思うが、輸送機が南に向かっているので不審に思う。向かったのは全羅南道光州市。投入された兵力は、映画の PRODUCTION NOTES 「『華麗なる休暇』と名づけられた作戦」によると総勢47の大隊、2万人以上の兵士と航空機30機、戦車7台、装甲車17台、車両282台。これ、あんまりじゃないか。

 学生デモがめちゃめちゃに蹴散らされ、市街地は逃げ惑うデモ隊とそれに巻き込まれた群衆とで阿鼻叫喚。ヒロインのシネは映画館から避難しようとしたところを兵士に追われ、あやうく殴り殺されそうになる。きっとこの時、巻き添えになって殺されたり、負傷した市民も多かったに違いない。田舎の少年のような顔をした兵士が「この共産主義者め!」と、憎しみに満ちた顔で棍棒を振りかざし、殴りかかってくる。彼らは「祖国を共産主義の魔の手から守る」ことが自分たちの使命であり、それが正義であると信じているのだ。話にならないと思う。だけど、当時の南北の政治的緊張状況もあるだろうし、実際、北朝鮮の特殊部隊が光州市に潜入して蜂起を扇動していたという情報もある(朝鮮日報 2006年12月21日の記事)から、あながち妄想だとは言えないし、市民側が完全に正しいとか、被害者だとかも言い切れないとも思うのだ。あ、この件、ウィキペディアに未解決問題として載っている。

 第一、武器庫を襲って武器弾薬を奪い、道庁に立てこもるってなに?いくら兵役経験がある者が多くて、武器を扱い慣れているからってちょっとやりすぎじゃないか?そこで映画では、最初傍観的だった市民が軍隊の暴虐に憤って次々と抗議デモに参加していく様子を感情的なドラマに仕立てている。掃討部隊とにらみ合っている中、軍が午後3時に撤退するという情報が流れ、デモ隊は快哉を叫ぶ。そこにスピーカーから国歌が流れ、皆が直立不動で胸に手をあてて斉唱した直後、撤退ではなく銃撃命令が出て丸腰の市民に向けて一斉射撃がされる。デモ隊は逃げ惑い、主人公の弟が銃弾に倒れる。大通りは死傷者で埋まり、父親を亡くした少年が号泣する。「これはいけない」と思う。軍隊が自国の市民に向かって発砲するなんて決して許されないことだ。この大惨事に憤った市民が、軍事政権から自分たちの街を守るために立てこもって戦ったというのがこの映画の見方だ。

 そうか、この時点で彼らは当然、軍事クーデターで政権の座についた大統領などに正統性はないと思っているのだ。そして、正統性のない政権による暴力に対しては、武力を持ってして交戦する権利があると思っている。ここらへんは日本人の私らからは理解しにくいかもしれないが、韓国の民主化はそのようにして血と涙で達成されたのだなあと映画を見ながらつくづく思った。


 この光州のある全羅道は、歴史的に見ても冷遇され、差別されてきた土地であるらしい。パンフレットのコラム「光州事件とは何だったのか?」真鍋祐子(東京大学東洋文化研究所準教授)から
 
現代韓国政治と光州事件
 光州事件の背景には、深刻な全羅道差別があったとされる。冒頭シーンに新緑の稲がうねる広大な田んぼが映し出され、次に爆音を轟かせる空挺部隊の連なりを見上げる農民たちの姿が描かれる。そこは昔から寄生地主たちに牛耳られ、農民たちは肥沃なるがゆえの貧困を余儀なくされ、小作争議の絶えない土地だった。もとより風水思想では反逆者を生む地勢として冷遇されてきた土地でもあり、頻発する小作争議は「逆郷」のイメージをいや増した。60~70年代、工業化と観光化を推し進める朴正煕大統領はソウルや郷里の慶尚道を重視し、全羅道を冷遇した。こうして働き手の多くが安価な労働力として都市部の工場に吸収され、農村は疲弊しきっていた。光州事件の起こった80年当時、この一帯は「韓国の第三世界」と比喩され、人々の間には歴史的に鬱屈した感情が共有されていた。(中略)
 朴正煕が近代化を急いだのは、冷戦構造が深刻化する国際情勢の中で、親米反共国家として軍事的・経済的に「北」を凌駕し、やがて吸収統一することが第一義とされたためである。映画に頻出する「アカ」「不純分子」「暴徒」などの言葉はそうした政権や政策に異を唱える者に貼られたレッテルである。それは事実上、社会的な抹殺を意味していた。大統領の独裁体制が確立された70年代以降、この傾向はいっそう苛烈になっていた。

 そうだ、そもそも朴正煕大統領にしてからが、日本の植民地統治時代の落とし子的存在ではないか。そして韓国を共産主義の防波堤にするために、軍事クーデターで政権についたような大統領を、日本とともに積極的に支援してきたのがアメリカだ。アメリカは一方では「民主主義を世界に広める」とか言いながら、共産主義に対抗するためならば、ナチや旧日本軍の戦犯でさえも利用できるものは利用し、言論弾圧や虐殺をする南米の軍事政権に資金援助するような国だ。
 (同上)
 光州事件がその後の時代に与えた影響は、空挺部隊の投入を駐留米軍が容認したことで惨禍が拡大したとの見方から、反米ナショナリズムへの転回として現出した。アメリカはわが民族を分断し、分断状況は「北」に勝つための軍事独裁政治を招き、政権が推進する不均衡な開発は地域格差を招き、そこに鬱積した全羅道民の不条理感が光州事件を招いたのだ―。87年6月29日の民主化宣言を勝ち取った80年代の学生運動は、このテーゼによって牽引された。それから15年の歳月を経て、米軍装甲車が二人の中学生を轢き殺す事件が起きたとき、かつての学生運動世代を中心に反米ナショナリズムは再び息を吹き返す。こうして誕生した盧武鉉の親北政権は皮肉にも、光州事件の副産物であった。

 アメリカに対する落胆は映画の中でも語られる。光州市が封鎖される中、市民たちは「きっとこのことが報じられたら、軍事政権に対する世界的な非難が巻き起こるだろう。米軍だって黙ってはいまい。韓国沖に米軍空母が来ているそうだ。」と期待するのだが、元軍人のリーダーであるパク・フンスだけが懐疑的だった。「空挺部隊を動かすためにはアメリカ軍の許可がいるはず。きっと米軍の同意の上で動いているのだ」と。実際、メディアの情報は操作されて、この事件は共産主義的な「反乱」であると決めつけられてしまう。駐留米軍は5月22日、その指揮下にある四個師団の投入を承認して、27日に市民軍は武力制圧される。正義の味方と思っていたアメリカが、実は軍事政権と同じ穴の狢だったと悟るのだ。


 この映画、歴史的事件の掘り起こしという意味でも意義があるだけでなく、ドラマとしても感動的だった。ヒロインのシネ(イ・ヨウォン)は健気で素敵だし、その父親パク・フンス役のアン・ソンギもかっこよかった。この人「シルミド」でも秘密部隊の部隊長として出演していたっけ。国民的俳優だそうなんで他の出演作を見ようと「ピアノを弾く大統領」のDVDを借りたが、やっぱりラブ・コメディーは似合わんわ。(チェ・ジウはかわいかったんだけど。)