読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

腹が立ったこと

2008-09-11 15:48:40 | 日記
「その時歴史が動いた」
 最近頭にきたことがあって、やっと忘れかけてたのに、昨夜のNHK「その時歴史が動いた」(シリーズ 日本降伏 後編帝国最大屈辱ノ日ナリ~9月2日・降伏文書調印~)を見ていたらまた思い出した。
 
 1945年8月15日、天皇の玉音放送で敗戦を宣言したものの、軍内部では一部の集団が徹底抗戦を唱え不穏な動きをする。皇族が説得に赴いてやっと収拾。政府や軍上層部の会議では、「降伏」という言葉は屈辱的だから「降服」にしようなどと枝葉末節にこだわり、だれが降伏文書にサインするかでもめて責任のなすりつけあい。東久邇宮総理大臣は記者会見で敗因の一つに「国民道徳の低下」があるとして
「この際 私は軍官民 国民全体が徹底的に反省し懺悔(ざんげ)しなければならぬと思う。全国民総懺悔することが わが国再建の第一歩であり わが国内団結の第一歩と信ずる。」

という。いわゆる「一億総懺悔」だ。ふざけんじゃねえ!
 この「一億総懺悔」論は為政者(特に天皇)の戦争責任をあいまいにし、国体を護持するために議論を封じようとする意図があった。さらに責任の所在を「みんな」というひと括りにしてしまうため、個人の戦争協力に対する責任までもうやむやにしてしまったのだという。(あー、このあたり参考になる)

 そうか、「国民道徳の低下」が最近の目を覆いたくなるような不愉快な世相の原因だ!なんて言う奴らはつまり、責任の所在をあいまいにして逃げようとしているわけか。それでわかった。



 腹の立つこと
 先日町内6校PTA合同の「教育講演会」なるものがあって、その講師がまるでそのとおりのことを言うのだ。最近の食品偽装のオンパレードは「天の目」つまり倫理道徳の価値基準がなくなってしまったために起きているのであって、学校、家庭でもう一度「物事の理」を教えなくてはならないという。要するに「道徳教育強化」論だ。後半は食育の大切さ。しかし結論部が間違っている。

 あまりのくだらなさに頭にきた。くだらないダジャレと細切れのトリビア的小ネタ。10年以上時代遅れだ。10年前なら正しかったってわけじゃないけどだまされる人はいただろう。でも今はくだらないだけでなく、自己責任論につながって有害ですらあると思う。何よりこんな死にかけたような元教育者をこの近辺にPTAが何度も呼んでいるらしいってことに絶望した。腹がたったので、講演の間中アンケート用紙にぎっしりと批判的感想を書いていて、後で提出した。

 最近また新たに発生した食品偽装問題を見てもわかるように、今起きていることは、グローバル化に伴う価格競争、経済状況の悪化で企業がもはや節約や人件費削減だけでは持ちこたえられなくなっているということだ。生きるか死ぬかというときに倫理道徳など説いても効果ない。それにそもそも、じゃあ昔は倫理道徳が徹底していたから悪どいことはやってなかったのかって言えばそれも疑問だし。ともかくいい加減すぎる。こんなことしか言えないような人が有名高校の校長を何年もやってたのか。あんな人に講師料を払うのか。もったいなさすぎ。うちの学校の校長先生の方がよっぽど現実的で具体的で進歩的なことを言う。私が今までに聞いた講演の中でもワーストの部類だ。最近のPTAはこんな講師にだまされるようになってるのか。腹がたつというのは講演そのものだけでなく、PTAがおかしいんじゃないかっていうのもあるのだ。

 5年ぶりくらいにPTAの役員になったら、委員会で全然言葉が通じなくてびっくりした。最初は言い方が短絡的すぎるのかといちいち用語の解説を交えて説明するのだがそれでも通じない。そもそも誰も一言もしゃべらないのだ。まるで「しゃべったら負け」みたいな切迫した顔をして押し黙っている。おかしい。10月に講演会を開くのでテーマと講師を決めようと討議を重ねたが埒が明かなかった。「こんな話が聞きたいとか、最近興味がある分野とか、自分が悩んでることとか、なんでもいいから言ってみて」と聞いても黙っている。「私はねメディアリテラシー教育とかネットトラブル対処法について親子で聞ける講演なんかもいいんじゃないかと思うけどだれか詳しい人いないかな」と、いくつかテーマを上げても黙っている。(「本校の生徒もネット犯罪に巻き込まれた」という報告が理事会であったのはその2ヶ月後くらいだったから全然無関係な話というわけでもないのに。)うんともすんとも言わない。まいった。私の言っていることが理解できないっていうのでもない。みんな私よか賢いし、現役の小学校の先生もいる。なのになぜ進まないかと言うと、何か喋って責任を取らされるのを恐れているようなのだ。そもそも討議して自分たちで何かを決めて自主的に実行していくという習慣があまりないらしい。前例踏襲か、上から割り当てられたことを淡々とこなしていくようなことしかできない。前例にすごくこだわる。そして、意見を言うときに小声で私の耳元で囁いたりするのだ。ちゃんとみんなに言えよ。小学生か!

 なぜ今年はこんなに違和感を感じるのか、つらつら考えた。ひとつは私自身がインターネットで多くの情報に触れ、以前だったら絶対読まなかったような本も読むようになって成長したこともあるだろう。だけど、5年経つうちにPTAを構成する人たちの側が変化してきたってことの方が大きいように思う。以前はまあ、一人や二人はわからなくても積極的に意見を言う人がいた。かなり年輩の人で、末っ子が小さいので延々PTAやってますみたいな人や、ボランティア、生協の役員、婦人会などいろんな組織で場慣れしてる人もわりといた。年々そういう貫録のある人が減ってきてるのだ。と、同時に社会のいろんな問題に対する関心が薄くなって視野が狭くなってきている。人前で意見を言うのを極端に怖がるようにもなっている。なんだ、これ?

 会議ではかばかしい議論ができないので後で個別に電話連絡をして根回しをする。その点でもおかしいのだが、以前は「あの人とは親しいから私から言っとくわ」みたいにグループがあったのだがそれがない。「伝えといて」と言っても伝わらない。仕事が忙しいってだけじゃないらしい。変だ。情報伝達の効率が悪い。

 で、やっとこの頃わかったのだ。「素粒子」ってそういうことだったのか。人が砂粒のようにバラバラでまとまりがなく、互いに孤立感を抱いている世界。うっわー!

 最近はさ、自民党の議員だって「日本は危機的状況にある。かつての経験則が通用しなくなっている。これから国をどういう方向にもっていくか、みなで真剣に考えなくてはいけない」などと言うのだ。なのに大人が(PTAが!)こんなんで、議論もできない状態じゃどうしょうもない。