読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

映画「ブラックサイト」

2008-04-19 02:21:10 | 映画
 娘がこれを見たいけど一人では怖くて見られないというので一緒について行ったのだけど、なんだかつまらなかった。
 何がつまらなかったのかと言えば、いかにも残忍な殺し方ではあるが、最終的には犯行動機がはっきりして、殺された人たちがみな犯人にとって殺すべき理由があったというところ。

 最初は殺し方のあまりの残酷さに目を覆った。もしも自分が拉致されてランプの熱に焼き殺されたり、硫酸で体を徐々に溶かされたりしたらと思うと身の毛がよだち、早く犯人を捕まえてくれと手に汗を握った。けれども、犯人の正体がはっきりして犯行動機が明らかになったときには、思わず同情してしまった。
 ネタばれ父親の自殺の映像が全国ネットのニュースで流れ、ネット上で悲惨な映像を収集する人たちのお宝映像になり、遺品がネットオークションで売られたりすれば誰だってひどいショックを受けてしまう。しかも一旦個人に収集されてしまった映像は決してとり返すことができないのだ。きっと世界中にばらまかれて何十年も好奇の的になるのだろう。遺族にとっては耐えがたいことだ。犯人の青年はたまたまネットスキルが高く、そのような事情を正確に知ることができて、おそらくハッキングの技術もあったからどうすることもできない状況によけいに傷ついたのだと思う。どんなに怒り、抗議し、最善を尽くしても、「人の好奇心」は無限に増殖してきりがなく、ネットの巨大な海の中ではなす術がないという状況に、とうとうキレてしまったのだ。「お前たちがかつて父の死を見世物として消費したように、この悲惨な殺人をお前たち自身の参加によって遂行し、好奇心の残酷さを自覚するがいい」というわけだ。あんなに頭がいいんだもの、殺すだけなら関連性がわからないように巧妙に殺すことだってできたはずだが、彼はただの復讐では気が済まなかったのだ。そうではなく、彼がしたかったことは「この社会はこんなに醜い」ということを白日の下に晒して嘲笑することだ。それならば、私は関係者を殺すのではなく、無差別殺人をすればよかったのにと思う。だって一番怖いのは「何の理由も必然性もなく、理不尽にも苦痛この上ない殺され方をする」ってことじゃないか。そしてそれこそが、このネット社会で起こりうる危険性だ。いつ誰が被害に遭うかもしれない。しかも、自分自身が軽い気持ちで加害者になってしまっているかもしれない。そのような危うさの上に現代の私たちは生きているはずだ。だから被害者が犯人にとって殺人の合理的な理由になってしまっていてはおもしろくないのだ。

 私がちょっとびっくりしたのは、最初の方でFBIのサイバー犯罪捜査官がネット監視をして犯罪者が特定されるまでの素早さだ。ネット犯罪者を特定する際にほんの数秒で情報の発信元が突き止められ、そのパソコンの無線LANを不正使用している可能性のある近所の家の主、その所在、パソコンの使用履歴があっというまに顔写真付きで画面に表示されてしまう。警察が到着するまでに数十分。実際にそんな捜査官がいて、あんなふうにすばやく身元が判明するものなのか?いや、そうじゃないだろうが、ネット上の情報が集積されて個人情報が特定の機関によって一瞬にして照合されるような時代はすぐそこまで来ているのだろうな。私はそのことの方が怖かった。犯罪取り締まりのためならばそれは許されると皆思うだろうが、その情報を権力に関わる者が悪用しないという保証はどこにもない。見方を変えるとまるで別のものが見えてくるではないか。

 たとえば、最近新聞やテレビを見ていると、このパソコンの情報が少し前から漏れているということがわかるが、私はそれに対してもはやどういう対策も取ることはできない。(いや、パソコンの情報だけではないけれども)対策どころか、洗いざらい収集され、集積された個人情報の所在を突き止めることも、それを取り消すこともできない。もはやなすすべがないといったところだ。きっと取り締まる法律もないのだろう。私たちはみなそのような世界に生きているということを、この「ブラックサイト」という映画はあらためて確認させてくれた。それに思い至れば、この犯人に対する見方も少し変わってくる。もちろん同情はできないが、ネット上でヤバイ写真が漏れてしまった人(たとえばまんこバァー!の人とか)だったら「私だってやってみたい」と思ったかもしれない。時間とお金と頭脳が足りないからそういう選択肢がないだけで、低俗週刊誌の記者を火あぶりにするとか、まとめサイトの製作者のチンコを切り落とすとか・・・。おもしろそう。だって、この世界はこんなに腐れ切っていてナンデモアリなのだ。(新聞に執筆する人がネットのうわさ話に基づいて記事を書いたりするくらい)

 ということで、私はFBIの女性捜査官が頭をズタボロにされなかったことにはほっとしたが「チッ、なんだ、犯人が射殺されて終わりかよ」と少し残念に思ったことも事実だ。犯人の青年は捕まって死刑になることを覚悟していたのだから射殺されても別に無念とも思わなかっただろう。そして、ネットの現状は野放しのまま。だってそれは人間の「知りたい」「見たい」という欲望によって成り立っているのだから、押し留めることなんかできはしない。あの青年はどうすればよかったのだろうか。
 
 私は、邪悪さに邪悪さで対抗してはいけないと思う。彼は父親の映像を追いかけまわした揚句に人の邪悪さに毒されて狂気に陥った。そんなことをしてはいけなかったのだ。情報を一切遮断し、他人に心を侵食されないように守らなくてはいけなかったのだと思う。彼らはそのうち自分たちの毒が体に回って死に絶えるさ。それまでひっそりと待っていればいいのだ。そう思うよ。

 って、これって敗北主義か。たぶん正解は、邪悪さを中和するための対抗サイトを作るってことなんだろうな。父親の人柄を偲ぶ、悲しみと慈愛に満ちた追悼サイトを立ち上げる。興味本位の卑劣な書き込みに対しては地道に抗議し削除依頼を出し続ける。ああ、たいへんそう。私なんかはすぐにキレて、「こんな世界は滅びてしまえ!」と思ってしまうけどな。

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