読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

NHK「わたしが子どもだった頃」

2008-04-28 23:25:17 | テレビ番組
 昨夜、テレビをつけたら、姜尚中さんが出ていた。
 「わたしが子どもだった頃」という番組だ。こんなのやってたのか。太田光はどこにでも出てくる人だ。

 慣れない国で必死で働き、生活する在日の両親や周囲の人たちの愛情に包まれながらも、その職業や習慣の違いを恥じる気持ちもあって複雑な思いを抱いて過ごした姜さんの少年時代をドラマで再現していて、これがおもしろかった。
 姜さんのお母さんは母国の習慣を大切に守っていた人で、旧暦の暦に従って「何日は何々をする日」と、昔ながらの韓国の田舎の生活を忠実に再現していたという。幼くして亡くなった長男の法事には徹夜で御馳走を作って祭壇を設け、すごい巫女さんだと評判の下関のおばさんを呼んでお祓いをしてもらう。鉦と太鼓をじゃんじゃん鳴らして笹の小枝で家じゅうを祓った後、お母さんが出刃包丁を持って踊り、家族の体をなでるようにして祓い、玄関から包丁を放り投げる。その包丁の刃先が向いた方角で、その年の吉凶が占われるのだという。もしも凶と出たら儀式は継続され、場所を近所の祠に移してまたじゃんじゃんやるのだそうだ。姜さんは、友達に「あれはなんばしょっと?」と聞かれて恥ずかしくてうつむいてしまう。そら、けっこう大変な少年時代ですね。
 でも、私はお母さんが出刃包丁を持って踊っているのを見て、「ああ、姜さんが運がよかったのはこのせいだ!」と思った。だって、あれはナマハゲだよ。ほら、あれ、一年の間に体にくっついてしまった悪い気を刃物で剥ぎ取って捨てる、そういう儀式なのだ。一年の間にはいろんなものがくっついてしまうでしょ。貧乏神とか厄病神とか生き霊とか。そんな物騒なものでなくても、知らず知らずのうちに古くなって不要になったものもあるでしょ。そういうのを刃物で祓って取るのだ。

 と、いきなり(エセ)民俗学的なことを書いたのはこの間、人気妖怪漫画「もっけ(勿怪) 」を読んだからで、「もっけ(勿怪)2 」に「モクリコクリ」という妖怪が出てくるのだ。「モクリコクリ」とは「むくりこくる」つまり「剥く者」という意味で、妖怪たちの古くなった皮を剥いで、体をリフレッシュさせてやる職人みたいなもんらしい。このモクリコクリの大事な小刀がなくなってしまったので、主人公の静流(しずる)がいっしょに探してやる。お礼に皮剥ぎをするところを見せてもらうのだ。ちょっと絵としてはグロテスクだけども、妖怪たちは「ひょおおおっ、気持ちいいいィ!」なんて大喜びしている。剥ぐのは古い皮だけではなくて、いろいろなものが剥げるらしい。静流もしつこい風邪とか何か剥いでもらってすっきりするし、古くなって弱ってる梅の木はやっと花を咲かせる。多分、モクリコクリはよいことも悪いこともできるんだ。私も頭痛や肩こりや背後霊や皮下脂肪を剥いでもらいたい。古い皮をペロッと剝して新しい自分になれたらいいなあとこの漫画を読んでうらやましく思ったのだった。

 そしたら姜さんちの「出刃包丁の舞い」ですよ。やっぱ、昔のお母さんはすごいですよね。そういうのを昔の不合理なくだらない習わしだと私らは教えられ、排斥してきたけども、一見くだらなくて野蛮に見える習わしも、きっと何かの役には立っているような気がするのだ。あー、私もお祓いしてもらいたい・・・・。

 ところで番組の本筋は「姜さんの初恋」であった。小学生の頃、姜さんがほのかに思いを寄せてたが打ち解けることのないまま転校して行った美少女に、再会しようという流れになったので「えっ、」と思った。いけません、昔の美少女はそっとしておくべきです。もし、いらんもんをいっぱいくっつけていたらどーするんですか!と、ドキドキしながら見ていると、調査の結果その美少女は19歳のとき、交通事故でなくなっていたことがわかったという。姜さんはショックを受けていたが、「でも、これで永遠の乙女になってしまった」とも・・・。私はほっとした。あー、やっぱり美少女は不慮の事故とか肺病とか白血病でなくなるんだなあ。糖尿病とか腎臓結石とか犬に蹴られて石段を転がり落ちるとかいうことはないんだろうなあ。いいなあ。

 何でなくなってたことが判明したかといえば事故の新聞記事が見つかったからだが、そういえば戦後の新聞記事を全部検索できるサービスがあったよね。利用料がかなり高いらしいから個人ではよっぽどのことがないと利用しないだろうけどもNHKだったら当然使いますね。そういうの便利だと思う一方で、ネットの世界では匿名だと思い込んでいたものが、着々と個人情報をデータベースに蓄えられたり、楽々経歴を割り出されたりするのかと思うとちょっと嫌だな。怖いし。
 姜さんみたいに正直になれればいいんだけども。

最新の画像もっと見る