さっき「たかじん」を見ていたら、今日は総集編ということで過去の蔵出し放送だったんだけど、ここで言及した「ロスジェネ」の浅尾大輔さん出演の回には鴻池さんは出ていなかった。その後の方で度々見かけて腹を立てていたのでごっちゃになってた。オンエアリスト。
しかし、未公開部分で宮崎さんが「ミクロの話はよくわかるけど、マクロで見ていくと、非正規雇用が増加した背景には中国など安い賃金で製品を作ってるようなところと同じ価格で競争をしなくてはいけないっていうのがあるわけで、そのしわ寄せが来ている。じゃあ国際競争力を維持しながらどうやって雇用の問題も解決していくのか。」という問題を提起して、三宅さんとかが「やっぱり企業の利益ということだけを優先していたからこんな貧困問題が起きるので、国がかかわらないと」みたいなことを言って、志方さんが「組合がだめだ。おとなしすぎる。もっと『立て、万国の労働者!』みたいに声をあげなきゃ」と、立場が逆みたいなことを言って(いや、だから団結することもできないくらい孤立しててコミュニケーション能力ないんだけども)、わりとまっとうな回だったなあと思った。
カズオ・イシグロ「私たちが孤児だったころ」
何ががっくりするかって、図書館で借りた本を読んでいるうちに、それが既に以前借りて読んだことのある本だったということに気づき、しかもそれにようやく気づいたのが半分近く読んだ後だったってときくらいがっくりすることはない。最近2冊立て続けにそういうのに当たって自分の記憶力にすっかり自信がなくなった。
そのうちの一冊が「私たちが孤児だったころ」(ハヤカワ・ノヴェルズ)だけど、そもそもこの小説自体、人の記憶なんてあてにならないものだということを言っているのだ。皮肉なことだ。
主人公は上海の租界で両親をなくし、イギリスの親戚に引き取られる。寄宿学校に入って、いつか両親の失踪の謎を解きたいと願っていた彼は探偵になることを志し、やがて社会的に成功する。それはいいのだけれど、学校時代の友人と再会して思い出話をしているとき、彼らと話が食い違うのだ。ささいな出来事もあるのだが、友人たちの主人公に対する印象が「孤立していた」「変わっていた」というのに対し、主人公本人はまったくそのような自覚がないのだ。「いや、自分は非常に注意深く周囲を観察し、言葉づかいから振る舞いまでそっくりまねて周囲に溶け込むようにしていたはずだし、感情の表出も極力おさえていたので決して目立つようなことはしていない。」と何度も言っている。私もそれにだまされて、「この友人は上流階級の鼻もちならないボンボンで、こいつから見たらこうなるんだろう」とか「この人は年を取って、昔のことは何でも自慢したがるんだろう」とか思っていたのだが、主人公が両親を捜しに上海に行って以降は奇妙なことばかり言うのでやっとおかしいと思い始める。
戦争が始まって、日本軍が上海に攻め込んで来ているというのに彼は貧民街に自分の両親が監禁されているものと思い込み、戦闘の真っただ中に捜索に行こうとする。国民党軍と日本軍と共産軍が三つ巴の大混乱の中で、昔お隣に住んでいた幼馴染の日本人アキラを見つけ、「アキラ、アキラ、僕だよ。クリストファーだ!」と言って、日本兵の彼を助け出すのだが、はたしてそれは本当にアキラだったのか、それさえもよくわからない。憔悴しきってようやくホテルに帰ってきたら、市の役人がきて「ぜひ歓迎の記念式典に出席してくれ」とくどくど言う。こんな非常事態なのに。まるで不条理小説みたいな展開についに堪忍袋の緒が切れて私は6年前にここで読むのをやめたのだった、ということを、ここまで読んでやっと思い出した。なんなんだよ、これは!
どーせ、両親が誘拐されたってのも何かの勘違いだろうと思って今回は最後まで読んだのだが、半分違ってて半分当たってた。つまり、父親は愛人を作って出奔したのだが、母親は本当に誘拐されていた。しかも、アヘン売買を手掛ける闇の組織が絡んでいた。何もかもが明らかになった後の哀れさときたら・・・。
(ネタバレ)父親の働いていた貿易会社は中国にアヘンを売って儲けていた。衰退しきった清朝末期だから、政権にそれを取り締まる力もなく、アヘン中毒患者が急増して悲惨な状況であった。母親はそれに憤って、アヘン反対運動を組織した。そして中国のマフィアのボスをそれに引き込もうと働きかけたのだが逆に裏切られる結果となった。マフィアは確かにアヘンの荷を奪ってくれたが、それを自分で売り飛ばしてしまったのだ。莫大な利益を目の前にして「自国の民衆のため」などというきれいごとは通じなかった。激怒した母親に侮辱された仕返しにマフィアのボスは彼女をさらい、自分の妾にしてしまう。
「NHKスペシャル」
そういえば、イギリスはアヘンを中国に輸出して侵略しようとしたんだった。ひどいじゃないか!と思っていたら、ちょうど新聞に日中戦争当時「アヘン王」と言われていた里見甫の手記が見つかったという記事が載っていてびっくりした。(朝日新聞8月16日このブログに記録が)そして翌日8月17日にはNHKスペシャル「調査報告 日本軍と阿片」があってくわしく検証されていた。アヘン戦争後世論が高まり、人道的見地からアヘンを国際的に規制しようとする動きが主流であった中、日本は関東軍が暴走し、勢力拡大のための戦費としてアヘンを大量に占領国に流通させる。(ブログ「ささやかな思考の足跡」より)里見甫については、佐野真一「阿片王 満州の夜と霧」という本が詳しいようだ。(ブログ「首都圏リーシングと不動産活用のビジネス戦記」より)アヘン取引を一手に仕切っていた興亜院の総裁は内閣総理大臣(東條英機)であったけど、その他の人脈がすごい(ブログ「日々是生日」より)。実に衝撃的だった。こんな非道でみじめったらしい戦争で、それを一部の軍人が先導し、悲惨な結果を招いたのかと思うと情けなくてはらわたが煮えくりかえるようだ。
「私たちが孤児だったころ」は、世界が猛烈な勢いで一方向に動いているときに、個人がそれに立ち向かってもなすすべがないということ、その無力さに対する悲しみを描いているのだと思う。戦闘による一般人の被害のひどさに衝撃を受けて、主人公が日本軍の将校に「ひどいことだ」と言うのだが、将校はまったく上の空で「ああ、そうですね。でも、これからもっとひどいことが起こりますよ」などと言う。実際にその後の世界はもっとひどいことが起こったわけだ。何もかもが手遅れになる前に、それを押し止めることも、母親を救い出すこともできなかったということに深い悲しみを抱きながら彼はのちにこの出来事を回想する。
私がNHKスペシャルを見たのは深夜の再放送で、「果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦」もいっしょにやっていた。(ブログ「どこへ行く日本。」 この番組を取り上げた「赤旗」の記事がアップされている)いやー、レイテ戦は大岡昇平の「レイテ戦記」(中公文庫)に詳しいし、以前やっぱりNHKで特集番組があったけども、あらためてその悲惨さと軍部の無能さに涙が出た。部下を守ろうと無謀な切り込みを拒否した隊長は処刑されてしまうし、撤退が決まって、隣のセブ島に渡るのに船がないので1万余りの兵を海岸に残して行くのだ。「各自、自活しつつ抗戦せよ」とか言って。それでその残った兵士たちはジャングルの中で飢えと病気とゲリラの恐怖におびえながら迷走し、みんな死んでいったわけだ。(ウィキペディア「レイテ島の戦い」)
やっぱりNHKって教育的だなあと思う。右翼の人がいくら過去の戦争を正当化しようとしてもだめだ。どんなに悲惨でみじめでも、やっぱりこういう過去の歴史を直視して学ばなきゃ。櫻井よしこさんもそう言ってたじゃないか。で、「日本を恥じ、過去を否定するような歴史ばかり教える」ってのは間違いで、うちの県、日教組組織率高いけど、結構中立的に補助教材使ってABC包囲も南京事件も軍部の暴走も北方領土もシベリア抑留も全部教えてるし、かえってこういう日本のバカさ加減とか軍隊の非効率的状況とか無謀な戦略とか情報操作による国民の動員とかその結果が引き起こした悲惨な状況とかを教えた方が子供の将来のためになると思うな。むしろ、今の国際情勢を分析判断するのにも役に立つ。中国やロシアが今やってる侵略は帝国主義時代に列強がやってたのとおんなじことだ。「おまえらそれでひどい目にあったんじゃないか。同じことをやっているぞ。世界はそれを克服して国際協調の時代になったじゃないか。」と提示してやれると思うな。
しかし、未公開部分で宮崎さんが「ミクロの話はよくわかるけど、マクロで見ていくと、非正規雇用が増加した背景には中国など安い賃金で製品を作ってるようなところと同じ価格で競争をしなくてはいけないっていうのがあるわけで、そのしわ寄せが来ている。じゃあ国際競争力を維持しながらどうやって雇用の問題も解決していくのか。」という問題を提起して、三宅さんとかが「やっぱり企業の利益ということだけを優先していたからこんな貧困問題が起きるので、国がかかわらないと」みたいなことを言って、志方さんが「組合がだめだ。おとなしすぎる。もっと『立て、万国の労働者!』みたいに声をあげなきゃ」と、立場が逆みたいなことを言って(いや、だから団結することもできないくらい孤立しててコミュニケーション能力ないんだけども)、わりとまっとうな回だったなあと思った。
カズオ・イシグロ「私たちが孤児だったころ」
何ががっくりするかって、図書館で借りた本を読んでいるうちに、それが既に以前借りて読んだことのある本だったということに気づき、しかもそれにようやく気づいたのが半分近く読んだ後だったってときくらいがっくりすることはない。最近2冊立て続けにそういうのに当たって自分の記憶力にすっかり自信がなくなった。
そのうちの一冊が「私たちが孤児だったころ」(ハヤカワ・ノヴェルズ)だけど、そもそもこの小説自体、人の記憶なんてあてにならないものだということを言っているのだ。皮肉なことだ。
主人公は上海の租界で両親をなくし、イギリスの親戚に引き取られる。寄宿学校に入って、いつか両親の失踪の謎を解きたいと願っていた彼は探偵になることを志し、やがて社会的に成功する。それはいいのだけれど、学校時代の友人と再会して思い出話をしているとき、彼らと話が食い違うのだ。ささいな出来事もあるのだが、友人たちの主人公に対する印象が「孤立していた」「変わっていた」というのに対し、主人公本人はまったくそのような自覚がないのだ。「いや、自分は非常に注意深く周囲を観察し、言葉づかいから振る舞いまでそっくりまねて周囲に溶け込むようにしていたはずだし、感情の表出も極力おさえていたので決して目立つようなことはしていない。」と何度も言っている。私もそれにだまされて、「この友人は上流階級の鼻もちならないボンボンで、こいつから見たらこうなるんだろう」とか「この人は年を取って、昔のことは何でも自慢したがるんだろう」とか思っていたのだが、主人公が両親を捜しに上海に行って以降は奇妙なことばかり言うのでやっとおかしいと思い始める。
戦争が始まって、日本軍が上海に攻め込んで来ているというのに彼は貧民街に自分の両親が監禁されているものと思い込み、戦闘の真っただ中に捜索に行こうとする。国民党軍と日本軍と共産軍が三つ巴の大混乱の中で、昔お隣に住んでいた幼馴染の日本人アキラを見つけ、「アキラ、アキラ、僕だよ。クリストファーだ!」と言って、日本兵の彼を助け出すのだが、はたしてそれは本当にアキラだったのか、それさえもよくわからない。憔悴しきってようやくホテルに帰ってきたら、市の役人がきて「ぜひ歓迎の記念式典に出席してくれ」とくどくど言う。こんな非常事態なのに。まるで不条理小説みたいな展開についに堪忍袋の緒が切れて私は6年前にここで読むのをやめたのだった、ということを、ここまで読んでやっと思い出した。なんなんだよ、これは!
どーせ、両親が誘拐されたってのも何かの勘違いだろうと思って今回は最後まで読んだのだが、半分違ってて半分当たってた。つまり、父親は愛人を作って出奔したのだが、母親は本当に誘拐されていた。しかも、アヘン売買を手掛ける闇の組織が絡んでいた。何もかもが明らかになった後の哀れさときたら・・・。
(ネタバレ)父親の働いていた貿易会社は中国にアヘンを売って儲けていた。衰退しきった清朝末期だから、政権にそれを取り締まる力もなく、アヘン中毒患者が急増して悲惨な状況であった。母親はそれに憤って、アヘン反対運動を組織した。そして中国のマフィアのボスをそれに引き込もうと働きかけたのだが逆に裏切られる結果となった。マフィアは確かにアヘンの荷を奪ってくれたが、それを自分で売り飛ばしてしまったのだ。莫大な利益を目の前にして「自国の民衆のため」などというきれいごとは通じなかった。激怒した母親に侮辱された仕返しにマフィアのボスは彼女をさらい、自分の妾にしてしまう。
「NHKスペシャル」
そういえば、イギリスはアヘンを中国に輸出して侵略しようとしたんだった。ひどいじゃないか!と思っていたら、ちょうど新聞に日中戦争当時「アヘン王」と言われていた里見甫の手記が見つかったという記事が載っていてびっくりした。(朝日新聞8月16日このブログに記録が)そして翌日8月17日にはNHKスペシャル「調査報告 日本軍と阿片」があってくわしく検証されていた。アヘン戦争後世論が高まり、人道的見地からアヘンを国際的に規制しようとする動きが主流であった中、日本は関東軍が暴走し、勢力拡大のための戦費としてアヘンを大量に占領国に流通させる。(ブログ「ささやかな思考の足跡」より)里見甫については、佐野真一「阿片王 満州の夜と霧」という本が詳しいようだ。(ブログ「首都圏リーシングと不動産活用のビジネス戦記」より)アヘン取引を一手に仕切っていた興亜院の総裁は内閣総理大臣(東條英機)であったけど、その他の人脈がすごい(ブログ「日々是生日」より)。実に衝撃的だった。こんな非道でみじめったらしい戦争で、それを一部の軍人が先導し、悲惨な結果を招いたのかと思うと情けなくてはらわたが煮えくりかえるようだ。
「私たちが孤児だったころ」は、世界が猛烈な勢いで一方向に動いているときに、個人がそれに立ち向かってもなすすべがないということ、その無力さに対する悲しみを描いているのだと思う。戦闘による一般人の被害のひどさに衝撃を受けて、主人公が日本軍の将校に「ひどいことだ」と言うのだが、将校はまったく上の空で「ああ、そうですね。でも、これからもっとひどいことが起こりますよ」などと言う。実際にその後の世界はもっとひどいことが起こったわけだ。何もかもが手遅れになる前に、それを押し止めることも、母親を救い出すこともできなかったということに深い悲しみを抱きながら彼はのちにこの出来事を回想する。
私がNHKスペシャルを見たのは深夜の再放送で、「果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦」もいっしょにやっていた。(ブログ「どこへ行く日本。」 この番組を取り上げた「赤旗」の記事がアップされている)いやー、レイテ戦は大岡昇平の「レイテ戦記」(中公文庫)に詳しいし、以前やっぱりNHKで特集番組があったけども、あらためてその悲惨さと軍部の無能さに涙が出た。部下を守ろうと無謀な切り込みを拒否した隊長は処刑されてしまうし、撤退が決まって、隣のセブ島に渡るのに船がないので1万余りの兵を海岸に残して行くのだ。「各自、自活しつつ抗戦せよ」とか言って。それでその残った兵士たちはジャングルの中で飢えと病気とゲリラの恐怖におびえながら迷走し、みんな死んでいったわけだ。(ウィキペディア「レイテ島の戦い」)
やっぱりNHKって教育的だなあと思う。右翼の人がいくら過去の戦争を正当化しようとしてもだめだ。どんなに悲惨でみじめでも、やっぱりこういう過去の歴史を直視して学ばなきゃ。櫻井よしこさんもそう言ってたじゃないか。で、「日本を恥じ、過去を否定するような歴史ばかり教える」ってのは間違いで、うちの県、日教組組織率高いけど、結構中立的に補助教材使ってABC包囲も南京事件も軍部の暴走も北方領土もシベリア抑留も全部教えてるし、かえってこういう日本のバカさ加減とか軍隊の非効率的状況とか無謀な戦略とか情報操作による国民の動員とかその結果が引き起こした悲惨な状況とかを教えた方が子供の将来のためになると思うな。むしろ、今の国際情勢を分析判断するのにも役に立つ。中国やロシアが今やってる侵略は帝国主義時代に列強がやってたのとおんなじことだ。「おまえらそれでひどい目にあったんじゃないか。同じことをやっているぞ。世界はそれを克服して国際協調の時代になったじゃないか。」と提示してやれると思うな。
正しくはABCD包囲網。
それは中立とか偏向とか以前にどれも教えて当然の内容じゃないですか?
幾ら何でも日教組率が高いからってどれかを教えないという事はないでしょう。