アメンホテプ4世=イナクトーン=一神教の創始者
奥の院の界隈 4からの続き。
猛烈に嫉妬深い神を信仰したために人類史上に初めて「一神教」を発明して「ユダヤ教」を開き、そのユダヤ教からキリスト教もイスラム教も生まれたのだとユダヤ人は主張するが、
突厥・ハザール興亡史論 1 一神教徒ユダヤ人の起源
●一神教徒エジプト追放の物語
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本文から抜粋:
●一神教徒エジプト追放の物語
猛烈に嫉妬深い神を信仰したために人類史上に初めて「一神教」を発明して「ユダヤ教」を開き、そのユダヤ教からキリスト教もイスラム教も生まれたのだとユダヤ人は主張するが、ユダヤ人の信仰は別にして、歴史的な事実の示すところに照らしてみると、実は、「一神教」なるものはエジプトの歴史における突然変異ともいうべきアマルナ宗教革命の時代に、エジプト新王国の第一〇代ファラオだったアメンヘテプ四世(在位紀元前一三五八~一三四〇)が創始した「アテン一神教」がそもそもの始まりであった。つまり、一神教なるものはユダヤ人の発明でも独占でもないのである。
アメンヘテプ四世はアテン神に対する信仰から自ら名前を「アテンの生命」を意味するアクエンアテンと改名し、父アメンヘテプ三世の時代に「ナイルからエフラテまで」どころか「ヌビアからエフラテまで」のエジプト史上最大の広大な領土を支配し最盛期を迎えたエジプト王国の富を傾け、それまでは何もなかったナイル川中流域の東岸に光輝く太陽の都アケトアテンを建設した。夜の闇を切裂く曙光を崇めるためにこそ新たに建設されなければならなかった聖なる都市、それが「アテンの地平線」の意味をもつアケトアテンである。アクエンアテン王は太陽を神格化したアテンのみを信仰し、自らその大祭司となって、古来エジプトで永く信仰されてきたアメン神を始めとする八百万の神々を捨て去って、まったく顧みなかった。
富があるところさらに富が集まり、人が集まり、美女もまた集まるのは古今の習いである。旧都テーベと同様に、アケトアテンは瞬く間に世界各地からやってきた大勢の外国人が住む国際都市となった。そして彼らもまた、今まで見たことも聞いたこともない新しい流行、すなわち一神教のアテン信仰に染まり始めた。
超大国であるエジプトとの同盟を求めて各地の王国から送りこまれてきた美しい王女たちはアケトアテンで神官団を形成していたエジプトの王族たちと結婚することを期待されて来住していたのだから、自ら進んでアテン信仰の信者となった。お付きの侍女や従者たちもご主人さまに従うのが道理である。国際商人たちもアテン信仰一色に染まったアケトアテンで商売をするにはアテンの信者になるほかはない。
それは、かつてフランス革命以後のパリが流行と文化の発信地となって憧れを集め、つい先ごろまで猫も杓子もニューヨークに行きたがったのと、変わりはない。がさつで浅薄でおよそ文化というものを何ももたない米国の暮らしぶりが「パックス・アメリカーナ」(米国覇権)の下で世界中から模倣されるモデルとなっていたのも、宜なるかな。
そういう卑近な例に照らしてみれば、「パックス・エジプティカ」(エジプト覇権)の下では、輝く太陽の都アケトアテンは当時の古代世界において誰もが憧れる聖なる都市だったに違いない。そして、その繁栄を謳歌する国際都市アケトアテンで生まれたばかりの最新流行だった一神教アテン信仰は、古代世界に類を見ないアマルナ芸術ののびのびとした自由な気風に象徴されるように、厳粛荘重かつ煩瑣な宗教儀式を整えるにはいまだ至っていなかったから、軽薄浮薄な国際人たちの進んで信仰するところとはなったのである。
アテン信仰一筋にのめり込んでいたアクエンアテン王は国事を一切顧みず、「神の父」すなわちファラオの父という特異な称号で呼ばれていた宰相アイにすべてを委ねていたが、盈(み)ちれば缺(か)ける習いのごとく、アケトアテンの繁栄の陰に富の聖都への一極集中と一神教の弊害によってエジプトの全土が疲弊していた。
さらに、危機はエジプト帝国の内側で静かに進行していたばかりではなく、外側から目に見える脅威として迫ってきていた。小アジアのヒッタイト王国はスッピルリウマ王(在位紀前一三八〇ころ~一三四〇)が即位して最盛期を迎えていて、ヒッタイト勢力がひたひたと北から忍び寄ってきてエジプトの覇権を侵しつつあった。
こうした脅威に直面して執政官たる神父アイは病めるエジプトを救うため一大英断を下した。一神教アテン信仰の放棄と伝統的なアメン信仰への復帰である。
そのことを端的に示すのがファラオの名前である。新王国第一〇代の王であるアメンヘテプ四世はアテン信仰によってアクエンアテンと名前を改めた。次の第一一代スメンクカーラー(在位紀前一三四二~一三四〇)は在位の年からも分かるようにアクエンアテンの最晩年の共同統治者であったが、その名前はすでにアテン信仰による命名ではない。次の第一二代のファラオが、日本でも黄金のミイラで有名な少年王ツタンカーメン(在位紀前一三四〇~一三三一)であるが、ツタンカーメンという簡略形をより原形にもどすと、「トゥト・アンク・アメン」となって、アメン信仰への復帰がすでに少年王の名前にも反映されていることが分かる。
少年王を擁立してアメン信仰への復帰を監督したのが、神父アイである。
おそらく、スメンクカーラー王は父王アクエンアテンが創始したアテン信仰に同情的だったために、アメン信仰に基づく王名へと改名することを拒んだのではなかろうか。八歳で擁立された少年王が自らの意志を貫くのは難しい。すべてはアイの取りはからうところに従うほかはなかったのだ。
神父アイが決定したアテン信仰の放棄とアメン信仰への復帰は王名に反映されていて疑うべくもないが、具体的には、アテン一神教信者の国外追放と聖都アケトアテンの取り壊しとを意味した。
アテン一神教の聖都アケトアテン、そして最盛時のエジプト帝国の首都でもあったアケトアテン、その建設と破壊は、ユダヤ伝承「創世記」の中では「バベルの塔」として描かれている。 一般に普及している日本聖書協会の『聖書』の邦訳を見てみよう。
全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。彼らは互いに言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。彼らはまた言った、「さあ、町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時に主は下って,人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた。「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。(創世記11・1~9)
ここで「主」と訳されている言葉は、アラム語の「創世記」では「アドネ・アイ」とはっきり書かれている。すなわち、一般の聖書では「アイ」を省略し、ただ「アドネ」だけを主と訳したために、何だか訳の分からない物語が出来上がってしまった。もちろん、「アドネ・アイ」とはアテン一神教を禁止して、聖都アケトアテンの破壊とアテン一神教徒のエジプトからの国外追放を命じた神父アイ、その人である。
アイはツタンカーメンを継いでエジプト新王国第一三代のファラオ(在位紀前一三三一~一三二六)に即位した。エジプトにおいてファラオはすなわち神である。だから、「アドネ・アイ」と呼ばれたのだ。ユダヤ人にとって、神父アイこそは、地上の楽園であった聖都アケトアテンを破壊して、楽園から彼らを追放した怒れる神であった。名前を呼ぶことさえ憚らねばならない恐怖の神ヤハウェ、ただ遠回しに曖昧に「あの方」と呼ぶしかない懼れ多い存在。それは楽園から彼らを追放して苦難の運命に委ねた、エジプト帝国の非情なる全権者たるファラオ・アイであった。
ところで、アテン一神教の信者たちは二種類の階級に分かれていたことが「出エジプト記」から窺える。その一つは祭司や神官たちからなる特権階級で、「ヤフウド」と呼ばれていた。もともとがファラオの王子たちからなるエジプトの貴族階級であったから、アテン一神教の信仰集団においても、祭司王アクエンアテンを取り巻く特権階級の神官団を形成したのである。
もう一つの階級は「イスラエル」と呼ばれていた。聖都における一般大衆、つまりは、その他大勢の人々である。大注釈家のラシは「多くの入り混じった群衆」(日本聖書協会訳)に注釈を付けて、「種々雑多な人々、改宗した民族の集合体」と書いた。アケトアテンに集まってきたコスモポリタンたちを指してこう言ったのである。「種々雑多な人々」と訳される言葉の原語の形は、「エレブ・ラヴ」とか「アラブ・ラヴ」などとヘブライ語で書かれているが、後に「エレブ・ラヴ」はヘブライ人を、「アラブ・レブ」がアラブ人を指す言葉となった。
特権階級に属する神官たちも聖都からの退去を余儀なくされたが、アメン信仰に復帰してエジプトに留まる途を選んだ者が大多数だったろう。アテン一神教にあくまで固執した神官たちはその他大勢の種々雑多な人々と共に国外追放に従わねばならなかった。
今やファラオとなった神父アイの厳命の下、後に共にファラオとなるホルエンヘブとラメスウという二人の将軍に追い立てられてアテン一神教徒たちが流されたのはエジプト勢力圏の最前線となっていたカナンの地であった。そこはかつてメソポタミヤとエジプトの両文明を結ぶ文明の通り道であり、黄金の三日月地帯などと呼ばれたこともあったが、エジプトを宗主と仰いできた土侯たちも新興ヒッタイトの庇護を求めて鞍替えする者も現れる始末で、両大国の狭間にいわば覇権の空白地帯が生まれ「ハビル」もしくは「アビル」と呼ばれる強盗略奪集団のならず者たちが猛威を振っていた。楽園の記憶を忘れられず「乳と蜜の流れる」理想の地を懐かしがっていた一神教徒たちを待っていたのは、彼ら自身がならず者集団「アビル」と見なされるという情けない境涯だった。(つづく)★
古代エジプトの神 (Gods of ancient Egypt)
突厥・ハザール興亡史論 2 選民から神の選民へ
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本文から抜粋:
●エジプトから追放されたユダヤ人
神によって選ばれた民であることを自称するユダヤ人たちはその民族名を、「エル」(神)と「イスラー」(競う)者であると解釈して(創世記32・28)、自ら「イスラエル」民族と称してきた。
だが、先に述べたように、フランスのトロアに生まれてモーセ五書およびタルムード両方に精細な注釈を施した中世の大注釈家ラシ(ラビ・シュロモ・イツハキ、一〇四〇~一一〇五)によれば、イスラエルとは「種々雑多な人々、改宗した民族の集合体」であるとされている。すなわち、先祖伝来の宗教に従うことを鑑とした古代社会にあって彼らイスラエルは、容易に信仰する神を変える軽佻浮薄の徒であって、依るべき祖国を自ら放棄した国際的な根無し草と見なされたのである。ここ古代エジプトのアケトアテンの地こそが、コスモポリタン誕生の地であったのだ。
ユダヤ聖典解釈の基礎を打ち立てたとして尊敬されるユダヤ教の大碩学であるラシの注釈に従えば、神に選ばれた特別の民であるユダヤ人に神自身によってカナンの地を中心にナイルからユフラテ(ユーフラテス)までの広大な領土を与えられたのだと称しユダヤ人の源郷たる国家のイスラエルを建設したことが、いかに無理難題をあえてゴリ押しした暴挙であったかが、はっきり分かるのである。
それは当該地における多民族による永年の伝統的生活実態も歴史的な事実もまったく無視する、独善的な選民思想による一方的な横暴であった。もとより、領土争奪が係争地の人々の暮らしを踏み躙るのは常のことであって、稀有の才覚と統率力により従来の歴史的な事実にない新たな支配を樹立することは建国創業者の英雄的勲功とも讃えられる。だが、イスラエルの場合は自ら武力によって建国したのではなく、米英に寄生して、これを暗々裡に使嗾することによって、いわば無から有を生ぜしめたのだ。
そして、ユダヤ人たちが掲げたその建国の大義たるや、神がその選民に対して与えた約束という根拠しかないのである。その神とはユダヤ人たちだけが独占的に奉じる神であって、排他的な嫉妬深い神だと彼ら自身称するのであるから、他民族にとってはまったく与り知らぬ神である。その神が約束したのだとユダヤ人が言い募っても、他の人々にとっては「それがどうした」と言って済ませばそれでよいはずの、たわごとにすぎなかった。ところが、ユダヤ人の源郷たる国家イスラエルは現実に建国された。ユダヤ人の永年の夢が実現したのである。
常識的に言うならば、それは古今に未曽有の暴挙であるが、これを謀略というならば、それはかつてなかったほどの「見事な」謀略というほかないのではある。
中略。
だが、ごく少数のユダヤ人が世界の富と利権の大半を握って世界各国の政治経済を牛耳り、彼等の絶大な支援を受けて建国されたイスラエル国家は大富豪ユダヤ人による世界戦略の隠蓑として利用活用されているという現実がある。だから、イスラエルという国家の存続は単なる小規模国家の問題ではなく、世界中の大勢に影響を与える火種となりうる。
さて、聖都アケトアテンにおいて、イスラエル(アテン一神教に改宗した種々雑多な民族からなる人々)たちは大預言者たるアクエンアテン王の庇護の下で恵み深いアテン神の光線に浴し、さながら楽園にあるかのような幸福を満喫していたが、今や神父アイは自らファラオとなり、エジプト疲弊の元凶となっているイスラエルと、あくまでアテン信仰を捨てない王族神官たちの国外追放を決意した。
当初より、アテン一神教の信者には二種類の人々がいたのだ。エジプトの王族に属する神官たちと、その他大勢の種々雑多な人々である。彼らは共にエジプトから追放された。
アイ王によって彼らの国外退去を監督するように護送を委ねられたのが、二人の軍司令官である。前軍司令官のホルエムヘブ(アイ王の下で宰相)と現軍総司令官ラメスウであった。この軍人二人が「出エジプト記」においてユダヤ人を指導するアロンとモーセとして描かれている。つまり、ユダヤ人のエジプト追放を監督した二人の将軍のうち、ホルエムヘブがアロンとなり、ラメスウがモーセとしてユダヤ伝承では歪曲されている。そして、彼らは二人とも後にファラオに就任している。高齢のため在位わずか四年ほどで死去したアイ王の跡を継いでホルエムヘブ(在位紀前一三二六~一二九九)が王に即位するが、アイの娘ムトネジメトと結婚し王位継承資格を得たものの、その三〇年にわたる治世の間に嗣子を儲けることができなかったため、彼が新王国第一八王朝に幕を引く最後の王となる。
その跡をラメウス将軍(ホルエムヘブ時代に宰相)が継承するが、彼は第一九王朝と区分される新時代を開き、その初代の王ラメセス一世(在位紀前一二九九~九七)となるも、その治世はやはり高齢であったのでごく短い。
アイ王の後継者である彼らが、特にホルエムヘブ王がエジプトの歴史から一神教の誕生とその短い黄金時代たるアマルナ宗教改革時代の一切の痕跡を抹消した張本人である。エジプト歴代の王の名前を列記した「王名表」からは、アメンヘテプ四世(アクエンアテン)よりアイに至る新王国第一八王朝四代の王名が削られて消えている。すなわち、アメンヘテプ三世の次にホルエムヘブがファラオとなったかのように王名表が改竄されているのである。
●国外追放された賎民から神の選民へ
これはイスラエルたちにとって重要な意味をもった。つまり有り体に言えば、彼らを産んだ親が育てることを拒否したばかりか地の果てに彼らを捨てて、剰えわが子の誕生記録自体を抹消するということを行なったのである。これではまるで、堕ちる所まで堕ちてしまった現代日本の子殺し事件や子供遺棄事件さながらではないか。
だが逆に言えば、出生記録まで抹消されたイスラエルたちにしてみれば、自らの出自を勝手に創作できるという無制限の自由を得たことを意味する。いかに粉飾しようとバレる心配はないのである。かくて、カナンの地に流刑となったのち漸く国家の態を為すに至ったダビデおよびソロモンの時代にはまだエジプトの威光を尊重する旧習から抜けきっていなかったが、バビロンに強制連行された後は、故郷エジプトへの思慕はむしろ害となり、生き延びるためには郷愁を忘れ果てることこそが得策となった。
ユダヤ人の伝承において、なにゆえにカルデアの町ウルが父祖アブラムの故郷とされたのかの背景には、一神教誕生の地として間違ってもエジプトを持ち出すわけには行かない深い事情があったのだ。
たとえ嘘で塗り固められたデッチ上げであったとしても、イスラエルたちは完全にエジプトを忘れ去ることはできなかった。民族の始まりを語るには「創世記」だけでは不足だったのだ。どうしても「出エジプト記」が必要であった。その信仰ゆえに忌むべき者と蔑まれ追放されたイスラエルたちは、その信仰ゆえに神に選ばれ信仰を守るためにエジプト人たちを皆殺しにして脱出してきたのだと、民族の記憶を書き換える必要があった。
ユダヤ人の伝承に一貫して流れているのはエジプトに対する激越なまでの愛慕と憎悪とであるが、以上のような事情を踏まえてみれば、彼らを襲った悲劇と共にその愛憎のほども、少しは理解できるような気がする。
「イスラエル」とは古代社会において前代未聞の新興宗教信者に対する集団名称であったが、これを彼らは「神」(エル)とさえ「競う」(イスラ)者と解して自らの出自を湖塗した。また、ヘブライ人の「ヘブライ」とは、河を「超えてやって来る」余所者を意味したが、なぜ態々遠くからやって来るのかといえば、強盗略奪殺戮を恣にするためであって、その原形「ヒブル」と「イブリ」はアマルナ文書に頻出するならず者集団「ハビル」「アビル」とは同じ根から出た同義語である。
エジプトから追放されたイスラエルたちは、明らかにナイル河という川を「越えてやって来た」人々であったのだが、また史実を湖塗しヘブライ人とはユフラテ河を超えてやって来たのだとされる。
イスラエルはヒッタイトと対峙する最前線基地があったガザのさらに前方のカナンに、いわば屯田兵のような形で追放されたのだが、その荒蕪の地をイスラエルたちは聖都アケトアテンを懐かしがりながら「乳と蜜の流れる」理想の楽園として描いている。神の約束の地が戦闘と殺戮の絶え間ない荒蕪の地であることには、さすがに絶えられなかったからであろう。
いわゆるモーセ五書と総称されているユダヤ伝承が纏められたのはカナンからさらに強制連行されたバビロンにおいてであった。彼らを強制連行した新バビロニアはやがて滅び、すぐにもカナンに戻してもらえるだろうと楽観論を吹聴する多くの預言者たちの中で、エレミアとエゼキエルだけが戒めの言葉を説きつづけた。そのエレミアが民族の伝承を捻曲げた書記たちを糾弾している。
どうしてお前たちは言えようか、「我々は賢者と言われる者で、主の律法を持っている」と。
まことに見よ、書記が偽る筆をもって書き、それを偽りとしたのだ。
かくて国外追放された賎民たちが、「神の選民」となったのだった。 (つづく)★
突厥・ハザール興亡史論 3 バアル信仰と海の民
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本文から抜粋:
●正統南王国と雑種北王国の対立
わずかに降る天水を頼りに荒蕪の地を切り拓いて耕すことからイスラエルのカナン定着は始まった。ところが、それは同時に、すでに先住の諸民族が生活している中に侵入することだった。そこに軋轢が起こるのは当然である。ユダヤ伝承『士師記』でもカナン侵入の初期にはアラム人やモアブ人の王に支配されたことが記されている。
中略。
つまり、ヤコブは四人の女から一二人の息子(と娘一人)を得たのだが、祭司を専門職としたという③レビ族はイスラエル十二支族には含まれない。さらに、⑪ヨセフも大活躍の伝承を有するにも拘わらず、十二支族の族祖とは見なされない。ヨセフがエジプトの祭司ポティ・フェラの娘アセテナに産ませた二人の息子
⑬エフライム ⑭マナセ
が族祖となっている。
すなわち、イスラエル十二支族とは、③レビと⑪ヨセフとを除いたヤコブ(イスラエル)の息子一〇人と孫二人を族祖とするのである。十二支族それぞれにはカナンに「割当地」があったとされているが、祭司を専門職としたレビ族は割当地をもたなかった。つまりレビ族は「その他大勢の雑多な人々」と異なる特別な存在だと見なされたのである。アテン一神教における祭司神官階級がエジプト王族から構成されて、特別な人々と見なされたことの名残であろう。
名前そのものから考えると、アテン一神教の聖地アケトアテンでの王族=祭司階級は「ヤフウド」と呼ばれていたのであるから、「ユダ」(Yehuda)族こそがヤフウドの直系祭司族であると思われるが、エジプト帝国という経済基盤を喪った一神教徒たちは大規模な祭司階級を抱える余裕を持てなくなり、ごく少数の祭司専門職を各部族に配当して祭祀を司ることとしたのである。これがレビ族である。レビもユダも、下女からではなく正式の妻から産まれた息子すなわち正嫡子とされ、しかもレビが兄であるとなっているのは、カナンに定着する過程で「ヤフウド」の中のさらに選りすぐりの者たちが祭祀専門階級を形成したことを伝えているのである。
後に統一王国が北王国イスラエルと南王国ユダに分かれたとき、十二支族の内の十支族が北王国に、二支族が南王国に属することになる。
だが実際には、南王国が祭司職のレビ族を擁していた。南北両王国時代のユダヤ伝承は『烈王記』として纏められているが、「その他大勢の雑多な人々」からなる北王国ではしばしば一神教から離れてカナンの土着信仰であるバアル神への信仰に王族までもが染まったと繰り返し非難されている。一神教を堅持する南王国とバアル信仰へと堕落する北王国という対比は、『烈王記』を貫く基本テーマであると言ってよい。
南王国ユダを構成するレビ族、ユダ族、ベニヤミン族がいずれもラバンの娘から産まれた正嫡子たる息子を族祖とするのに対し、その下女から産まれた庶出の四支族がすべて北王国に属するのも、「ヤフウド」を中核とする南王国が、「その他大勢の雑多な人々」からなる北王国を低く見ていたことの表われである。
●バアル信仰と海の民が敵となる
その一神教信仰ゆえにエジプトから強制国外追放を喰らったイスラエルはカナンの土着信仰であるバアル信仰を目の敵にして、北王国のバアル信仰への転換を信仰の堕落として口を極めて罵っている。だがむしろ、一神教こそがエジプト帝国の繁栄から生み出された古代世界の異端児であって、それまでの世界に例を見なかった宗教的な突然変異ともいうべき変種なのである。
一方、バアル神はわが国の素戔嗚尊やインド神話におけるインドラ神にも比すべき、人類共通の普遍的な神格であり、雷霆・暴風・慈雨を司るという属性も共通する。バアルによる悪龍神ヤム・ナハル退治の物語は、わが出雲神話における素戔嗚尊の八岐大蛇退治の物語と同じく、バアル神話の重要な部分である。
カナンからレバノン、シリアの各地にバアルのための神殿が数多く建立されていた。つまりイスラエルのカナン定着に先立つ遙か以前からバアル神はカナン・シリア・レバノン地域一帯にかけて広く信仰されていたのである。
一九二八年に発見されたウガリット遺跡からは夥しい量の楔形文書が発見された。その解読が進むにつれ、紀前一六世紀から一三世紀にかけて繁栄を謳歌したにも拘わらず永く忘れられていた古代都市国家ウガリットの存在が明らかになってきた。ウガリットの町は小高い丘の上に建造されていたが、丘の頂上に建立されたのがバアル神殿とバアルの父ともされるダゴンの神殿だった。
後にはバアルもダゴンもユダヤ教やそこから派生したキリスト教において禍々しい悪魔として忌み嫌われるが、一神教という特殊な色眼鏡を掛けて眺めたのでは、古代世界の本当の姿が歪められてしまう。
以下略。
突厥・ハザール興亡史論 4 非定住放浪民イスラエル
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本文から抜粋:
●非定住放浪民イスラエル
しかし、イスラエルはエジプト帝国の組織の一部である警察隊や国境警備兵として挙げられているのではなく、征服された敵対的異民族を列挙した中に登場している。これは何を意味するのか。
以前に、アテン一神教徒たちはエジプトとヒッタイトの覇権対峙の最前線であるカナンの地に屯田兵として追放されたのではないか、と書いたことがある。その彼らが今やエジプトに敵対する勢力の一つとして数えられているのである。
エジプトからの追放がアイ王(在位紀前一三三一~一三二六)の下で行なわれたのだとすると、メルエンプタハ王五年(紀前一二〇八)までほぼ一二〇年が経過している。これだけの年月が経過してもなお定着できなかったということは、その運命がいかに苛酷であったかを物語っている。エジプトの覇権がカナンの地に行き渡らず、その庇護を期待できないとなれば、独自に生きていくほかはない。定着できる根拠地をもたないで生活するとは、自らを養う農耕地をもたない浮浪漂白の生活をすることを意味する。すなわちそれは、持てる者からの強盗略奪により生きることである。イスラエルがこの時代に跳梁跋扈した強盗略奪集団のアピルやイビルの一党と見なされたのも無理はない。
以下略。
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抜粋:
●神の約束の本当の意味
ペリシテ人とイスラエルらの戦争において、ペリシテ側はエジプト帝国の代理人としてカナンの軍事的な要衝のすべてを抑え、そこから出撃して戦闘を行ない、イスラエルらを次第に追いつめていった。
それに対してイスラエルはいまだ国も町も砦も持たないまま、ペリシテ人と戦っていた。つまり、軍事的拠点のない、いわばゲリラ戦を行なっていたのである。
エジプトからカナンの地へと強制追放されて寄る辺ない日々、いまだ町も国も持たず、どこへ行っても単なる「寄留者」であったときの民族の記憶は、その後のユダヤ民族を永劫に支配するトラウマとなった。栄光の王ダヴィデでさえこの民族のトラウマから逃れられなかった。
ダヴィデによって初めてイスラエルは確固たる王国を築いたとその伝承は語っているが、高齢に及んだダヴィデがわが子ソロモンへと王位を譲ることを決意し、その即位式を自ら主宰したとき、ダヴィデが神に次のように訴えたと『歴代志上』の末尾に書かれている。
……わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで長くとどまることはできません。(同書第29章14~15節)
自らの生涯の終わりに際して語ったとされているこのダヴィデの言葉はなかなか意味が深い。われわれ日本人なら、人生の儚さを嘆いたものだと早合点するかも知れない。だが、それは早計にすぎよう。生まれた時から自分の国土に住み自ら耕して大地の恵みを受けて暮らすことのできる安定した境涯にあるわれわれ日本人とは、およそ異なる境涯にイスラエルたちはいたのである。
ダヴィデは言う。「すべての物はあなたから出ます」と。敬虔な信仰ある者の感謝の言葉のように聞こえるかも知れない。だが、本当にそうだろうか。神を持ち出さなければ、すべての物はわたしに与えられないことを、このように表現しただけではないのか。神が与えるという、ただそれだけの根拠しかない論理、それが約束の地カナンにおけるイスラエルたちの大義だった。すなわち、盗み奪って自らの物とせよというのが、神の約束の本当の意味である。
神が「与える」と約束すれば、それは準備万端整って何の問題もなく手に入る、と思うのは日本人の浅はかさというものである。
そもそも、「神が与える」とはいかなることか、神はモーセに具体的に説明している。
イスラエルの人々に言いなさい。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときは、その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、すべての石像をこぼち、すべての鋳像をこぼち、すべての高き所を破壊しなければならない。またあなたがたはその地の民を追い払って、そこに住まなければならない。わたしがその地をあなたがたの所有として与えたからである。(民数記第33章51~53節)
カナンの地はイスラエルに対して、神の約束によって与えられた。だが、神がカナンの地をイスラエルに与えたということの実態とは、こういうことであったのだ。すなわち、そこにはすでにモアブ人やアンモン人やアモリ人などの他の民族が住んでいた。それを、神はイスラエルに与えると言う。奪え、盗め、と言っているのである。
他人がすでに所有している物を、「あれをあなたに与えるから奪い取りなさい。わたしがあなたの物として与えるのだから」と言われたからといって、ハイそうですかと素直に聞くわけにはいかない。なぜなら、すでにそれを持っている人の立場はどうなるのか、が問題になるからである。
ふつう、こういう事態を「与える」とか「約束する」などと、われわれの言葉では言わないのだ。
極端にいえば、ここにユダヤ問題の本質が横たわっている、と私は思う。ユダヤ人が「神の約束」を持ち出したとしても、実態が如上のものだとするならば、約束はユダヤ人以外の人々にとっては何の説得性も有効性も客観性も持たない。それはユダヤ人の一方的な強弁と言わざるをえない。はっきりいえば、ユダヤ人の言う「神の約束」とは、勝手にデッチあげた空証文のようなものである。
こういう約束を平気でするユダヤ人の神とはいったい何か? もしも神を持ち出すならば、神とは万人に平等でなければならない。もしも日本人にのみ依怙贔屓する神があったとすれば、日本人なら神とは認めない。それは邪霊邪鬼の類であって、およそ神などではあり得ないとするのが日本人の道義なのである。神とは普遍性そのもの謂であって、党派性のある神など神ではありえない。
こういう空証文を平気で与える神を信じるほかなかったユダヤ人こそ哀れである。自ら王国を築いたといわれる栄光の王ダヴィデさえ、「われわれは旅びとであり、寄留者です」と慨嘆せざるを得なかったのは、ユダヤ伝承が編纂された捕囚地バビロンでの書記たちの寄る辺なき境涯がもちろん反映されているのであろうが、「イスラエルの民は旅びと、寄留者」だという、民族の記憶に染みついた歴史事実がすでにあったからである。それはエジプトから追放され、実体のない神の約束を信じカナンの地に入ったイスラエルの民を当然にも待ち受けていた宿命であった。
ユダヤ人自身が理不尽かつ無慈悲な神ヤハウェの謎を解くのには、およそ三〇〇〇年の歳月がかかった。その神とはアテン一神教の聖都アケトアテンからイスラエルを国外追放処分としたエジプト新王国第一八王朝の第一三代のファラオだったアイ(在位紀前一三三一~二六)である(詳しくは拙著『憎悪の呪縛』参照)。神ヤハウェとユダヤ民族の誕生の謎の解明に挑んだラビのサバ兄弟に私は深甚の敬意を捧げる。
http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/7160464.html
本文から抜粋:
3.現在のシナイ山は4世紀にローマ皇帝コンスタンチヌスの母へレナが勝手に決めた聖地の一つに過ぎない。
4.現在のシナイ山近辺にはイスラエルの100万を越える人口がキャンプする広い土地が無い。
5.モーセの出エジプトの痕跡になる遺物などはまったく発見されていない。
ところが最近になって
民間の考古学者ロン・ワイアットさんがシナイ山の候補地の一つだったアラビヤ半島のラウズ山(タコ注:Jabal Al-Lawz ヤベル・エル-ローズ 難民の山ロウズ)に行き、はっきりとした確証を発見しました。
アラビア半島の付け根にあるヤベルエルローズ(ヤベルエルラウズ)こそ真のシナイ山であり、
コンスタンティヌス帝の母ヘレナがでっち上げたシナイ半島にあるシナイ山は偽物です。
日本人の覚醒
ユダヤ人という民族は存在しない
http://kabukachan.exblog.jp/25142185/
イスラエルはユダヤ人の国であると規定されている。ユダヤ人とは預言者モーセ(モーゼ)に率いられてエジプトを脱出し、約束の地カナンに戻ったユダヤの民の子孫であり、ローマ帝国に反乱して追放され、世界に離散した民だと信じられている。しかし、イスラエルの歴史家シュロモー・サンドさんは「ユダヤ人という民族は存在しない」という。
奥の院の界隈 6へ続く。
奥は深そうですね^^ ありがとうございます~
2度3度と読み返しておりますよ^^
なにせ この世もですが 我が頭も崩壊中なので(笑)
こんなに素晴らしく纏めていただけているので ポンコツの頭にも 整理がつきます^^
こちら、明日は建国記念日で休日です。
こても、実際の建国日が定かでないため神話の世界で初代天皇とされる神武天皇の即位日(紀元前660年1月1日 (旧暦))を、新暦に換算したという
「建国記念日」ですね^^
今、気になっている事は スイスの財政です(笑) あの国民投票はなんでやねん??
奥の院ってこんなものかも、
https://youtu.be/YWyCCJ6B2WE
やはり気になりますか。
この世の中偶然にあるいはさも市民が主導して行い大きな社会的運動になることは無い、すべての社会的な出来事はそういう風に世の中を誘導操作してある意思と目的のために起こされる。ということを理解しつつなおあの世界統一政府を形作るための準備作業のひとつで最終的には市民を奴隷化もしくは家畜化するためのステップで、あたかも市民自身がみずから選択判断したと見せかけるための国民投票なのでは?
ベーシックインカムとは単に冷酷で悪印象でしかない共産主義そのものを当たりのよい言葉をに変えただけではないのでしょうか。
はじめは甘い砂糖をまぶしてあるので嬉々としてのめりこんでいき気がついたときはもう手遅れ、騙されて その中身はとんでもなく苦く毒そのものってな按配でしょう。
ほら、極少数の支配者とその他大勢の奴隷、もしくは家畜という構図=NWO=世界統一政府=共産主義政府=でしょ?
あれについてはどうしてもこのような黒い裏の姿が透けて見えるんです。
明日は春一番! 明後日は冬の気温の予報。。
”東証が 休みの隙に 気温上げ” HAARPと連動かも~(笑)
10万票の署名で 国民投票が出来るのですか!遊んでるのかしら~~?? なんて思ったりしましたが。。
そんな事なのですか^^ 民主共産党なんて変なネーミングもありますね!
”行き着けば みんな同じ あの天辺” 色んな手管がありますね^^
お忙しいのに ありがとうございました。
”内裏雛 眺めつ象徴 想うババ”・・・・雛霰食してチョンの風情無し(^_^)/~でした(笑)
ご無沙汰しております。
この2ヶ月ほどいろんなことがありましてブログを休んでおります。
いま少し休みをとった後、徐々に復帰したいと思います。
お心使いありがとうございます。
ゆっくりとの 復帰をお待ち申しあげます。。
季節の変わり目です・・ お身体ご自愛ください。