navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

ウクライナ方面への旅ー1

2006年08月23日 | 日記
では今回の旅行記の第一回目です。
*(1)**(ニヤ)*

もう随分昔のことになるけどやはり夏休みにポーランド東部に行った時”上空を鳶が舞う小高い山並みの向こう側はソ連邦ウクライナだよ。”と話しながら真夏の陽を頭上に浴びながら寂れた山岳路を車で走っていたことがあった。その夏休みの間にもウクライナナンバープレートを付けたメーカー不明の汚れてずい分と疲れた車を何台か見かけたことがありました。
そのときから”いつかはあの山の向こう側のウクライナへ行ってみよう!”と思っていました。*(笑顔)**(クローバー)*
それからまもなくソ連邦自体が崩壊解体してしまった。前後するが長男が生まれたのが89年12月初めでまさに東欧革命の真っ最中,ルーマニアの革命戦の模様が連日テレビの画面に映し出されていたっけ。

旧東欧諸国への入国ビザについては90年代~2005年を通して年を追うごとに不要になり入りやすくなってきています。
ウクライナについては昨年8月1日から不要になった(実態は少し違うけどね)ということです。

それから一昨年,トルコ方面へ旅行に行った時にイスタンブールでポスポラス海峡クルーズツアーをした際に(値段が安いツアーだったので)あと少しで黒海というところでUターンしてしまい欲求不満として残っていた。
”一度はこの目で黒海を見,その潮の香りを嗅いでみたいものだ。”と思い続けていました。*(笑顔)**(波)*

そんな積年の夢=願望だったウクライナへの旅が今回実現したのです。

例年どおり我流欧州大陸旅行法に則って,たとえどんなに目的地までの距離が遠かろうと自分の計画したルートを自分の力で自分で車を運転して行くことにした。
目的地とそこにいたる途中の土地土地云々の道路地図や観光資料集め,関連書籍の通読等出発のその直前までああでもないこうでもないと思いを巡らし準備を進めるのがとても楽しいんだなこれが。*(車)**(地球)*

他方だいぶ年季の入った我車の整備点検には念をいれて行った。(けどこのところが今回の旅行で一番心配危惧していた点で実際旅行中にたいへんなことになる。)それからもう1件,予定していた旅程大変更を余儀なくされたルーマニア行きのカーフェリー利用不可があります。

今までの車での遠距離旅行の経験を生かして必要なものの準備も滞りなくするようにしました。
さらっと列記すると,
安眠マクラ,カッパ,うちわ,防虫スプレー,電気蚊取り器,トイレットペパー数巻き,緑茶や清涼飲料水ミネラルウオーター缶/ボトル数ダース,スナック菓子類多量,ナイフ/フォーク/スプーン/箸/はさみ/密閉容器/カップ/ふきん等一式,双眼鏡,射光マット,ペンライト,窓拭き用のきれいなぼろきれ少々,それからあんまり必要ないことを願うものだけど盗難防止ハンドルロック,スペアオイル2Lと修理用工具わずかなどなど。
まあ当然だけど今回はウクライナ内ではクレジットカードを使わないで済む様(カード情報の不正利用のケースが多いらしいので)に,現金でUS$とユーロを相当額用意した。

それから,東欧/ロシア・ウクライナ方面地図数部は勿論。ナビはなし,ガスは満タン!

そしてほぼ予定通り8月6日(日)朝9:25うす曇の空模様の下息子と私は一路東方へ向けて自宅を出発した。

書き出してから出発までにずい分講釈が入り込んでしまいましたが、これからの旅行記のあらすじを書くと次のようになります。

延べ旅日14日間,総走行距離6935KM,通過国名:オランダ-ドイツ-ポーランド-ウクライナ,主要通過都市名:アムステルダム(NL)-ハノバー(D)-ベルリン(D)-ドレスデン(D)-ブレスラウ(P)-クラカウ(P)-レズラウ(P)-レヴェウ(UA)-キエフ(UA)-オデッサ(UA)-ヤルタ(UA)-セベストポール(UA)-チェルソン(UA)-ノベ・サンツ(P)-クラカウ(P)-ブレスラウ(P)-ベルリン(D)-ハノーバー(D)-アムステルダム(NL,
1日目:自宅~ドレスデン
2日目:ドレスデン~クラカウ
3日目:クラカウ~リヴィウ
4日目:リヴィウ~キエフ
5日目:キエフ
6日目:キエフ~オデッサ
7日目:オデッサ
8日目:オデッサ~ヤルタ
9日目:ヤルタ/セベストポーリ
10日目:ヤルタ~チェルソン
11日目:チェルソン~チェメルイニック
12日目:チェメルイニック~ゴルリス
13日目:ゴルリス~オポール
14日目:オポール~自宅

で,ウクライナのことですけど予想したとおりの部分と呆れたり驚き感動したこともたくさんありました。

その国土の約1/2にあたる西部地域と南部地域を走り回ったことになりますがウクライナは文句なしに欧州で1番肥沃で大きな穀倉地帯を持っていますね。自分がいる場所から見渡す黄色いひまわり畑の実り豊かな大地とその上に澄んで広がる蒼空,こんな雄大な景色は私のちゃちなカメラのフレームにはとても収まりきれませんでしたね。
その点ではポーランドやハンガリーに似ているかももしれませんがただスケールが一桁以上違ってました。
今は形骸化してしまいましたがかつてのソ連邦時代の売りのひとつのコルホーズ(集団経営農場)のイメージとぴったり合いますね。

ここではウクライナ語が公用語になっていますがキリル文字のロシア語も厳然と広く使われています。地図と道路標識はロシア語とウクライナ語時々はラテン文字表現も混じって移動中行き先の判断にずい分悩まされました。
それから文句なしに”舗装路の態を成していないと断言できるほど道路が悪い!”。
平でスムースな道路はわずかしかなくてその殆どは,でこぼこ・大穴多数開き・深い轍・大小のこぶ・うねり・継ぎ接ぎ路面の連続でしたね。
そんな悪路の対向車線をを地元のドライバーはものともせずぶっ飛んでいくんです。
西欧や日本製の最新型高級車種(ローバー/BMW/ベンツ/VW/ボルボ/ポルシェ/レクサス/インフィニティ/アキュラ)と韓国製のモデルが驚くほど多くてびっくりしました。勿論東欧製のモデルもたくさん走っています。反面故障車が沿道に途切れなく止まっていましたね。

ウクライナの平均年収はUS$1748-/2005ですからUS$4.8-/日という国の物価はやっぱり安かったな。
普通に食事をすると2人分で6~8ユーロ,ガソリンは0.7ユーロ/Lぐらい。
ただし今回泊まったホテル(2つ~3つ星クラス)はツイン朝食つきで50~95ユーロ/日で割高感だった。
キエフのMCで食べたら3.4ユーロ/人前でした。これはあんまり安くないか?

こっちがウクライナ語あるいはロシア語がさっぱりだめだったこともあるけど,西側のようにお客受け入れに慣れていない呈のところが多かった。でも一方主にオデッサやヤルタなどの有名な保養地では愛嬌一杯で英語が通じるところもけっこうあリましたね。

まあこんな具合で,書きたいことはたくさんあるので次回は訪ねた各地の様子と遭遇した出来事をつづってみたいと思います。
*(ウインク)*


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