創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

お気に入りの旅館 伊豆修善寺温泉 湯回廊菊屋  

2015-12-06 16:16:37 | 旅行
お気に入りの旅館   伊豆修善寺温泉 湯回廊菊屋
 
明治時代、菊屋は有名な湯治場として、近くに山林を所有、菊屋山荘という広大な宴会場、鹿も飼われていた弓道場、桂川に水力発電所建設、嵐山に東屋、さらに修禅寺ハリストス正教会聖堂の建設など、数々の伝説を修禅寺に残されて来たという。
 また皇室との関わりも深く、有栖川宮様が江戸城明け渡しの際、宿泊。明治末期に先の昭和天皇、秩父宮、高松宮の御三方が皇孫殿下の頃にご宿泊。また、大正天皇、明治天皇の皇后様、常陸宮様など数多くの皇族もご宿泊されている。
 学習院院長の乃木閣下、桂太郎氏、元広島藩主浅野侯爵、政治家副島種臣氏(積翠堂菊屋の名付親)、「修禅寺の大患」で有名となった夏目漱石氏、執筆家吉田弦二郎氏もご宿泊されている。また、将棋の「大山・松田」名人戦も昭和30年に開催。大山名人が勝利されたという。
 夏目漱石氏は明治30年8月6日夜、菊屋着。到着後3日目には床につき、24日夜8時に4回目の吐血、脳貧血から一時人事不省、危篤状態に陥る。翌日、医師の往診で回復、9月の朝には氷嚢も外され、10月11日に帰宅となり、朝にはご主人の脩治さんが快気祝いにお頭付きの甘鯛をお出ししたそうだ。漱石は滞在中の9月29日に次の漢詩を詠まれている。
 「仰臥 人唖の如く 黙然大空を看る 大空雲動かず 終日 杳かに相同じ」
 *これは石碑となり、除幕式は昭和8年4月10日修禅寺公園にて行なわれている。

普遍思想とは

2015-12-06 16:15:50 | 思想
普遍思想とは (相対的な社会、絶対的な個人)
 私たちは社会とかかわることで生活し、暮らしています。個人は、その社会の中で必ず何らかの組織と関わり、組織の構成員となることで生きざるを得ない宿命があります。 家族、地域、学校、団体、会社、自治体、国など、上げればきりがありません。そうした共同体の中では、個人は相対的な存在になってとしまいます。組織の一員としての自分であり、メンバーであり、自分の悩みは組織の悩みであり、自分の思いは組織の思いであり、組織人として考え、お互いに協力しあって組織を動かします。そのときの自分は共同体員としての自分ですから、自宅の模様替えや花壇の手入れは、共同体の目的とはかかわりないとすれば、それはあくまで個人的な自分だけの問題になり、自分にとっても絶対的な、個人的な要件になります。すると、自分の家に戻り、部屋に入って音楽を聴いたり読書したりという生活は、絶対的な自己の部分、それ以外は相対的な個人の部分ということになります。よく考えると、多くの場合は相対的に生きていることになります。 もし、個人にとって100%が相対的な自分になってしまったら、個人はとても苦しいことになってしまいます。自分を完全に失ってしまいますから。そこで反動として絶対化した自分を、相対的な自分に対して押し戻そうとします。自分を見失わないために、人はそうしようとします。そこに絶対思想を生み出す考えや、それにひかれていくことがあると理解できると思います。特に、普遍的な思想ほど、そうした個人の心の中へと入り込むと、絶対的な感情や、より強い絶対的な対決を迫り、自分の存在そのものを追い込むほどの考えを強いてきます。あることを選択するのか、選択しないかの二者択一を強いてきます。
 問題は、その思想が絶対思想だとしたら、真理を語る上で普遍的でなければならりません。それには党派的では普遍思想には行き着けませんから、党派を超えた思想でできているはずです。政治党派も党派的ですから、なんら普遍性はありません。宗教も、もし他宗教を排除しようという内容でしたら、その宗教はなんら普遍的な宗教ではないのです。観念の世界を無限に拡大することで、カテゴリーを混同したり、また対立しているとすけば、それは普遍的な絶対思想ではないのです。党派性を止揚して行けたときに、初めてその思想は、普遍性を手に入れているといえます。

日本型民主主義とは

2015-12-06 16:15:00 | 歴史
日本の政治に必要な真の民主主義
 どのような場合でも、表面と裏面の対極の双方性から対象を観察し、全体像を捉えることがよく使われている方法論です。日本で現在機能している政治機構は、戦後決められた仕組み民主主義政治。無論、民衆が中央専制支配を打倒して勝ち得た政治機構ではなくいし、市民が蜂起して市民革命が成就した政治形態でもない。
 西欧の民衆が圧政と抗し、獲得できた政治思想の知恵を移入してできあがった、所謂横やりからかすめ取ったものだ。過去からの歴史を見ると、旧来からの政治体質では、とうてい日本の民衆が独自に新しい政治体制を奪取できるような理念も仕組みもない。
 その西欧の思想と民衆の努力で獲得できた民主主義を、私たちはなんなく獲得することができた。日本国民にとっては、敗戦で手にすることができた、むまたとない幸運といえよう。しかし、やはり借り物の民主主義であるために、上物は上出来の制度でも、運用の実態は依然として、今までの我が国の体制を維持してきていた悪しき政治体質が乗り移ってしまっています。しかも、いま改憲の意図が現れてきています。中央官僚にとって、やりやすい体制に戻してしまいたい。戦前の体質を復活させたいのが改憲の意図だと理解できてきました。それは、国民が正しい民主主義を学習し、国土は自分たちの手で、国民主導となるように政治制度改革をさらに前進させて、彼らの改悪の意図と真っ向から戦うしかないということになります。ただ、国民が真の民主主義の在り方とは、何なのかを理解できているのか。そこに課題があります。

「心」を科学する

2015-12-06 16:14:01 | 歴史
「心」を科学する
心の深層部分で乳胎児期の母との受け身の接し方に、あるいは無意識の内に獲得したその仕方に、人間の社会の歴史、共同体の歴史との著しい関連付けをしている。すなわち社会的な行動や生活の挫折と、母と乳胎児との接し方の挫折は同一視され、共同体の社会的段階と病像とを不可分な関係として捉えられる。
 それは西欧文化の展開の根拠でもあり、さらにさかのぼり、氏族共同体の内婚の禁止の時期のことも取り上げる。内婚制は原始共同体と古代的共同体との中間期の段階で、当時は族外婚は禁止されていたが、それを誤魔化すために妊娠した女性の相手は神様だったという神様神話が古事記には書かれている。このような族外婚が氏族内で半分以上になると内婚制は崩壊し、氏族内婚から族外婚制へと移行していく。ここでは近親婚は半分くらいしか禁制が通用せず、近親の親と子や兄弟姉妹との関係はタブーではなかった。この時代の男女には、まさに近親相姦的傾向があり、乳児期の母との接触にトラブル、すなわち受け身である時期に時代的な障害を受けることで、同性愛的な傾向としてのパラノイアにかかった近親婚があったと考えられている。
 こうした、時代情況下での影響は西欧文化がキリスト教の影響から乳児期に儀式行為と称し、乳児の身体に特別な傷を負わせてきたこととも共通して取り出せる。この習俗が、もっとも重要な大洋期における心的加害行為であり、これが起因となって内向的個人主義あるいは全体主義、思索的文化といった固有の世界を生み出していると吉本は指摘している。
 まさに、男女の性愛の行動と社会構造との関わり合いの過程で、無意識のうちに心的世界に入ってしまう時代病といえる。
 さらに、その脱出法のひとつとしてとして乳胎児期に母との接触の仕方で起きてしまう病像を、過去に追いやってしまえば、つまりそのような社会システムができあがれば、すくなくとも方法論としては解決する。
 そのひとつには、人工授精と人工出産すなわち母体内で受胎するということから、人工的な環境での受精と生長、さらに一連の育児を社会システムで行うと、母からの受け身のダイレクトな影響は受けることなく育つことになる。あくまでも未来映画のような論理的方法論としての想定で、あるヒントを暗示しているように思われる。
 乳胎児期の母との接し方が最重要ではあるが、西欧全文化の根源というには、一部飛躍がありはしないか。日本人の子育て法を他方の極に置くとはいえ、過去の戦時には日本人とて満州・朝鮮半島などで残虐な行為をしてきている。戦争の悲惨さは、いかに大洋期が良い環境であったとしても、国家という共同体が個人に逆立して強制すると同時に、個人の内部に残虐さが内在し、殺戮に走れるというテーマを突き詰める必要があると考えられる。
 そもそも「大洋」とは、母と乳胎児との 関係から発生した心と感覚の錯合した前意味的な芽生えをもった世界である。発語でいえば前言語的な固有言語世界で、喃語(あわわ言葉)や幼児言語の世界に対応し、「母音は言語的な皮質の優位で感受され、また「母」の像の根源にはあらゆる自然現象を擬人化し、命名せずにはおられない発生機の習俗がかかわってくる」とみなされている。まさに古代人類の黎明の意識と、自然との関わりに対応している。
 フロイトが捉えた神経症やパラノイアは「大洋」期に言語をどう獲得していくかと深く関わっていて、この前言語的世界だけが宿命的な強迫神経症を解く鍵と考えられている。
 ところで私たちがいう心とは何かを突き止めようとすると、人間の生い立ちである生命史をたどり直す必要がある。
 人の体の植物から動物への進化とは、植物の茎に体壁系(感覚器官系)をかぶせたものにあたっている。
 逆にいえば、動物の体から腸管を一本引き抜いて、それをちょうど袖まくりするように裏返しにひっくり返したものに他ならない。
 植物系の茎の維管束は、動物の血管系で、葉の表面は、動物の腸管と肝臓、肺胞の内側に当たる。植物は大地と天空というふたつの自然に体自体を開いてつながっている。そこでは大陽はまるで心臓が血液を押し流すように、光を押し出し、光合成という代謝活動を行っている。
 一方、動物は体腔と腸腔を入江に、肝臓と腎臓という入口と出口で外界を遮断し、体壁系で自然との直接のつながり避けている。内臓系は遠方の外界と共振する「植物器官」で中心は心臓、体壁系は近接する外界の自然と反応する「動物器官」で中心は頭脳ということになる。
 また内臓系は腸管系・血管系・腎管系の三つに分かれ、吸収・循環・排出を行う。血管系は体壁系の神経に当たっている。それに対し体壁系は外皮系・神経系・筋肉系の器官に別れ、外皮系は皮膚の触覚が進化して、目・耳・鼻などの感覚器官が開き、神経系は発達して脊髄になっおり、そのは発達したものが脳、また筋肉系は脊髄の両側にでき、広がって内臓をすべて包んでいる。
 この内臓系の動きつまり植物系の器官を基にする心と、体壁系つまり神経や筋肉などの動物系の感覚器官を基にする心の動きのふたつがあるとしている。これらふたつが表出されたものが人間の心だということになる。
 言語は動物的な反射が意識のさわりを含むようになり、それが次第に発達して自己表出としての指示性をもつようになったときに、人間に言語を使う条件が整ったこと、またそのさわりのようなものを感じて、その現実的反射が自己表出されたとき、言語が人間のために存在し、他者のためにも存在する言語の指示性を獲得したことになると論じていた。
内臓の動きが心を表すのを「自己表出」、感覚器官が反映して動く心を「指示表出」と対応させることになった。