お気に入りの旅館 伊豆修善寺温泉 湯回廊菊屋
明治時代、菊屋は有名な湯治場として、近くに山林を所有、菊屋山荘という広大な宴会場、鹿も飼われていた弓道場、桂川に水力発電所建設、嵐山に東屋、さらに修禅寺ハリストス正教会聖堂の建設など、数々の伝説を修禅寺に残されて来たという。
また皇室との関わりも深く、有栖川宮様が江戸城明け渡しの際、宿泊。明治末期に先の昭和天皇、秩父宮、高松宮の御三方が皇孫殿下の頃にご宿泊。また、大正天皇、明治天皇の皇后様、常陸宮様など数多くの皇族もご宿泊されている。
学習院院長の乃木閣下、桂太郎氏、元広島藩主浅野侯爵、政治家副島種臣氏(積翠堂菊屋の名付親)、「修禅寺の大患」で有名となった夏目漱石氏、執筆家吉田弦二郎氏もご宿泊されている。また、将棋の「大山・松田」名人戦も昭和30年に開催。大山名人が勝利されたという。
夏目漱石氏は明治30年8月6日夜、菊屋着。到着後3日目には床につき、24日夜8時に4回目の吐血、脳貧血から一時人事不省、危篤状態に陥る。翌日、医師の往診で回復、9月の朝には氷嚢も外され、10月11日に帰宅となり、朝にはご主人の脩治さんが快気祝いにお頭付きの甘鯛をお出ししたそうだ。漱石は滞在中の9月29日に次の漢詩を詠まれている。
「仰臥 人唖の如く 黙然大空を看る 大空雲動かず 終日 杳かに相同じ」
*これは石碑となり、除幕式は昭和8年4月10日修禅寺公園にて行なわれている。
明治時代、菊屋は有名な湯治場として、近くに山林を所有、菊屋山荘という広大な宴会場、鹿も飼われていた弓道場、桂川に水力発電所建設、嵐山に東屋、さらに修禅寺ハリストス正教会聖堂の建設など、数々の伝説を修禅寺に残されて来たという。
また皇室との関わりも深く、有栖川宮様が江戸城明け渡しの際、宿泊。明治末期に先の昭和天皇、秩父宮、高松宮の御三方が皇孫殿下の頃にご宿泊。また、大正天皇、明治天皇の皇后様、常陸宮様など数多くの皇族もご宿泊されている。
学習院院長の乃木閣下、桂太郎氏、元広島藩主浅野侯爵、政治家副島種臣氏(積翠堂菊屋の名付親)、「修禅寺の大患」で有名となった夏目漱石氏、執筆家吉田弦二郎氏もご宿泊されている。また、将棋の「大山・松田」名人戦も昭和30年に開催。大山名人が勝利されたという。
夏目漱石氏は明治30年8月6日夜、菊屋着。到着後3日目には床につき、24日夜8時に4回目の吐血、脳貧血から一時人事不省、危篤状態に陥る。翌日、医師の往診で回復、9月の朝には氷嚢も外され、10月11日に帰宅となり、朝にはご主人の脩治さんが快気祝いにお頭付きの甘鯛をお出ししたそうだ。漱石は滞在中の9月29日に次の漢詩を詠まれている。
「仰臥 人唖の如く 黙然大空を看る 大空雲動かず 終日 杳かに相同じ」
*これは石碑となり、除幕式は昭和8年4月10日修禅寺公園にて行なわれている。