創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

売買春と売春禁止法

2015-11-24 16:19:01 | 対幻想
エロスについて(吉本隆明)
「エロスとかそういう問題というのは、大雑把に言いますと、二つに分けられるんです。この二つというのが何かと言いますと、家内的、家庭的要素、そしてもう一つが家庭の外側にある社会的な要素です。それは同視できるものでもないし、重ね合わせるものでもない、と僕はそう考えているわけです。自慰行為にはある種の不健全さというものがあると思うんですが、不健全であると考えるからこそ、好きな女性を見つけ、実際に性的結合を行い、子を産み、家庭を築くという経路を辿る。僕も大体はそうだったと思いますね。」 ここには、性と社会性との脈絡が不用意に言及されているが、大きなテーマとして提起されている。自慰行為はあくまでも自己細胞内の欲動を、本来であれば異性を対象として行われるべき生殖行為の偽装である。しかし、社会性という人間関係の規範と、異性関係の制約と自己欲動の欲求の折り合いをつけるために生み出されたともいえる。つまり社会内の自然的人間関係が、完全に自由になり、本能の発動と社会性とが合致して、自分の好きな異性との関係が、いかなる疎外関係もなく解消された状態で。全人間的に関係性が取れる理想の状態にまで到達していない以上、男女の疎外関係は解消されてはいない。
  吉本は売春と性についてで「これ(売買春)は禁止にすべきではないし、制約にもならないし、これを制約とする法律が当たり前とも思えない。これは人間のもつ本質的な問題で、また本質的な欠陥に由来するものなので、これを法律で決めることはできないと思います。」という非常に難解なテーマに答えを出している。つまり、性欲動とそれを自由に可能とさせる社会性が完成していない以上、そうした性の解放と意識の自由さが一致している社会が成り立てば、性意識の抑圧もなくなる。性の欲求が歪められることのない環境が成り立つことが売買春の解消になる。そうした完成された社会ではないので、本能に埋め込まれた欲動を、法律という規制で抑圧するのは二重の抑圧になってしまう。