創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

資本主義と近代国家の終焉

2015-11-09 17:56:51 | 歴史
「資本主義と近代国家」の終焉
新興国の成長が、従来型の先進国経済の臨界点を生み出してしまったともいえる。しかも、これは自然な資本主義の成長のおかげであり、資本主義の本質的な様式そのものに原因がある。すなわち、今、資本主義の終焉と新たな次のステージの構築が求められている時期だ。しかし、どつぷりと資本主義に身を浸してきた先進国には、もはやどうすることもできず、経済学者たちには打開策が見出せないでいる。 経済の分析はできても、新しい世界全体の創出の思想力は持ち合わせていないからだ。
いよいよ地球全体が国家枠を取り払い、旧来型の近代国家そのものの破綻を認めなければならなくなった。それは資本主義の終焉であるとともに、次のステージへの準備と新しい枠組みの構築である。現に、その序章は始まり、一方では例えば国内では安倍政権が取っている末期的政策でも見て取れる。企業利益に直接結びつかない社会保障は切り捨てて、軍事産業や原発などの拡大、海外のインフラを含めた税金を利用した経済支援と、日本企業の受注とのセットでのバラマキ、IT産業空間の創出のためのマイナンバー制度などがそれだ。ずれも、国民を犠牲にしたうえで成り立つ、政財界の結合した政策展開だ。この新自由主義では、政治が経済活動に介入しない方式をいうために、必ず一部企業が富み、それ以外の中間層を含めた国民はますます実質賃金は目減りし、非正規雇用が大量に生み出される構造へと至ることになる。企業の利益率の低下と、ゼロ金利政策を取らざるを得ない実体がまさに総体としての資本主義の末路のあえぎとなって、出現している。安倍政権は、そのことに無自覚なままにアメリカ模倣の政策で切り抜けられると勘違いしているが、すでに過去の近代国家であり衰退した第二次産業の破綻と限界でもある。






雇用なき経済成長

2015-11-09 16:13:54 | 経済
雇用なき経済成長の意味
鉄の消費は近代資本主義のバロメーターである。日本では、1955年から1972年 であり、ピークは1973年に日本人の一人当たり粗鋼消費量は年間で0.834トンとなっている。その時以降、横ばいから下降へと推移している。それはすでに鉄の消費量が飽和状態を示していることになる。つまり大量生産に応じて、大量消費する時代がここでピークを迎えてしまったことが分かる。日本の中小企業・非製造業の資本利潤率が9.3%でピークを迎えた代表と値判断できる。逆にいえば、国内拡大路線は、1973年を上限として下降し、限度を超えるには地理的・物的空間の拡大をする以外には選択肢はなくなることを示唆していたことになる。1974年に日本の合計特殊出生率が総人口を維持できる2.1人を下回った年でもあった。 
 こうして1980年代から近代延命のトップレースを10年間ほど維持したが、バブルとともに加工の一途へと落ち込むことになった。ここからが日本の資本主義の終焉と位置づけられる。つまり1990年から景気と所得の分離が始まり、実質賃金の低下が始まった。2002年の景気回復にも関わらず賃金は減少していてしまう。資本主義の最終章は、経済成長と賃金の分離が象徴し、グローバル資本主義はまさに雇用なき経済成長ということになる。グローバリゼーションに名を借りた労働市場の規制緩和は、総人件費抑制のための手段に過ぎなくなった。