電脳くおりあ

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中津川市と山口村の越県合併

2004-10-11 10:23:10 | 政治・経済・社会
 父が病気のせいで、このところ実家の中津川市の情報がいろいろ入ってくる。また、自分でもインターネットでチェックしたりしている。その中に、長野県の田中康夫知事が、中津川市と山口村の合併に反対しているらしいというニュースがあって驚いた。田中さんについては、「全国知事会議 新潟会議三位一体の改革に関する田中知事の発言」を読んで、なかなか頑張っているのだなと感心していたところだ。特に、梶原拓岐阜県知事とのやりとりは圧巻だと思う。ところで、この反対だというニュースは、岐阜新聞のWebニュースで知った。

 田中知事は先月初めに越県合併議案について「九月議会に提出するが慎重な論議をしてほしい」とした。しかし今議会で議案提出を見送り、県民の是非を問う意向調査実施を提案、いわば突然の「方針転換」を表明した。
 これを受けた両市村は大きく混乱。岐阜、長野両県が九月議会に議案提出することを想定して進めてきた各種事務措置にも影響を及ぼした。その後も「意向調査の実施が十二月議会の提出の大前提」「越県合併は避けたい」などと、連日の田中知事の発言に両市村の関係者はほんろうされた。


 中日新聞朝日新聞長野日報信濃毎日などでも、このニュースは取り上げられていた。田中知事は、「山口村が県の一員であらねばならない思っている。少なくとも越県は避けたい」と合併に反対のようなのである。田中知事は、6日の県議会総務委員会で次のような理由を述べたそうだ。

 この中で越県合併について、田中知事は長野県を「帰属意識が高く、これほど郷里を愛している場所はない」と表現。この上で「県が分割されかねない問題。これだけの郷土愛が分断されることを致し方ないと思うことは、人間としてできない」と反対の理由を示した。
 さらに「住民一人ひとりが自分の考えを臆せず話し、議論し、行動する分子運動のような活動が本来の長野県民の姿」とし、「山口村の二千人が活発に分子運動を続けるためには、合併ではないのではないか」とも話した。
 このほか「情念的に抱くのは、対等合併が自治の本旨が息づく方法。今回は併合する側とされる側」と、中津川市へ編入となる合併方式についても疑問を呈した。


 中津川市と山口村の合併には、岐阜県の県議会での承認と長野県の県議会の承認が必要であり、岐阜県の県議会では七日の本会議で、県境の変更案など同村編入に伴う関連議案が可決された。田中知事は、長野県議会に合併の議案の提出をすると承認されてしまうので、「意向調査」をしてから検討しようと議案提出を見送ったようだ。しかし、県議会では「意向調査」のために計上された費用は否決されてしまった。つまり、県議会の多数は、合併承認のようなのだ。

 中津川市と山口村の合併問題の今後の方向は、長野県議会の動向による。しかし、一方で合併のための準備は着々と進んでおり、来年の2月13日の合併に向けてやらなければならないことも多い。このままでは、さらに混乱が予想されそうだ。田中知事と同じような反対意見を持つサイトがある。市民ネットワークの北山早苗さんの議員ブログ~プロフィールボード~だ。北山さんはあおぞらの林奉文、宮川速雄県議を誘い、山口村に出かけたようだ。そのときのレポートがある。

 県内の合併では住民意思の尊重で判断されてでよいが、越県合併は馬籠という長野県の宝を失うことと考えて欲しいと住民の皆さんは言い、また馬籠宿に置いてあった署名簿には観光に訪れた多くの長野県民の方々から、馬籠が岐阜へ行ってしまうことに反対する署名が記されていた。
 県議会は、昭和合併のときの先人の心意気(全会一致で反対)に学ぶことと、住民の隠された想いに耳を傾けること、何よりも未来を担う子ども達の心を考えることが必要ではないか?


 私は、中津川市と山口村が合併した方が良いとは思っていない。はっきり言って、私にはよくわからない。ただ、住民が本当に合併賛成なら合併した方が良いと思っているだけだ。この合併の話を聞いたとき、すぐに長野県がそんなことを許すだろうかと思った。けれど、5月に中津川に行ったとき、地元の人たちは長野県議会も承認するようだと言っていた。地元の人も賛成で、長野県が承認するなら、合併に向かうのかなと思った。北山さんも先のレポートで山口村の不幸な歴史に触れている。

 山口村神坂地区の歴史も学んだ。明治8年、湯船沢村と馬籠村との合併で神坂村(長野県)が誕生、神坂小学校が出来た。昭和の合併の際、岐阜県中津川との越県合併が進められ、住民投票では合併賛成、しかし、当時の長野県議会は全会一致で合併反対の決議をしたため、西沢権一郎知事は国に分村を申し入れ、神坂村は明治の合併以前の地域に分かれて、昭和33年それぞれ中津川市と山口村になった。それで、同じ名前の小学校が存在する。

 国と県の動きに翻弄された小さな村の悲劇でもある。しかし、それは島崎藤村の「夜明け前」で知られる「馬込という長野県の宝」という名誉を背負った村の悲劇である。北山さんは、今年2月に行われた住民意向調査の結果が、合併賛成971、反対578になったことに不満そうで、合併反対の人たちの意見を採り上げている。私も、その意見はよくわかる。しかし、その北山さんでも「馬込は長野県の宝」だと位置づけている。本当は、住民たちの生活の問題だと思う。私は、中津川市の出身だが、今では埼玉県民になっていて何か言う立場にないが、日本が政治的に地方分権化でもめている今こそ、「市町村の思い」をしっかり理解した円満な解決が必要だと思う。

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