電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

スター・ウォーズ「エピソード3」

2005-07-18 19:37:01 | インポート
 日曜日、久々に息子と一緒に映画を見に行った。勿論、映画は、今話題のジョージ・ルーカス監督・脚本のスター・ウォーズ「エピソード3 シスの復讐」である。スター・ウォーズをずっと見て来たものには、一応これで、話の展開が理解できてシリーズは閉じられ、完了したことになる。ルークとレイア姫の双子の兄弟の物語で始まったスター・ウォーズは、父のアナキン・スカイウォーカーがどのよう存在で、なぜダース・ベイダーとなり、双子の子どもたちを残すことになったが解き明かされた。最も、先に公開された「エピソード6」で、ルークを助け死んでいったダース・ベイダーことアナキン・スカイウォーカーがフォースの世界に戻り、精霊となったことを皆知って入るのだが、なぜ、彼がダース・ベイダーになったかは、映画にされていなかった。
 この映画がアメリカで公開されたとき、アメリカのスター・ウォーズオタクたちが、様々な衣装を着て、ライト・セイバーまで持って、会社を休んで映画を見にいったという。私と子どもは勿論、そんな格好はせずに見に行った。いつも行く入間市にある「ユナイテッド・シネマ入間」もついにインターネットで予約をできるようになった。会員でなくても予約ができる。前夜予約を取ったのだが、丁度後ろの方のいい席が2つだけ空いていた。当然、いい席から順に埋まって行く。当日も、そんな早く行く必要はなく、ぎりぎりで十分だった。私たちは、インターネット予約がはじめてだったので、1時間ほど余裕を持って出かけたが、30分以上時間をつぶす必要があるほどだった。

 映画は、面白かった。優秀なジェダイの騎士であるアナキン・スカイウォーカーが、「邪悪なパルパティーン皇帝の弟子である、シスの暗黒卿、ダース・ベイダー」となっていく過程がじっくりと描かれていた。話の展開は、息子には少し高度かも知れないと思った。自分の妻を救うために悪に身を投じていくアナキンの心の葛藤は、多少複雑だ。

 クワイ=ガン・ジンはアナキンを、古の予言で伝えられる、フォースにバランスをもたらす選ばれし者だと信じていた。だがジェダイ評議会は、この子の未来が曇っていること、修行を始めるには年が行き過ぎていることから、修行させることをためらった。
 (中略)
 アナキンに試練の時がきた。幼少の頃からジェダイのやり方を教え込まれていたら、もっと感情をきつく抑えていただろう。だが、その心はパドメと母親への想いで占められてしまった。アナキンはジェダイ騎士団に不可欠な、超然と構える術を会得してはいなかったのだ。

 このアナキン・スカイウォーカーの解説は、誰が書いたか知らないが、才能にあふれ、強力なフォースを持つアナキンが、ついにはダース・ベイダーになっていく過程を予告している。それが、「エピソード1」から「エピソード3」に至るスター・ウォーズのテーマだった。ジョージ・ルーカスのスター・ウォーズの世界の特色を一言で言えば、縦糸に善と悪の関係があり、横糸に愛と憎しみの関係がある交錯した世界を色鮮やかに銀河系という神秘な世界で描いたことかも知れない。愛は、人間を悪にも導き、善にも導く。銀河系の宇宙を様々な宇宙人からなる政体として考えると、私たちはどうしてもローマ帝国をモデルにしてしまうらしい。共和国から帝国への政体の変化は、ローマ帝国を強大にさせたが、ローマが滅びる仕組みも作った。

 映画を見終わって家に帰ったら、知り合いの女性から、トミー製の「スーパーレプリカライトセーバー ルーク・スカイウォーカー」が送られて来ていた。その女性のダーリンが友人から誕生日のプレゼントでもらったものだそうだ。ホコリにまみれていたので、彼に聞いてみたらあげてもいいよというわけで、送ってくれたそうだ。息子は、その贈り物を見て、にたにたしていた。その日は、1日中そのライトセーバーを眺めたり、取り扱い説明書を読んだりしていた。

 少し古い型だと送り主は言っていたようだが、息子の話では、ルーク・スカイウォーカーが持っているライトセーバーは、オビ=ワン・ケノービから、「これはお前の父親が使っていたライトサーベルだ」と言って渡していたものだという。そういえば、「エピソード3」の最後の場面で、オビ=ワン・ケノービは、アナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)を倒したとき、アナキンのライトセーバーを持って帰っていたように思う。私はそんなことはすっかり忘れていた。覚えてもいない。息子は、腰に二つのライトセーバーを付けていたよと言う。子どもの注意力は、大人とは違うようだ。

 いずれにしても、オビ=ワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)が戦う場面は圧巻で、「ロード・オブ・ザ・リング」の戦いの場面と同じようにとても迫力のある場面だった。二つとも、ファンタジーとしてみればほぼ同じような世界である。まあ、イギリスとアメリカの違いがあるのかも知れない。「スター・ウォーズ」はSFであり、科学兵器が主な武器だし、「ロード・オブ・ザ・リング」は弓矢や剣や槍が主な武器だが、どちらも「フォース」という神秘な力や、「魔法」の力が生きている。アフガニスタンやイラクでの戦争とテロの時代が、いまこうしたファンタジーを支えているのかも知れない。現実の戦争の世界は政治が力を握り、ファンタジーの世界では愛が力を握っているらしい。

 地球的に観れば、いまは戦争と平和の時代だが、人間の死を何かの犠牲にし過ぎているのではないか。人は、戦争で死んでいったものたちをひたすら悲しみのまなざしで見つめなければならない。その死に何か意味付与をし始めると、とたんに政治的な何かにとらわれてしまう。愛するものが死ぬということは何かを失うことであり、殺したり殺されたりすることは、大いなる喪失である。その喪失感があまりにも大きいと、人は物語を必要とするらしい。
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