電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

譲り合い

2006-01-15 17:17:52 | 生活・文化

 土曜の午後、池袋に行き、西口にある「ミスターミニット」で靴の修理を依頼した。靴底が痛んできたので、かかとのところとつま先のところの裏側を少しはりかえて貰ったのだ。4200円だった。2万円くらいの靴だが、履きやすい靴だったので、修理して貰った。時間は丁度1時間くらい。待っている間、東武デパートの中にある旭屋書店で本を買い、地下1階にある喫茶店でコーヒーを飲んで時間を潰した。帰りは、午後4時40分の飯能行きの急行に乗った。電車は混んでいたので、所沢まで立っていた。所沢で席が空いたので座った。私の隣に一人分のスペースを空けて、その向こうに40くらいの女性が座った。そこに所沢から二人の老夫婦が乗ってきた。

 その二人の年寄り夫婦は、私の隣に一つだけ空いていた席にだれが座るかお互いに譲り合っていた。一瞬迷ったあげく、おじいさんに進められておばあさんの方が席に着いた。私は、その刹那、おじいさんに向かって「ここに座ってください」と立ち上がった。すると、おばあさんの向こう側に座っていた女性が立ち上がり、「こちらに座ってください」と声をかけた。おじいさんは迷っていた。私は、その女性に「私が譲りますかいいですよ」と言ったが、その女性は、「いえ、私の方が譲りますから」と言って立っていた。おじいさんは、女性の方の席を選んだ。おそらく、私の方がその女性より年寄りに見えたらしい。女性は、私に「どうぞ座ってください」と言った。

 この間、1・2分の出来事だった。そして、何事もなかったかのように、次の次の小手指の駅まで、私は席に座り、その女性はおじいさんの前で立っていた。小手指で私の右側の席が空いたので、女性はそこに来て座った。おじいさんとおばあさんは、武蔵藤沢で降りた。降りるとき、私と女性に丁寧に挨拶をして降りていった。私と女性は、同時に、「どういたしまして」と言った。そして、何事もなかったかのように、私は持参していた本を開いた。とはいえ、私の隣に座っている女性の存在感を私はずっと感じ続けた。

 結局、その女性も私も終点の飯能駅まで乗っていた。多分、お互いを意識しながらそれぞれが自分の世界にこもっていた。先ほどの老夫婦も、乗っていた間私たちに時々視線を投げかけてはいたが、特に何かを語りかけてきたわけではない。多分、彼らの意識の中では何らかの形で私たちの存在感があったに違いない。だから、彼らは降りるとき、私たち二人に向かってお礼を言って降りていった。私とその女性は、一緒に電車を降りた。降りたときに私が「先ほどは、どうもありがとうございました」というと、とても軽やかな声で「どういたしまして」といってほほえんだ。

 その女性は、おそらくそんなに若くはなく、やせ形でほっそりしていて、どこかであったことがあるような気がした。私は、彼女とこのまま並んで駅の改札を出て行くのが何となくいけないことのことのような気がして、彼女からすぐ別れて、プラットホームのベンチに荷物を置いて、今まで脱いでいたコートを着た。前を見ると、その女性ははるか先を歩いていた。私は、その女性の後ろ姿を眺めながら、何となく心があたたかくなるのが分かった。ほんの少しの言葉だけを交わしたのだが、なんだかたくさんのことを語り合ったかのような、そんな気持ちになったのだ。そこには、確実に人間としてのコミュニケーションがあったのだと思う。

 小学校の道徳の副読本に出てくるような話だが、「お年寄りや身体の不自由な人に席を譲ってあげる」という行為は、それ自体特別な行為ではない。そういう気持ちももちろん大事であろう。しかし、そこで交わされるコミュニケーションの結果、お互いが人間として触れあったということが本当はその人にとって大事なことだと思う。ある一つの状況の中で人間と人間が交わすコミュニケーションは、その状況とともに、その人間を人間として存在させる。人間として存在すると言うことは、自分も相手もお互いが人間として存在感を共有するということだ。

 普段私たちは、電車の中では、全くの他人であり、あたかもそこに座っている人たちを風景のように眺めている。眺めに飽きれば、私たちは本を読んだり、音楽を聴いたり、携帯メールを読み書きしたりと自分の世界に戻っていく。しかし、ほんの些細なコミュニケーションの結果、そこに座っていた4人は、お互いに意識し合いながら、人間の温かさのようなものを感じていたような気がした。人間とは、何かのきっかけでそうことになりうる存在なのだということを実感した。殺伐として事件ばかりが起きているようだが、私の日常の中に爽やかな風が通りすぎていった。

コメント (2)
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