電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

国家の品格ということ

2006-01-09 22:27:49 | 政治・経済・社会

 藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書/2005.11.20)が売れているらしい。昨年の12月15日までに6刷りまでいっている。藤原正彦さんは、1943年生まれで、現在お茶の水女子大学理学部教授。新田次郎さんと藤原ていさんの次男で、有名な数学者。小川洋子著『博士の愛した数式』の数学者のモデルになった人で、小川洋子さんとの対談集を出している。数学者なのに、いや数学者だからこそかもしれないが、世の中論理で割り切れるものばかりではない、むしろ論理で割り切れないところに大きな問題があると説いており、日本の武士道の復権を述べているところが面白い。

  これは、最近養老孟司さんが『無思想の発見』(ちくま新書/2005.12.10)を書いた動機とよく似ているのかもしれない。そして、日本は最近、アメリカ流の論理を強調し、伝統的な情緒の世界を切り捨てようとしていると警告している。ただ、藤原さんは、養老さんとは、ほとんど反対方向に論を進めているようだ。情緒も論理も所詮、脳がひねり出した産物であり、その脳は日々変わる身体の一部であるにすぎない。そして、その身体で自然と慣れ親しんでいるのが普通の日本人の特色だというのが養老さんの論理だ。

 この本は、藤原さんのアメリカかぶれの反省から出発して書かれたものだ。アメリカの大学で教えていたときに身についた論理主義を日本に帰ってから実践してみたが、どうもそれがうまくいかなかった。その後、イギリスで1年ほど暮らす経験をして、日本の伝統を見直すようになったという。つまり、イギリスやアメリカに対して日本人としての自分の誇れるものがなんなのかやっと分かったという。

 イギリスから帰国後、私の中で論理の地位が大きく低下し、情緒とか形がますます大きくなりました。ここで言う情緒とは、喜怒哀楽のような誰でも生まれつき持っているものではなく、懐かしさとかもののあわれといった。教育によって培われるものです。形とは主に、武士道精神からくる行動基準です。
 ともに日本人を特徴づけるもので、国柄とも言うべきものでした。これらは昭和の初め頃から少しずつ失われてきましたが、終戦で出酷く傷つけられ、バブルの崩壊後は、崖から突き落とされるように捨てられてしまいました。なかなか克服できない不況に狼狽した日本人は、正気を失い、改革イコール改善と勘違いしたまま、それまでの美風をかなぐり捨て、闇雲に改革へ走ったためです。(前掲書P5より)

 私には、藤原さんの主張は、よく理解できる。共感さえする。そして、多くの読者の共感を得ているのは、いままで何となくわだかまっていた自分の心の中の思いを見事に表現してくれたという思いがあるからだと思われる。つまり、多くの日本人は、藤原さんのように思っているのだと思う。しかし、彼らはそのように表現できなかった。特に、今働き盛りのサラリーマン(日本人のかなりの部分)は、そう思っても、口に出して言えなかったといった方がいいかもしれない。

 「権力を批判する自由」以外の「自由」は必ず制限されるべきだし、実際制限されている。また、平等という名のもとで行われている不平等な活動の結果たくさんの差別が生まれている。「国家とは、人民が自由を放棄した状態を言うのです」という主張は、鋭い。だからこそ、権力者は常に批判にさらされるべきだというは正しいと思う。しかし、自由・平等・民主主義というのは、論理としては美しいが、現実には破綻しており、行動の指針たり得ないなどとたやすく私たちは、口にできない。

 藤原さんは、品格ある国家の指標として、①独立不羈、②高い道徳、③美しい田園、④天才の輩出、という4つを上げている。もちろん、天才はつくるものではない。本人は自ら天才になるのだが、おそらく天才はつくられるものなのだと思う。藤原さんの言葉によれば、①から③までの指標が実現されると、天才が育つのだそうだ。そして、日本には、ノーベル賞を受賞した科学者が何人もいますし、それ以外にも1千年以上も昔から世界でも一流の人材が存在していたわけだ。「もののあわれの心」と「武士道精神」というのが、藤原さんの強調する道徳だが、要するに「論理」や「合理」を越えた精神を大切にしたいということだと思う。

 ただ、その主張には養老孟司さんと比べると多少の危うさがありそうだ。「民衆」を信じていないと言ってしまうところや、「エリート」に対する期待があるところでその危うさが出てくる。もちろん、「民衆」というのがある意味ではフィクションであるというのは事実だと思われるが、その意味では「エリート」というのもまたフィクションなのだと思う。「もののあわれ」を感じ取り、いまもまだ「武士道精神」を抱いているのは、名もない日本人であって、おそらく国の宰相ではないと思われる。

 日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的提言。(カバーのPR文より)

 この文章は、代表的な読者の思いをぴたりと言い当てている。藤原さんの思想は、とてもよく分かり、私たちの直感や日常的な感性にとても近いところから発想されている。だから、多くの人が、正に自分の思いを代弁してくれていると感じ地いるに違いない。おそらく、この本を読んで、痛快に思った人はたくさん居るだろう。しかし、私たちの日常的な感覚をそのまま思想に昇華しようとすると、とても危ういものになりそうだと言うこともまた事実なのだ。

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