電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

MI理論からみた日本の教育

2005-01-21 11:08:53 | 子ども・教育
 MIというのは、Multiple Intelligencesということで、日本語で「多重知能」と訳されている。アメリカのハーバード大学のハワード・ガードナー教授がMI理論を提唱した。ガードナーは、知能を「情報を処理する生物心理学的な潜在能力であって、ある文化で価値のある問題を解決したり成果を創造したりするような、文化的な場面で活性化されることができるもの」(『MI:個性を生かす多重知能の理論』新曜社/2001.10.20)というように概念化している。そして、こうした知能は、IQのようにただ一つではなく、いくつかあり、それがそれぞれ独立していながら、お互いに関連し合っているという。ガードナーは、認知心理学と脳科学から、こうした知能が脳の構造に対応していると考えている。
 MI理論で認められている知能としてガードナーは、そこで次の7つをあげている。
 ①言語的知能……話し言葉と書き言葉への感受性、言語を学ぶ能力、およびある目標を成就するために言語を用いる能力。
 ②論理数学的知能……問題を論理的に分析したり、数学的な操作を実行したり、問題を科学的に究明する能力に関係する。
 ③音楽的知能……音楽的パターンの演奏や作曲、鑑賞のスキルを伴う能力。
 ④身体運動的知能……問題を解決したり何かを作り出すために、体全体を使う能力。
 ⑤空間的知能……広い空間野パターンを認識して操作する能力や、また、もっと限定された範囲のパターンについての能力。
 ⑥対人的知能……他人の意図や動機づけ、欲求を理解して、その結果、他人とうまくやっていく能力。
 ⑦内省的知能……自分自身を理解する能力。自分自身の欲望や恐怖、能力も含めて、自己の効果的な作業モデルをもち、そのような情報を自分の生活を統制するために効果的に用いる能力に関係する。
 
  このほかに、ガードナーは、⑧博物的知能と⑨実存的知能の存在の可能性もあげている。こうした知能は、脳の一部が損傷されるとそれに対応した能力が喪失することでもわかるように、脳では全く別の知能として局在化されて機能している。また、こうした知能は、直接的には、道徳的な判断を伴うものではない。それらの能力は、善悪とは別であり、どのように使われるのかは人間の価値判断によることになる。さらに、人によってはある知能が突出している場合もあるということになる。要するに、ガードナーによれば、人間はこうしたそれぞれ独立した多重の知能を持っているのであって、それらを考慮しながらそれぞれの知能を活用し、そしてそれらの知能をうまく育てて行くことが大事であると言う。
 
 こうした理論からは、教育は当然にも画一的なものではなく、「個に応じた教育」と言うことが大切にされる。学校では、一つのクラスに多くの児童生徒がいて、それぞれがいろいろな個性を持っているとき、個人ごとに設計された教育について考えるのは確かに難しい。ここで、ガードナーは、日本の教育についておもしろいことを言っている。つまり、日本の教育は、全体的にアジアの教育もそうだが、画一的な学校教育がなされているように見える。それにもかかわらず、学力の比較調査ではアメリカより成績がいいのは何故だろうかというのだ。ガードナーは、ここで日本の教育が「信じられているよりもずっと個性化されている」と次のように述べている。
 
 日本のような国では、教育の最初の数年間は、生徒の社会的な理解や、いっしょに学ぶ能力を伸ばすのに費やされる、という事実を考慮したい。作業の多くはグループで行われ、そのなかで生徒は、助け合って、他の子供の学び方に注意を払うよう奨励される。しかし、最も重要なのは、学校を補佐するしくみである。東アジアでは、学校の社会化の側面が大変重要で、まさにそうだからこそ、社会は、認知の側面が軽視されないように手段を講じる。だから日本では、多くの生徒が放課後に[塾などの]指導を受けに行く。そこでは授業は、必要に応じて個性化されている。そして、ほとんどすべての生徒に、最低一人の家庭教師がいる。つまり、親、たいていは母親である。この家庭教師には、子供にとって決定的な試験[入試など]への準備をさせるという、ただひとつの目標があるので、教育も、必要に応じて個人ごとに設計されることができる。(『MI:個性を生かす多重知能理論』p221・222より)
 
 ガードナーは、ある意味では画一的な学校の仕組みと、地域(塾など)や家庭の連携がうまく機能して、東アジアの学力の向上が作り出されていることを見事に言い当てていると思う。問題は、現在そうした連携が、少しずつ壊れてきているということだ。学校で授業がうまく成立しないという事態や、不況の中で放課後の勉強の仕方に社会的な格差が生じたり、また夫婦共稼ぎが増加し子供を顧みない親が増え、家庭が崩壊したりしている。つまり、これまでうまく機能していた、社会全体の教育環境が今危機に瀕しているような気がするのだ。さて、日本の文科省はこれらの課題にうまく応えられるのだろうか。
 
 
コメント
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