碧田直の いいじゃないか。

演劇ユニット、ミルクディッパー主宰の碧田直が、日々を過ごして、あれこれ思ったことを、自由気ままに綴ります。

無題そのよんじゅうさん

2016-05-31 13:42:30 | 日々
今日は朝からウキウキしている。といっても、別にきれいなお姉ちゃんと会うとか、そういうのではない。いや、きれいなお姉ちゃんと会ったとてウキウキなんてしないが、というか、きれいなお姉ちゃんとそもそも会わないし…………。

のっけから話がずれた。

とにかく今日はウキウキワクワクだ。理由はただ、ひとつ。
今夜はカップラーメンを食べられるからである。

……いや、誤解ないように言っておくが、俺は妻にご飯を作ってもらえないわけではない。むしろ、妻は頑張ってご飯を作ってくれる。手の込んだ料理は出ないかもしれないが、あったかい家庭料理を出してくれる。どかどかと何品も出ないが、渾身の一品を俺は心から気に入っている。妻バンザイ、妻の手料理バンザイ。

……またずれた。
なぜカップラーメンか。ときどき、妻も俺も帰りが遅いときがある。帰宅したら午後七時などというときには、出来合いのもので済ませることもある(就寝が午後九時なので、七時は相当遅い)。
その際、ちょっと前ならば、俺は必ずカップラーメンを購入していた。お弁当に汁物、の感覚でお弁当にカップラーメン。ほぼ毎日カップラーメン。独身時代には、三食すべてカップラーメンの日もあった。

俺にはカップラーメンしかない、という時期もあった。買わなくてもいいのに買ってしまう。同じくラーメン好きな父親の影響もあったかもしれない。下手な店のラーメンよりずっとおいしく、場所を選ばず手に入る。ああ、何と素晴らしい!カップラーメン、我が心の友よ。ボエ~~~~~~!!!

しかし、糖尿という名の魔の手は、俺から友を奪い去ってしまった。俺はこの悪魔に屈服し、膝をついて頭を垂れる他なかったが、心の内では、捲土重来の機会を虎視眈々と狙っていたのだ。

そして……そして。
そして!

時は来た!!!!

……それだけだ。
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無題そのよんじゅうに

2016-05-30 14:33:31 | 日々
今日は朝から体調を崩した。
いつも始発に乗って仕事場に向かうのだが、駅へと歩いているときから何かおかしい。足に力が入らなくて、いつもより頑張らないと、いつも通り歩けないのだ。変だな、とは思ったが、風邪をひいたわけでもない。だから、一緒に歩いていた妻にも言わず、駅まで行く。

ホームで電車を待っているときも、疲労感がかなり
ある。昨夜、予定を変更して『私のあしながおじさん』を最終回まで観続けたツケかもしれない。
『……車内で寝れば回復するだろう』と、あまり深刻には考えずに、やってきた電車に乗り込んだ。

電車は睡眠の場だ。いつものように目をつむり、睡魔がやってくるのを待つことに専念する。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ダメだ。
睡魔は一向に訪れず、代わりに冷や汗がダラダラと流れ出す。いったいどうしたというのか。
起き抜けは普通だった。普通にフラフラだったが、そんなのはいつものことだ。シャワーを浴びればスッキリする。事実、今朝だってシャワーで目が覚めたではないか。
しかし、冷や汗がおさまらないのもまた事実だ。電車の振動が椅子を通して、背中に、そして内臓に響くのだ。ひと駅ごとに気分が悪くなっていく。

こんな症状は初めて……いや、初めてではない。同じ症状を体験したことがある。あれは……悪酔いしたときだ。
そう、酒を飲み過ぎたときも、こんな感じで電車の振動に気持ち悪くさせられてたっけ。それであのときは終電で、どうにか帰り着こうと踏ん張ったあげく車内に思いきり…………………………やめよう、思い出すのは。人生には振り返っちゃいけない思い出のひとつや二つはあるものだ。
しかし、このまま我慢するにも限界がある。ここに至って妻に具合が悪いことを告げ、途中駅でそそくさと降りた。

それからのことは思い出したくもない。とにかくすったもんだの末、どうにか時間内に到着できた。やれやれである。
人生、どこに体調不良の魔の手が迫るかわからない。殊に不惑を過ぎて、よりデリケートになっている体をいたわらなければ、今日のような地獄がまた待ち受けるだろう。慎重に、時に大胆に生きていきたい。

あ、ちなみに原因は、昨夜しらたきを食べ過ぎたからであった。六〇〇グラムがキツくなったのか。ラーメン一キロをぺろりだった頃が懐かしい。年は取りたくないものである。
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無題そのよんじゅういち

2016-05-29 17:02:13 | 日々
今日は吉祥寺へ行こうと思っていたのだが、昨日ワークショップで遅く寝たこともあり、妻と話して、自宅でまったりする日に決める。それでも最近始めた散歩だけは、買い物がてら済ませることにして、昼前に出かけた。

日差しが強いなかを、少し遠回りしながら歩く。が、途中で道を間違えてしまった。
ルートを決めずに散歩をすると、たまにこういうことがある。こんなときに取るべき選択肢は二つしかない。ひとつは、正しい道まで戻って予定通り歩く。もうひとつは、あまり外れないことだけ念頭に起きながら、間違った知らない道を間違ったままに歩く。正しいのは前者で、楽しいのは後者だろう。というわけで、迷わず後者を選ぶ。いまさら正しい道など歩いていられるか。アリよりキリギリス。楽しくて何が悪い。行くぜヒャッホー!

……などというノリで歩いたわけではないが、知らない道を二人で歩く。途中、せせらぎの散歩道なる小路にたどり着き(まるでせせらぎはなかったが)、その落ち着いた空間に心を洗われたり、いつも利用している大通りの、ちょっと脇に入った道の先に広がる風景に思わずハッとさせられたり、いくつかの小さなサプライズに出会いながら、目的地のドラッグストアとイトーヨーカドーに到着。すでに暑さと空腹でヘトヘトではあったけれど、どうにか買い物も済ませて帰宅。二時間ほどの散歩だった。

道に迷うことも、たまには……よくやるけど……いい。とかく人は、最短距離を最大速度で駆け抜けようとする。焦っているときは尚更だ。しかし、迷わないと見えない景色もある。それもまた自分を形作ってくれることがあるものだ。今日の散歩は本当に楽しかった。今夜はよく眠れそうだ。いい夢を見よう。
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無題そのよんじゅう

2016-05-28 14:46:17 | 日々
妻から抗議がきた。
自分が妻のブログを読んでいるのと同様に、妻もこのブログを読んでいる。それなりに楽しんで読んでいるようなのだが、昨日あげた文章には不満があるらしい。
妻曰く、
『ロマンチストぶって!』
だそうだ。

いやいや、こう言っては何だが、俺はロマンチストである。体はロマンで出来ている、と言っても過言ではないくらいだ。だいたい物書きなどという人種は、現実の事象に想像力というドレッシングをふりかける。結果として、よりリアルに見せることもあれば、より幻想に近づくこともある。昨日のブログは幻想寄りに振れたということだ。

が、妻の抗議の矛先は、どうもそういうことにはないようだ。実際の生活で、あまりロマンチックを感じてないらしい。ドキドキする瞬間とか、夢うつつになれる演出とかがないということのようだ。

いやいや、俺に言わせればロマンチックは日常のあちこちに転がっている。散歩して、心地よく汗をかいた後に吹き抜ける一陣の風に、神の慈悲を感じはしないか。目に見えないものを感じる。それはロマンチックなことではないのか。目に見えるものばかり欲しがってはいないか。

どうもそういうことでもないらしい。女性はいつも難解だ。男にとって永遠のブラックボックス。でもいい。それもまた魅力だ。ほらロマンチック。

今日は月一度のワークショップの日。芝居仲間たちと、絆を確かめながら見果てぬ夢を追い求めるとしよう。ほらまたロマンチック。俺は正真正銘のロマンチストだ。でもその前に腹ごしらえ。ロマンではお腹はふくれないのである。
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無題そのさんじゅうきゅう

2016-05-27 12:37:09 | 日々
朝から雨。
雨は嫌いじゃない。夏場のべたつく雨は苦手だが、さらりとした秋雨は好きだ。雨音に耳を澄ませていると、何も余計なことを考えずにいられる気がする。もちろん、傘がなくて濡れてしまえば、そんなことを思う余裕もなく、家路を急ぐばかりになってしまうのだが。

だから、ゆるやかに好きな音楽が流れる部屋で、特に何をするでもなく、降り続く雨を眺めるのは本当に好きだ。それが例えば大きな窓越しに、緑豊かな庭がのぞいて、芝生や木々や草花を湿らす感じの雨ならば、もう言うことはない。知らず詩情が湧いてきて、短歌のひとつでも詠みたくなるものだ。詠んだことないけど。

そういう意味では、霧雨なんか風情があっていい。雨で作られたカーテンのように、静かに降る雨が、桜の木々にかかるなどは、何とも幻想的かつ蠱惑的だ。まるで死者の住み処への入口のようではないか。
桜の樹の下には屍体が埋まっている、と書いたのは梶井基次郎だそうだが、彼もまた、霧雨に濡れる桜の妖しさに目を奪われていたのではないだろうか。だから早世した、とはロマンチックに過ぎるかもしれないが、そんな気がする。

昼になり、雨はあがった。濡れていく街も、少しだけ趣きがあった。もちろん自分が濡れないこと前提だが、たまには雨に五感を預けてみるのも悪くないかもしれない。
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