朝から雨。
雨は嫌いじゃない。夏場のべたつく雨は苦手だが、さらりとした秋雨は好きだ。雨音に耳を澄ませていると、何も余計なことを考えずにいられる気がする。もちろん、傘がなくて濡れてしまえば、そんなことを思う余裕もなく、家路を急ぐばかりになってしまうのだが。
だから、ゆるやかに好きな音楽が流れる部屋で、特に何をするでもなく、降り続く雨を眺めるのは本当に好きだ。それが例えば大きな窓越しに、緑豊かな庭がのぞいて、芝生や木々や草花を湿らす感じの雨ならば、もう言うことはない。知らず詩情が湧いてきて、短歌のひとつでも詠みたくなるものだ。詠んだことないけど。
そういう意味では、霧雨なんか風情があっていい。雨で作られたカーテンのように、静かに降る雨が、桜の木々にかかるなどは、何とも幻想的かつ蠱惑的だ。まるで死者の住み処への入口のようではないか。
桜の樹の下には屍体が埋まっている、と書いたのは梶井基次郎だそうだが、彼もまた、霧雨に濡れる桜の妖しさに目を奪われていたのではないだろうか。だから早世した、とはロマンチックに過ぎるかもしれないが、そんな気がする。
昼になり、雨はあがった。濡れていく街も、少しだけ趣きがあった。もちろん自分が濡れないこと前提だが、たまには雨に五感を預けてみるのも悪くないかもしれない。
雨は嫌いじゃない。夏場のべたつく雨は苦手だが、さらりとした秋雨は好きだ。雨音に耳を澄ませていると、何も余計なことを考えずにいられる気がする。もちろん、傘がなくて濡れてしまえば、そんなことを思う余裕もなく、家路を急ぐばかりになってしまうのだが。
だから、ゆるやかに好きな音楽が流れる部屋で、特に何をするでもなく、降り続く雨を眺めるのは本当に好きだ。それが例えば大きな窓越しに、緑豊かな庭がのぞいて、芝生や木々や草花を湿らす感じの雨ならば、もう言うことはない。知らず詩情が湧いてきて、短歌のひとつでも詠みたくなるものだ。詠んだことないけど。
そういう意味では、霧雨なんか風情があっていい。雨で作られたカーテンのように、静かに降る雨が、桜の木々にかかるなどは、何とも幻想的かつ蠱惑的だ。まるで死者の住み処への入口のようではないか。
桜の樹の下には屍体が埋まっている、と書いたのは梶井基次郎だそうだが、彼もまた、霧雨に濡れる桜の妖しさに目を奪われていたのではないだろうか。だから早世した、とはロマンチックに過ぎるかもしれないが、そんな気がする。
昼になり、雨はあがった。濡れていく街も、少しだけ趣きがあった。もちろん自分が濡れないこと前提だが、たまには雨に五感を預けてみるのも悪くないかもしれない。