碧田直の いいじゃないか。

演劇ユニット、ミルクディッパー主宰の碧田直が、日々を過ごして、あれこれ思ったことを、自由気ままに綴ります。

無題そのひゃくさんじゅうご

2016-08-31 09:35:58 | 日々
これから、シン・ゴジラを観に行く予定。感想は明日あげるつもり。賛否両論あるようなので、自分で観てどう思うか、楽しみにしている。

そして、今日は母方の祖母の、三十六回目の命日だ。
俺は祖父母との縁が薄くて、父方の祖父、つまり父の父は、父親が三歳の時に事故で亡くなったので、顔写真すら見たことがなく、父方の祖母も、俺が生まれて一歳になる直前に他界したため、記憶にはない。
だから、祖父母と言えば母方のほうで、特に祖父は俺が三十過ぎまで元気だったから、いろんな思い出も思うところもある。
が、祖母は、俺が十歳になる年に、六十で急逝したし、若い頃に倒れてから、ずっと余生を送るような形となり、あまり積極的に孫の俺と関わろうとしなかった(単に俺とウマが合わなかっただけかもしれないが)から、顔も声も覚えているのに、思い出は何もない。

だから、祖母で真っ先に思い出すのは、亡くなったあの日の、やたら暑かったことと、遠くから聞こえてきた母の泣き声、そして、眠っていて、そのまま亡くなった祖母の、おだやかな死に顔だ。

人は死んだらどこへ行くのだろうと、よく考える。本当なら、まだ人の死が身近ではないはずの年齢で、友人を次々亡くしているからか、祖父母を含め、あの人たちはどこへ行ったのだろうと思う。

もちろん、結論の出ない問いだ。だが、あの時の祖母は本当に眠っているようで、いきなりどこにもいなくなったとは思えなかった。ちょっと身体を置いて、ふらりとどこかへ行ってしまったような、不在感だけがあった。

祖母はどこへ行ったのだろう。それから二十二年後に逝った祖父は、祖母と会えたのだろうか。

今日も暑い。
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無題そのひゃくさんじゅうよん

2016-08-30 12:58:34 | 日々
大型台風は、どうやら関東をかすめて行ったらしい。家を出る時は、かなりの雨に見舞われていたが、いまは晴れ間も見えている。直撃を受ける東北の方々は、これからが正念場となるので、くれぐれも気を付けてほしい。

小さい頃、台風が接近すると、決まって張り切るのは父親だった。
といっても、子供のようにはしゃぐわけではない。強風で雨戸が飛んでいってしまわないように、その強化に駆けずり回るのだ。
現在の新築一戸建ては、たいていシャッターだと思うが、俺が小さい頃は、雨戸が一般的だった。夕方になると、たいてい俺が雨戸を閉めにいかされ、あちらこちらの雨戸を閉めていたのだが、ひとたび台風ともなると、父親が出て来て、ひと仕事はじめるのだ。

強化とはどういうことか。雨戸には内側に落とし込む錠がついていて、それを雨戸の通り道にあらかじめ開けられている穴に押し込むと鍵がかかり、外的圧力だと、ちょっとやそっとでは開かなくなる。たいていの家はこれで済ませていたのではと思うが、根が慎重で用心深い父親は、これではあきたらず、その横に長釘を二本ばかり深々と打ち込んで、二重三重の備えをするのである。

当然うるさいし、母親が『もういいのでは』などと言っても、頑固な父親は聞く耳も持たず、家中の雨戸という雨戸を、家ごと飛ばされない限り大丈夫なくらいに固定してしまうのだ。そして、満足げにこう言う。
『これで、どんな台風でもびくともしない』

父親の言う通り、雨戸に関して、例え観測史上最大の台風が直撃しても、家はびくともしなかった。おかげで、夜中に台風が直撃したような時でも、不安にさいなまれることなく、ぐっすり眠って朝を迎えられた。その点については感謝している。

ただ、どんな台風がきてもびくともしないほど打ち込んだ釘は、母親や子供の俺が、どれほど力を込めて抜こうとしても抜けずに、父親が朝早く出勤してしまった日には、台風一過の雲ひとつない晴天のもと、雨戸をすべて閉めっぱなしで過ごすはめになってしまったが。

とにもかくにも、台風被害は最小限に留めて、もう去っていきかけている夏の晴れ間を、あと少しの間、楽しんでいたいと思う。
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無題そのひゃくさんじゅうさん

2016-08-29 14:59:25 | 日々
水曜に映画を観に行くことにした。話題になっている『シン・ゴジラ』である。ゴジラ映画を映画館で観るのは初めてではないはずだが、いつだったか覚えていない。八十四年の『ゴジラ』かもしれないが、それも定かではない。大人になってからの、いわゆる平成ゴジラは観ていない。とにかく、映画館でのゴジラは、それほど馴染みの存在ではなかった。

では、ゴジラ映画は観ていないのか、というと、昭和に限って言えば、おそらくほとんどを観ている。これは、同世代の男性だと、ほぼ同じようにゴジラ(あるいはガメラ)を観ているはずだ。なぜかというと、夏休みや正月休みなど、節目節目の休みにゴジラ映画はテレビで繰り返し放送されていたからである。

当時の放送コードにひっかかるのか、第一作目の『ゴジラ』は放送されていた記憶がないのだが、それ以外をテレビで観てしまったために、ゴジラはテレビで観るもの、という余計な刷り込みが出来上がってしまい、以来、映画館にまで足を運ぶことがなくなってしまった。惜しいことをしたと思っている。

ゴジラ映画がすべて傑作というわけではないと思う。が、怪獣映画は怪獣の巨大さを、おののきながら楽しむものだ。かつてのテレビサイズは、ストーリーを追うには適しているが、迫力という点では大きく劣った。音響効果もまるで違う。ゴジラ映画が傑作であれ、駄作であれ、映画の巨大スクリーンに映えることは間違いない。

また、ゴジラ映画は、ゴジラが登場するから、子供の観るもの、という思い込みは、自分の視野を狭めるだけだからやめたほうがいい。特撮だからこそ描ける世界観や、テーマを盛り込むことができると考えたら、こんなに自由な世界もない。ましてシン・ゴジラの監督は庵野秀明だ。よりこだわったゴジラ映画を作っているに違いない。

と、ここまで書いたが、もちろんまだ観てはいないので、期待感だけを膨らませて、映画に臨もうと思う。面白かったら、またブログに感想を。つまらなくても感想を書くつもりではあるけれど、面白いことを望む。
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無題そのひゃくさんじゅうに

2016-08-28 17:36:55 | 日々
散髪した。
子供の頃から散髪が苦手で、床屋に行くのは二ヶ月か三ヶ月に一度だった。理由があって、生まれつき先の尖ったものが目の近くに迫ると、どうにもムズムズしてしまう、いわゆる尖端恐怖症だからだ。

なぜ尖端恐怖症になってしまったかと言えば、子供の頃の記憶では、父親に髪の毛を切ってもらっていた時に、弟が父親にじゃれてしがみつき、その弾みで耳を切ってしまったため……だと思っていた。
だが、最近、父親に確認したところ、それは散髪ではなく耳かきの時だった、という。子供の頃の記憶など、あてにはならないということなのだろうが、耳かきは嫌いじゃなくて、自分で頻繁にやるくらいだから、何がどうなって、床屋を苦手になったのか、いまではひっくり返ってもわからなくなった。

小一時間で頭はスッキリ。床屋は苦手だが、散髪した後の爽快感は好きなのだ。かくも人間とは矛盾に満ちた生き物である。また来月あたり、『嫌だなあ』と思いながら、トボトボと俺は床屋へ行くに違いない。
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無題そのひゃくさんじゅういち

2016-08-27 21:13:22 | 日々
今日は芝居のワークショップ日。
先月、熱い芝居を堪能させてもらった役者さんら、月イチで会っている芝居仲間と、久々の手合わせの機会だ。

俺は役者ではないので、演技を直接ぶつけ合うわけではないが、映画の話をたっぷりして、朗読に耳をそばだてて、短い掛け合いの芝居を全力でブラッシュアップする、 たった数時間の、けれど充実した時間を過ごした。

彼らとは、毎日顔を突き合わせるわけではない。友達でもない。時に意見をぶつかり合わせることもある、互いの心にしなやかな緊張の糸を張っている間柄だと、俺は思っている。だから、このワークショップがいつなくなるとも知れない。それが明日でも、不思議はないと思う。

しかし、いつかはなくなるだろう場だからこそ、一回一回の機会を大事にしたい。確かな足取りを、それぞれに刻んでいきたい。欲張りな願いではあるが、そう思っている。芝居が、残せない芸術だからこそ尚更。

いい時間だった。
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