碧田直の いいじゃないか。

演劇ユニット、ミルクディッパー主宰の碧田直が、日々を過ごして、あれこれ思ったことを、自由気ままに綴ります。

無題そのななじゅうさん

2016-06-30 12:31:26 | 日々
昨日の夜に、アレが出た。
アレとはアレである。茶色かったり、時に黒かったりして素早くカサカサと動き、たまに飛んだりもするアレのことだ。これでも分からなければ、Gと言えば分かってもらえるだろうか。人間より大量に地球上に住み着いているアレである。

気づいたのは妻だった。いつもなら九時過ぎには眠りにつく彼女が、昨日は外食で予定がずれ込んだこともあって、俺と一緒に十時過ぎまで起きていた。テレビでバラエティ番組を観ながら、さて、そろそろ寝ようか、などと思っていたまさにその時に、妻が声にならない悲鳴をあげた。見てはならないものを見てしまった時に出す、ソレだった。

『!△!!◯!』
そして、次の瞬間、俺もソレを見た。そして心のなかで悲鳴をあげた。
『!!!▲▲】◯△#&!!!』
こう言っては何だが、俺は妻に輪をかけて虫嫌いである。男の子なら誰でも好きな、カブトムシやクワガタだって嫌いなのだから、ましてやアレなど、許容できるわけもない。
といって、叩き潰してしまえ、みたいな度胸もないから(だって、叩き潰したらアレの気持ち悪いアレが床にべっとり……うわああああああ、想像するだけで身の毛もよだつ)、妻と二人で、どうにか部屋の外に追い出そうと奮闘することに。

ところが、アレはなかなか思い通りに動いてくれない。どうにか窓へ追い詰めて、スパーンと吹っ飛ばしたつもりでも、本棚の陰に入り込もうとしたり、網戸のさんにへばりついていたりして、どうにも外へ出ていってくれない。もう妻も俺も半ばパニックである。とにかく出ていってくれ。それだけを願いながら戦うこと五分あまり、ようやくアレを部屋から追い出すことに成功した。アレは夜の闇に消えていき、放心してへたりこむ、四十男と三十路女が残った。

アレはまたいつ現れるか分からない。今日かもしれないし、明日かもしれない。また忘れた頃にやってくるかもしれない。ひとつだけ分かっていることは、ふたたび現れた時、俺も妻も大騒ぎして、挙げ句くたくたに疲れ果ててしまうだろうということだ。もう死ぬまで現れなくてもいいぞ。
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無題そのななじゅうに

2016-06-29 19:41:06 | 日々
今日はビートルズ来日から、ちょうど五十周年にあたる。五十年前の一九六六年六月二十九日の未明、ビートルズは羽田空港(成田はまだなかった)に降り立った。台風の影響で、アンカレッジに十時間も足止めを食ったため、深夜の到着になった。

その後、ビートルズを乗せた車は、警察車輌の先導のもと、千代田区永田町にあった東京ヒルトンホテルへ着く。これから後、七月三日までビートルズ旋風が日本中を吹き荒れたのである。

……と、何だかライナー・ノーツのような書き出しだが、とにかく五十周年だ。ビートルズ嫌いな人から、さして関心がないという人まで、彼ら四人が飛行機のタラップで、ハッピを着て手を振って笑顔を見せる映像を見たことぐらいはあるだろう。言ってしまえば何のことはない、海外の人気グループが来日しただけである。それ以降も、数えきれないくらい繰り返されてきた出来事だ。しかも、海外の人気者が来日したのは、ビートルズが初めてではない。マリリン・モンローが来日したこともあるし、戦前ではあるが、チャップリンもやってきたこともある。

それでも、昭和という時代のひとコマを振り返る時に、マリリンでもチャップリンでも、その他の有名人でもなく、ビートルズが選ばれ、それが五十年たった今でも続いていることが、いかに来日のインパクトが絶大であったかをあらわしている。

しかし、当時の人気がいかに凄いものであったとしても、ただの人気者だけであったなら、これだけの年月が過ぎた現在まで(そしておそらく、少なくとも、これから五十年のちも)語り継がれる存在になるわけがない。いったいビートルズの何が、人々をこうも魅了しているのか。よく、彼らは世界を変えた、と言われているが、世界の何を変えたのか。ビートルズとは何者だったのか。それを次回以降考えたい。

ちなみに、ビートルズとはまったく関係ないが、今日は久しぶりにステーキを食べた。サラダもたらふく食べた。スープもオニオン二杯とコーン一杯飲んだ。糖尿病予備群として、あるまじき行為である。余は満腹じゃ。以上。
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無題そのななじゅういち

2016-06-28 14:09:47 | 日々
リンゴがやって来る。
むろん、ここで言うリンゴは、果物の林檎でもなければ、コンピューターで知らない者はいないあのリンゴマークでもない。リンゴ・スターのことである。

よもやリンゴ・スターを知らない人間が、赤ん坊や幼児を除いて、この地球上に存在するとも思えないが、念のために軽く説明すると、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンらとともにビートルズのメンバーとして有名な、あのドラマーだ。ビートルズを知らない、バンド名も聞いたことがない人間は……知らん、地球からとっとと出ていってくれ。まあ、とにかくそのリンゴがやって来るのだ。

実は、二十代のときにリンゴのライヴに、行ったことがある。場所は今はなき、東京ベイNKホール。これより前にポールのライヴには行ったことがあって、ビートルのライヴに行くのは二人目であった(大学生の時にジョージのライヴにも行く機会があったのだが、見送ってしまった。行っておけば良かったと後悔している)。が、二人のライヴがあまりに違うので、正直戸惑った。

ポールのは、東京ドームでやっているのもあって、やたらとお金をかけた一大イベント、という感じだった。ビートルズ時代から現在までの、ヒット曲満載のワンマンライヴ。巨大スクリーンに映るポールと、肉眼で確認できる小さな小さなポールとを交互に見ながら、曲に耳を傾ける。ジョージを想う歌では、ありし日のジョージの写真が映し出されたりと、演出効果も抜群の二時間半。まさに、スーパースターがそこにいた、という印象を抱くライヴである。

対してリンゴはどうかと言うと、余計な装飾いっさいなし。彼のオールスター・バンドとともに、ビートルズ時代のから現在までの曲をやるが、その歌が何というか、ゆるい。出来とかそういうのはあまり考えずに、俺の庭でとにかく楽しくやろうぜ、みたいなノリが最初から最後まである。

ライヴ中のトークにしても、この二人は対照的で、『ゼッコーチョー』とか『ミンナウタッテ』のようなカタコトの日本語を交えながら、多彩なトークを展開していくポールに対して、リンゴは英語で『僕の名前は何だい?』と何度も聞く、というだけのトーク(そんなわけないが、イメージはそんな感じ)だ。生粋のエンターテイナー・ポールと、生粋のゆるキャラ・リンゴの違い、といったところか。

どちらがいい、悪いの話ではない。ポールにはポールのライヴに対する姿勢があり、リンゴにはリンゴの取り組み方があるということだ。それはジョージも、そしてジョンもそうだった。それだけ個性的な連中が集まったから、ビートルズは魅力的なバンドだったといえる。

とにもかくにもリンゴがやって来る。前回は様々の都合で泣く泣く見送った。今回はどうしようか。もう来ないかもわからないし、行っておいたほうがいいかもしれない。しかし、今回もいろいろ予定が差し挟むあたり。難しい。明日はどっちだ。まさに、tomorrow never knowsである。
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無題そのななじゅう

2016-06-27 16:40:57 | 日々
香川県高松市に男木島という島がある。そこは、島民よりも猫の数が多い『猫の島』として、猫好きの間では有名だ。

最近、どんどんと増える猫のために、農作物が荒らされたり、小魚を網ごと噛みちぎられたりといった被害が急増したため、二〇〇匹に及ぶ猫に去勢手術を施すプロジェクトをはじめたという記事を読んだ。

猫は年に二~三回、二匹~八匹ほど出産するらしく、ほっといたらあっという間に、人間の倍、あるいは三倍に数が膨れ上がることも予想できるし、分からなくはない措置だ。

駆除したらいい、との声もあるようだが、最近は排斥よりも共生を謳う声が高まっているし、何より男木島の猫たちをフィルムにおさめた写真集が人気になったために、観光客がどっと押し寄せて、男木島がにわかに活気づいたのもあって、行政も猫を著しく減らしたりすることが出来なくなっているらしい。

個人的には、猫好きを自認しているので、一度くらいは訪れてみたい島だが、実は獣臭が苦手で、動物園にも行きたがらない妻は、人間より猫が多い島など願い下げだろう。うまくいかないもんである。

このニュースは結局のところ、人間の都合で人間社会が苦慮している典型的な例だと思う。

おそらく、男木島に猫を持ち込んだのは人間だろう。鼠などの作物を荒らす害獣を駆除させるためだったに違いない。それがいつしか増えて、あらかたは野良になり、ある時爆発的に増加して、住む人の数を凌駕してしまったのだ。

程を知る、という言葉があるが、人間にはなかなか物の程度がわからない。猫が増えて話題になり、観光客が大挙して押し寄せてくれば、中には餌を与える不心得者も複数いるはずで、そうなれば猫はまた、どんどん数を増やしていく。去勢は一つの手段だが、それだけですべて解決とはいくまい。作物を荒らすことや、糞の被害も相当だろう。これから、猫を観光の目玉に据えるなら、数をむやみに減らすわけにもいかないだろうし。まだまだ問題が山積みだ。

でも、これらはすべて、人間が招いた問題である。猫は当事者であるが、関係ないとも言える。ぜひとも、猫も人間も幸せな島になるように。のんびり日向ぼっこでもして、満腹できるだけ食べられれば、猫は他に何も望まないのだから。
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無題そのろくじゅうきゅう

2016-06-26 19:18:52 | 日々
恒例となっている一泊二日のプチ帰省を終えて、現在自宅にてまったり中。

今回も実家のペット、ウメとのマウンティング合戦に終始した二日間だった。すぐそばで転がって寝息をたてはじめたり、遊ぼうと寄ってきたりすることもあるものの、基本的には実家の王子様なので、気分が乗らないと、飼い主である親が呼んでも振り向きもしない我が儘ぶりは相変わらずだった。

昨日は晩飯を妻と二人で準備したので、サラダ用のレタスをおやつとして、ちぎったのをあげたのだが、それがかえって悪かったのか、もうレタスをもらえないと悟るや、ふてくされたようにして部屋を出ていってしまう始末。

ところで、ウメは狆という犬種である。この犬は、犬の皮を被った猫だと言われているらしく、それで漢字もけものへんに中という字を使うのだそうだが、ウメと接していると、確かに猫のような対応をすることがある。気まぐれであること、寝てばかりいること等の他に、おもちゃの遊び方がある。

一般的な犬の遊び方といえば、ボールを投げて犬が走って追いかけ、くわえてきてまた投げる、というようなものだと思うが、ウメの場合、投げてくわえた途端に、本能が爆発して凶暴化する。唸り声をあげて息の根を止めにかかるのだ。とりあげると、猫パンチならぬウメパンチで取り返そうとするし、まずくわえに行かずに前足で押さえたり、攻撃を加えたりするところも含めて、ウメは猫ではないかと思う。

実家を後にする時は、ちょうど眠い時とぶつかったのか、ほとんど相手をすることなく、床にぺたりと寝転がっていたウメ。自分の方が上だと、迷うことなく思っているに違いない。そうはいくか。人間として、犬より下など断じて認めん。俺が上に決まっている。来月こそ、それを証明してやる。これはエンセリオだ。
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